第二十二話『プレゼント』が始まるよぉ~~~(*'ω'*)ノ
022【プレゼント】
あの悪夢のライブから約3ヶ月……
あっと言う間に、6月の鬱陶しい梅雨も終わり。
アスファルトから陽炎が見えるほど、日々気温が上がっている。
季節は夏……時が過ぎるのは早いもので、気付けば7月になっていた。
その春から夏に変わるたった3ヶ月の期間に、俺の想像を絶する様な色々な出来事があった。
まずは、あのライブ後の4月から行われた『強化特訓』
まぁ特訓と言ってもだな。
メンバー全員に行った訳じゃないんだけどな。
当然、誰を支点にしてやったかと言えばだな。
『俺単品』
だってよぉ。
俺以外の他のメンバーは、か・な・り・熟練した腕の持ち主。
だから、元々そんな特訓なんてものは必要ねぇんだもんよ。
今現在のバンド内では、俺のみが最低ランクの出来に留まってる訳だからな。
……故にだ。
4月・5月は『俺の強化月間』と名付けられた『虐め』……いや、もとい『音楽的虐待』とも言えるスペシャル・メニューを構成される羽目になった訳だな。
これが本当に、この世に生まれて来た事を後悔する程の最悪なものだった。
特に4月は、地獄と言っても良い程だ。
◎4月……基本の打ち直しと言われた時期。
講師:向井奈緒。
(↑この響きだけで俺のテンションは、一気に上がった)
勿論、言うまでもないが『奈緒さんが、毎日俺の練習に付き合ってくれる』と言う至上の幸福にも似た嬉しい知らせを受けたのだから、テンションが上がっても当然だ。
こうやって担当者が決定した時点では、確かに喜んだ。
ただそれは、俺の独り善がりな糠喜び。
彼女の練習には、俺が考えていた『一緒に過ごす甘い時間』なんてものは一切存在せず。
妥協なんて甘い言葉が、どこにも見当たらない様な壮絶なものだったからな。
しかも、上手く出来てもご褒美も無し。
……そして極めつけは。
何よりも、精神的にも、きついメニューが『プレゼント』されたからだ。
―――何故キツイか?って。
理由は簡単だ。
彼女の作ってきたメニューには、たった一行しか文字が綴られておらず。
その一行以降の予定は、一番下まで、真っ直ぐに線が引かれていたからだ。
手っ取り早く、また判り易く言えば。
4月中は、最初から最後まで、一貫して同じ練習方法をさせられたと言う事だ。
しかも、その一行に書かれていた文字が最悪だ……『運指運動』のみ。
このメニューを見た時は、流石の俺も愕然とした。
『もぅ出来てる事の反復なんて、ゴメン被りたい』
なんて俺は、必死に反論の意を伝えようとしたが、奈緒さんは、俺の意見を尊重する気配もなく、これを頑なに拒否。
反論虚しく、期間中、奈緒さんのスケジュール通り事は決行された。
まさに地獄の特訓だ。
来る日も、来る日も言われるがまま同じ『運指運動』を繰り返し、指先から血が出ない日はなかった。
無論、夜には血が固まって、瘡蓋(かさぶた)が出来はするのだが。
また次の日には、4弦辺りの細い弦で、再び指を切り、また血だらけ。
そんな地獄の様な、単調練習をする日々が30日にも及んだ。
いや……本当に地獄だった。
……けど、何も不幸な事ばかりと言う訳ではない。
この奈緒さんの考えた恐ろしい特訓の成果は、思っていた以上に抜群だった。
今までの様な、人の動きを、ただトレースしただけの『山勘』みたいな押さえ方をするのではなく。
今では、完全にネックを見なくても、何所に何フレットが有るか、自然に押さえれる様になっていた。
恐らく『基本の打ち直し』とは、これを得る為のものだったんだろう。
そんな4月~5月を過ごし、漸く5月中旬になる。
5月に入ると講師は、奈緒さんから嶋田さんに変更。
俺は、新たに彼が作って来た別メニューをこなす事になる。
◎5月……音感の成熟と耳コピ。
講師:嶋田浩輔。
初日に渡された嶋田さんのスケジュール表には、奈緒さんの様な鬼の化身の様なスケジュールは書いてはいない。
ただ『ライブ見学』と『スタジオ』が繰り返し書かれているだけだった。
これを見た俺は、最初、嶋田さんの意図が全く読めず。
奈緒さんの件もあって、かなり警戒をしていたもんなんだが。
実際に、この練習を実演してみるとだな、嶋田さんのメニューは、結構、楽しいものだった。
何をしていたかと言うとだな……
まず、嶋田さんに指定されたライブに出向き。
そこで演奏された曲を、その場である程度憶え、次の日スタジオで練習する。
期間中、永遠に、これを繰り返すだけだ。
ただ、これだけを聞くと『眼コピが出来る』俺には、簡単そうな課題に聞こえるだろうが……とんでもない。
この練習には、ある困った条件が1つだけ加えられていたからだ。
『絶対に、眼だけで動きを追ってはイケナイ』と言うもの。
これは俺にとって、非常に厳しい条件だと言える。
タダでさえ『眼コピ』しか出来無い能無しの俺の音楽センスが、この厳しい要項を加えられる事によって、完全に封印。
本当の意味で、耳だけが頼りになる。
不信に思った訳ではないが『何故そんな必要があるのか?』っと尋ねたところ。
嶋田さん曰く……『音楽を眼で追うのも良いけど。倉津君は、もっと基本的な音感を鍛えないとね』っとの事。
早い話、弾ける曲の少ない俺のレパートリーを増やす為に『眼』と『耳』の両方を使える様にして、短期間で、より完璧なコピーが出来る様にしたかったのだろう。
彼の練習は、実に奥が深い。
(↑奈緒さんの文句を言ってる訳では無いですよ)
まぁ、そうは調子に良い事を言っても。
当然、最初から上手く出来る訳も無く、特訓が始った頃はかなり悲惨なもの。
矢張り、何事も甘くは無く、この練習にも大苦戦をしいらされる。
一旦はライブで覚えたつもりで帰って。
勢いをそのままに、翌日その曲を弾いてみたら、聞くに堪えない様な無茶苦茶メロディーラインしか出ず、酷い時になれば、何1つ音が合ってない時すらあった。
しかし、そんな折は、嶋田さんが丁寧に『音階』を教えてくれたので、これにも徐々に慣れていく。
こうやって、嶋田さんの言う通りの練習を続け。
『音感』を日々鍛え上げていく事によって、練習は一気に楽になっていき。
この6月の初旬まで続けた練習は、最後の方になった時には『かなり楽しかった』と言っても過言ではないだろう。
この一件で、日々の下済みの重要性を教えられた。
んで、6月中旬に入る訳だが……個人練習は、此処で御仕舞い。
漸く此処から、全体練習が始まった。
全員が揃うのは、2ヶ月ぶりの事だ。
勿論、同じ学校に通っている山中や素直とは、例の崇秀が占拠していた第二音楽室で待ち合わせなどをして、偶に、音合わせの為に楽器を演奏していたが、奈緒さんと、嶋田さんは、スタジオ練習以外では中々逢わない。
奈緒さんは、まずにして年上の高校生だし、学区も違う。
嶋田さんに至っては成人している人だから、バンド以外にも、生活費を稼ぐ為に、普段はアルバイトで忙しい。
そんな訳も有って、久しぶりに再会した訳だ。
だがな……久しぶりに逢ったって言うのに、各々、少しの挨拶を交わす程度で終了。
会話もまばらなまま、何の前触れもなく、崇秀が書き溜めていた新曲をイキナリ渡され、問答無用で練習が開始される。
そんな嫌な感じのまま、6月が過ぎて行く訳なんだが……
この期間の練習中の会話って言うのが厄介で『間違った音に対する指摘』だけが横行して、余計な会話は殆ど無かった。
兎に角、各人がストイックな姿勢を貫いていた。
それで、現在7月に至るって訳だ。
あぁ、因みに言い忘れてたが。
崇秀の馬鹿は、あの直後、マジで『アメリカ留学』を敢行した。
ライブの翌日、イキナリ姿を消したと思ったら案の定だ。
奴は『思考』→『行動』が、兎に角早い。
いや……寧ろ『前もって周到に準備していた』と言った方が正確だろう。
まぁそんな訳で……奴が留学に行ったのを知ったのも、本人から聞いたのではなく、先公から告知されてからの話だった。
しかも、一年間は、絶対にアメリカから帰って来ないらしい。
まぁその期間で、アイツがどんな変化をして帰って来るのか楽しみだが……アイツの行動力を考えたら、恐ろしくもある。
魔王は、一体どんな進化を遂げて、より恐ろしい魔王になって帰って来るんだろうか?
そんな事を考えながらも今は。
晴れ渡った空を、教室の窓からボケ~~~っと眺めていた。
最後までお付き合いありがとうございました<(_ _)>
倉津君、心の中ではブツブツ文句を言いながらでも、なにやら真面目に音楽に取り組んでるみたいですね(笑)
こう言うのを見ると、人間、打ち込む事や、大切な仲間が出来きないと、中々更生の道は歩めないのかもしれません。
まぁ、その一歩を踏みだせた倉津君は、ある意味、本当に運が良いのかもですね。
さてさて、そんな倉津君なのですが。
次回は、学校で遭遇した、とある依頼の話がメインと成ってきます。
どんな依頼が舞い込んでくるのかは……また次回の講釈。
良かったら、また遊びに来て下さいねぇ~~~(*'ω'*)ノ
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