大企業・重原総合科学の半生

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第八話 本業 後編

公開日時: 2020年10月18日(日) 18:10
文字数:3,413

 ママの両手がためらいがちに長沢の両肩に添えられた。軽く揺さぶっても生き物らしい反応は見られなかった。


「き、救急車……」

「すぐ呼びます」


 ママがポケットから携帯電話を出す間、いっそ自分も気絶したくなった。非情にもそれは叶わなかった。


 警察も救急車もそれからすぐに来た。長沢の身体は救急車が引き取り、蒲原はまたしても警察に呼ばれる羽目になった。


 今度は吉田市の警察署で、稚内より多少は話が分かるかも知れない。彼女にとっても地元なのだし。


 長沢の台詞はひっかかっていたものの、これ以上くよくよしたくは無かった。


 警察署に連れて行かれ稚内の時と大同小異な会議室に通されてから、一人の婦警が来るところまで判で押したように同じ要領だった。


 無罪の人間を事情聴取するとはいえ、警察署の中身を一般人に見られると都合が悪いのは当然だ。こうした事には一貫したマニュアルか何かがあるのだろう。


 もっとも、応対に出た婦警は蒲原と同世代で、お茶まで出してくれた。お蔭で気分がましになり、質問にもスムーズに答えられた。


「……はい、以上で質問は終わりです。それでは、ここで少しお待ち下さい」


 婦警は蒲原が飲んだ後の湯呑みを盆に移し、そのまま出て行った。


 それからは、待てど暮らせど何の音沙汰も無かった。


 時刻は夕方に近づきつつあり、このままだと貴重な休暇が無意味に終わってしまう。


 腕時計を眺めるのにも飽きたし、スマホは極力使いたく無い。それでいて、何もせずに時間を無駄にさせられるのは拷問に等しい。


 さらに三十分が過ぎて、彼女の忍耐も限界に達した。スマホを出して暇潰しにネットを閲覧し始める。衣服の流行だのレストランの口コミだのを見ても、バチは当たらないだろう。


 もう三十分が過ぎて、ドアがノックされた。スマホのスイッチを消して、どうぞというと、さっきの婦警が現れた。


「大変お待たせしました。どうぞ、このままお帰り下さい」


 当然過ぎる結論に、蒲原は無表情に挨拶した。婦警に当たり散らしても仕様が無いので黙っている。


 せめて、長沢なる人物の詳細なり顛末なりを教えてくれてもいいだろうに。とっくに諦めているから黙って出た。 


 こんな日々が続くとおかしくなりそうだ。


 警察署を出てすっかり暮れかかった街の通りを歩いていると、郵便局のバイクが車道の端を通り過ぎた。


 本当に、転職しようか……。肩越しにバイクの後ろ姿を見送りながら、ぼんやりとそんな考えに浸った。


 警察署に入ったのは人生これで二回目となった。少しも嬉しく無い。


 帰りしなにコンビニでチューハイを二缶と、つまみのビーフジャーキーを一袋買ってアパートに帰った。


 誰にどう腹を立てていいのか分からないのが一層腹だたしい。


 ドアに鍵をかけてから靴を脱ぐと、大して歩いていないのに足が腫れているように感じた。ストレスが溜まっているのだろう。


 足のマッサージは後にして、まず食卓の上に買い物袋を置いた。


 中身を出していて、手がふと止まった。桃色の缶を眺めている両目とは裏腹に、唐突に行き当たった考えが頭を満たした。


 このアパート、否、自分そのものが最初からずっと監視されていたのでは無いか。ドアの郵便受けに盗聴器。風呂場の小窓に小型カメラ。隣の部屋の住人。


 疲労と怒りの余り半ば無意識に無視していたのに、一度浮かぶとどう押し込んでもしつこくつきまとった。


 外から干渉を受けそうな場所を全て確かめてから、ようやく椅子に座り直した。


 チューハイの缶を開け、中身を勢い良く喉に流す。桃の甘い香り……といいたいところを、どこか薬品めいたよそよそしさが口から鼻に抜けた。


 ついでビーフジャーキーの袋を開けた。そのまま指で一つつまみ、噛み千切って食べた。


 どいつもこいつも無性に噛み千切りたくなってくる。舌の上は塩辛さと肉の旨味で満たされはしたのだが。


 とにかくまとめてチューハイで流し込んだ。そんな調子でチューハイが二缶目に移ると、世の中の大半はどうでも良くなってくる。


 それより、まだアルコールが足りない。冷蔵庫を開けて数日前に買った缶ビールを出して食卓に加え、更にまな板を流しの調理台に据えた。


 ハムとキャベツの残りを並べ、包丁で切っていく。食べる手順と調理の手順が支離滅裂になっていた。


 半ばやけになってキャベツを刻んでいる内に、手元が狂って指を切った。アルコールが入っているせいもあって結構派手に血が出てくる。痛みも強かった。


 さすがに、出血したまま包丁はふるえない。調理を中断して戸棚から絆創膏を出し、指に巻いた。


 刻みかけのキャベツはラップで包んで冷蔵庫に入れ直し、ハムは数枚スライスしたら終わった。


 飲み残したチューハイを一気に空けて、ビールに手をつけた。


 ビールを飲みながらキャベツにごまドレッシングをかけ、缶を手放したと思ったらぱくぱく食べ始めた。キャベツは歯応えがあり、ドレッシングの酸味と良く合った。


 ハムは、ビーフジャーキーとはまた違った肉汁の旨味がある。指を切った甲斐はあった。


 最後に残ったハムの一切れを口に放り込み、ビールも最後まで飲んだ。途端に目の前がぐるぐる回り出した。


 玄関の呼び鈴がどこかから聞こえて来る。身体を動かしたくない。


 また呼び鈴が鳴った。誰の部屋か分からないが、早く出て欲しい。三度鳴って、それが自分の部屋のものだと理解した。


 目が覚めて、着のみ着のままベッドに入っていたのに気づいた。


 服もしわくちゃなら髪も寝癖だらけ。そんな状態で他人に会いたくは無い……ともいってられない。


 とってつけたように手で頭を押さえながら、玄関の覗き窓に目を当てた。


 郵便局員が封筒を持っている。いくら何でも犯罪者が偽装しているのでは無いだろう。


「はい、開けます」


 チェーンをかけたまま、鍵を外してドアを開けた。


「書留ですよ。ここにサインをお願いします」

「ありがとうございます」


 局員は、ボールペンと封筒を出した。その通りにサインすると、局員は礼を言って去った。


 ドアを閉め、鍵をかけながら書留の差出人を確かめる。北海道稚内市云々、森場 江奈とあった。


 受け取ったのを激しく後悔する名前だ。破り捨ててしまっても良いが、手紙には一種の魔力があった。つまり、受け取った以上は中身を読まねばならない。


 食器棚の引き出しからハサミを出して封を切ると、分厚い便箋と小さな梱包材にくるまれたUSBが出てきた。


 便箋を読むと、少し変わった丸みのある字体で綴られた言葉が蒲原を引き込んだ。


『前略


 これを読んでいるあなたは、天候研究所について幾ばくかをご存じですよね?


 蛍光灯という言葉が特別な意味を持つのも、知っていらっしゃるかも知れません。


 私は森場 江奈と申します。職業は、かつて女優でした。今は、とある人のところにかくまわれています。


 その、私を匿って下さっている方から、あなたが重原総合科学の社員だと伺いました。


 そして、ある点においては共通の危険にさらされているのも。


 結論から申しますと、天候研究所は蛍光灯をカモフラージュする為の施設でした。


 蛍光灯とは、陸上自衛隊の一部の人たちが考えていた戦争計画です。詳しくは同封のUSBを確かめて下さい。


 本当は私が発表しなければならないのですが、悪質なデマで片付けられる可能性が非常に高いです。


 私は、三十年近く前にそれを試みました。けれどもマスコミは、私を同性愛者と言い出して世間から葬り去ったのです。


 だから、今私が言っても私怨から来る営業妨害で握り潰されるでしょう。


 あなたなら内部告発出来ます。蛍光灯はまだ計画の一部が生きていて、悪い人たちに利用されようとしているのです。お願いです。事実を明らかにして下さい。


 早々』


 何故自分なのか。それが、率直な意見だった。


 そもそも、蒲原自身は損にこそなれ得にはならない。下手をすると自分まで葬り去られ兼ねない。


 だいいちこれが罠で無い可能性がどこにある。USBだって、ウイルスが仕込んであるかも知れない。


 二分ほど考えてから改めてハサミを出し、便箋を切り刻もうとした時。


 スマホが振動してメールを告げた。田上からだ。


 昨日、警察の世話になった点に触れ、速やかに連絡しろなどとある。


 謝罪しつつ昨日の顛末を手短に説明するメールを返信してから、パソコンの電源を入れた。


 もう完全に腹が立った。こんな会社がどうなろうと知った事じゃ無いし、自分を蔑ろにするなら相応の報復を果たす。


 立ち上がったパソコンにUSBを差し込むと、数十枚の画像のサムネイルが並んで表示された。

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