「この通りのはずよ……」
くるみとシュガーはモンスターの反応があった路地に辿り着いていた。
「この、通りのどこかに、魔空間がっ?」
くるみが息を切らしながら聞く。
「そうよ。モンスターの反応がすぐ魔空間の反応に切り替わったから、魔空間にまた入り込んでるのかもしれないわ」
麻紀が消えた薄暗い路地をくるみたちは探索する。
「何か、気味悪いね」
「こういう人けの少ない所に魔空間ができることが多いわ。悪い気が溜まってるのね」
苔の生えた駐車場を通過する時、シュガーの耳がぴくっと反応した。
「くるみ、ここよ!」
くるみが駐車場の方を見ると、奥のコンクリートの壁にスプレーで描かれた大きな落書きがあった。
「何か、あの落書き……」
発色豊かな落書きの英字がよく見ると揺らいでいる。
「分かりにくいけど、あそこが入り口みたいね」
前にほたかと入った魔空間と比べて随分と色の薄いそれは、くるみたちが近づいて見てみると波紋のように震えていた。
「もう小さなモンスターくらいで逃げないでよ!」
シュガーが鋭い目で釘を刺す。
「うん! 大丈夫! たぶん」
シュガーに心配されながらくるみは落書きの壁に足を入れ、飛び込んだ。少しの浮遊の後、着地した地面は硬かった。
「うわぁ、何ここ……」
くるみたちの後方や左右は白い壁で囲われていて、横に手を伸ばしてもぎりぎり届かないくらいの幅の通路が正面に続いていた。天井と床は黒く、モノトーンの無機質な空間だった。天井は高いが、壁には風が入る隙間もなく圧迫感がある。
「くるみ、何が出てくるか分からないわ。先に変身しておいて」
くるみは白い壁を目も冴える赤で照らし変身する。
「あ、こっちにも道が」
奥に続く道と、新たに右手にも通路が現れた。右手の通路の奥を見ると、そこはまた壁で行き止まりのようだった。しかしまたその左右にも通路があった。
「何か迷路みたいー」
くるみが試しに奥に続く道を突き当たりまで進んでみる。左は壁で、右にはまた道があった。ただ奥を見ると行き止まりで、その行き止まりの壁が一面黄色い。
「何であそこだけ黄色?」
くるみは興味本位で黄色い壁の方に近づく。
「怪しいわね。気をつけて」
シュガーは慎重になって歩く速度を落とす。くるみが近づいても黄色い壁は黄色い壁のままで、モンスターが出てくる訳でも新たな道がある訳でもなかった。しかしくるみが触れてみるとプオンと機械のような変わった音が鳴った。
「うーん、この壁に何の意味があるんだろ」
くるみは何度も壁に触れてみるが、音が鳴るということ以外に発見はなかった。シュガーが触ってもそれは同じだった。
くるみたちはひとまず引き返して、左右に新たな通路があるもう一つの道へと戻った。
「あー、こっちは行き止まり」
その後は白い壁の行き止まりが現れるばかりで、なかなか進む経路が見いだせなかった。
「また行き止まりー!」
息の詰まりそうな迷路空間にくるみは少しずつ嫌気が差して速足になっていく。
「ちょっと! あんまり急ぐと危ないわよ! それでなくとも死角が多いんだから」
シュガーを置いてくるみは足取りも軽く、遠ざかる。
「大丈夫だよ! 敵もいな――」
くるみが突然悲鳴を上げる。
「ちょっと! どうしたの!?」
シュガーが慌てて、くるみの悲鳴がする方へ走る。
「助けてー! 何かいるー!」
「もう! 言ったそばから!」
一方、くるみたちより早くに到着していたほたかは、ミソと共にくるみたちとは別の空間へと飛ばされていた。
「何だここ」
ほたかたちが降り立ったのは、天井も床も壁も全て白い大理石のような模様で、くるみたちと同じく無機質な場所だった。ほたかとくるみの高校の教室より少し広いくらいで、部屋は正方形。何もない部屋だと思われたが、一つ、目につく物が部屋の中央にあった。
「あれ、美術の教科書で見たことあるな」
中央にあったのはミロのヴィーナス像だった。二百三メートルあるその像は、まるで本物のような存在感でほたかたちを見下ろしている。
「どうやらあの像が敵のようです。油断せぬよう」
ミソは鼻をひくつかせ像を注意深く観察する。
「えっ、あれが? 壊せばいいのかな」
ほたかは変身し、微動だにしない像に警戒しながら剣を構え、恐る恐る接近する。どれだけ間合いを詰めても像は静かなままだったので、ほたかは思い切って剣を振り上げてみる。ほたかが像が敵だと改めて認識したのはその瞬間だった。像の息遣いを感じたのだ。本当に息をしたのかは不明瞭だったが、確かにほたかはそれに"生命"を感じ取ったのだ。
「一度下がるのです!」
ミソが珍しく声を張り上げる。モンスターの存在に敏感なミソが感じたのは息遣いどころではなかった。微量だった敵の魔力がほたかの攻撃性に反応するかのように、瞬発的に跳ね上がったのだ。
ほたかが逃げの態勢に入ろうとした時にはもう、像の腹の辺りに小さく浮かぶ魔法陣が出来上がっていた。魔法陣はほたかの方を向いて、中から棒状の鋭利な金属が顔を出した。風を切るほどの勢いでそれは発射され、ほたかの顔を狙い撃ちした。ほたかは素早く身体を翻して回避しようとしたが、金属はほたかの頬を抉った。
「いっっってぇー!」
ほたかの頬から、だらっと血が流れる。皮膚を抉った金属はそのまま大理石風の壁に激突し刺さった。
「ほたか殿!」
ミソは壁にもたれかかろうとするほたかを心配してぱたぱた走る。
「ミソ、俺に近づいたら危ないぞ……」
白い床にほたかの鮮血が滴る。ほたかは像に警戒しながら、壁に刺さった金属を確認する。
「これ、彫刻刀か……?」
柄の部分は木製で、先端は山型に折れた三角の黒い刃だった。像の息吹はまだ止まらない。今度は魔法陣が像の額、胸、足元の三か所に現れた。
「ミソ! 俺から離れろ!」
像の正面に立つほたかは、何とか射撃される範囲から外れようと重い剣を持ちながら右回りに疾走する。額から黒光りする尖った切り出し刀が飛び出す。走りながら前傾姿勢になり、間一髪の所で避ける。後ろ髪を揺らした刃に、ほたかは心底肝を冷やす。続いて胸から丸刀が発射されようとしていたが、ほたかは後ろに回り込み、狙われない位置につくことができた。
「この位置なら……!」
像の後方、部屋の角からほたかは像の首を睨みつける。ヘッドバンドが放電し、ほたかにエネルギーが溢れる。三か所にあった魔法陣は既に消えた。疾風迅雷、剣を構え直し硬い床を踏み込む。
「ブルージェット!」
像に近づくほどに剣が強い雷光を放った。ほたかは自らの脚力と雷の力で高く飛び上がる。像の首元が照らされ、ヴィーナスに死の宣告が下される。剣の刃が首と接触。ほたかは雷撃で首が割れて、一刀両断できると疑わなかったが結果は違った。剣が首に触れた瞬間、強い力で弾かれたのだ。剣と共に弾かれたほたかの身体は宙を舞った。
「ほたか殿!」
ミソが目を丸くして名前を呼ぶ。宙を舞うほたかは状況が掴めず、受け身の姿勢も取れないまま、像の後方の壁に激突した。像の魔力がまた上昇する。優しい表情とは裏腹に、像に容赦の心はないようだった。首元、背中、尻の辺りに新たな魔法陣が生成される。ほたかの顔面を狙う殺人刀がまた、射出されようとしていた。
「ほたか殿、しっかりするのです!」
ミソが大声で名前を呼ぶ。ほたかは自身がぶつかったことでひびを入れた壁の下で、ぐったり座り込んでしまっている。
「やべぇ、逃げなきゃ……」
剣は衝撃で手の届かない位置に飛ばされていた。朦朧とする頭で動こうとするが、ほたかの身体は上手く動かない。
「俺……こんな所で……」
新たに出来た三か所の魔法陣から殺人刀の尖端が顔を出した。そして三本は確かな意思を持って、ほたかめがけて一直線に飛び出した。
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