まどうの子!

とおる
とおる

12話 断ち切れない

公開日時: 2022年1月26日(水) 23:00
更新日時: 2022年2月10日(木) 23:28
文字数:4,970

 黒猫の大きな鳴き声がして、くるみは身体を痙攣させる。静かな授業中の教室にガタンと大きな物音がした。

 

「ん?」

 

 教師が音のした方を向くと、くるみがのっそり顔を上げた。

 

「えーっと、間藤さんかな。授業に集中するように」

 

「すいません……」

 

 くるみは周りの視線を浴びて赤面する。ほんの数分の居眠りの間に悪夢を見ていたのだ。連日の戦いの疲労と、分からぬ家族の安否。元々体力のないくるみには、あまりにハードな日々だった。

 

 

 

 昼休み。ほたかはいつも通り、食堂へと向かう。五人分の席が空いている場所を見つけ、葉介、ほたか、そしてもう一人の男友達、樋山ひやまれいが座る。向かいに手島てしま波寄月乃なみよせつきのの二人が揃ってグループの完成だ。

 

「そういやほたかお前、バスケ部で噂になってるぞ」

 

 葉介がなぜか得意げに言うので、ほたかは眉をひそめた。

 

「噂?」

 

「そうそう! お前中学の時バスケめっちゃ強かったらしいじゃん。弱小の中学、お前の力だけで全国行きかけたとか」

 

「まじ!?」

 

 由羅のカラーコンタクトをつけた大きな瞳が輝く。

 

「いやいや、別に俺だけの力じゃないし、ブロック大会で普通に惨敗してるから」

 

「お前と同じ中学だった奴から聞いたぞ。全国大会出たわけでもないのにスポーツ推薦いくつか貰ってたらしいじゃん!」

 

「やっばー。てかまじ何でバスケ部入んないの?」

 

 由羅が早口で問いただす。

 

「だから部活とかもうダルいんだって。中学の時も結構きつかったし」

 

「ふ~ん」

 

 由羅は口を尖らせて、紙パックのジュースをストローで飲み干す。

 

「才能あんのに活かさねえとか宝の持ち腐れだなー。俺なんか万年ベンチだっつーの」

 

 葉介が天井の方を見て間抜けな顔をする。

 

「それはあんたの努力が足りないんじゃないの?」

 

 月乃が辛辣な一言と共に指を差すと、葉介は「グサッ」と自ら効果音をつけてうつ向いてしまった。

 

「てか樋山は部活とかやんないの?」

 

 由羅はずっと黙ってハンバーグ定食を食べている怜翔に話を振る。

 

「俺は、バイトする」

 

「何のバイト?」

 

「まだ決めてない」

 

 怜翔は由羅の質問に端的に答えると、またハンバーグを口に運び始めた。広がらない会話に、由羅は不満げにストローを噛んだ。

 

「お! もしかして桐上か!?」

 

 由羅と月乃の背後で、ジャージ姿の男性が大きな声でほたかを呼んだ。葉介はその男性に「こんにちは!」と元気に挨拶する。男子バスケットボール部顧問・野村のむらまさるだった。

 

「お、こんにちはー。やっぱり桐上だよな?」

 

 葉介への挨拶は適当に返し、野村はほたかに興味津々なのが明らかだった。

 

「そう、ですけど?」

 

 ほたかはなぜ声をかけられたか分からずに困惑する。

 

「バスケ部、入らないか!」

 

 野村は自分が何者か名乗らなかったが、ほたかは厄介な相手だと察しがついた。

 

「いやー、入んないです。すいません」

 

「何でだー? 中学での噂は聞いてるぞ。わざわざ推薦蹴ってまでうちの高校に来てくれてるのにー。もったいない」

 

「すいません。バスケはもうしないんで」

 

 ほたかは自分の噂が顧問にまで届いていることにうんざりした。

 

「残念だなー。じゃあ今日は体験だけでもおいで! そのー、隣のー」

 

「あ、久木っす」

 

 葉介は野村に自分の名を告げる。

 

「そう! 久木と一緒においで!」

 

「いやぁー、今日は用事あるんで」

 

 しつこく迫ってくる野村に、ほたかは苛立ちを募らせる。

 

「じゃあ明日は!」

 

「先生。桐上君は家の用事で忙しいので部活には入れないそうですよ」

 

 助け舟を出したのは怜翔だった。

 

「そうかー……。残念だなー」

 

 怜翔の一言に、野村はやっと冷静に物事を考える。

 

「バスケ部はいつでも君を待ってるからな! じゃ!」

 

 ようやく去った野村に、ほたかは思わずため息が出る。

 

「ありがとな、怜翔」

 

「別に」

 

 怜翔は表情一つ変えずに水筒の茶を飲んだ。

 

「ごめん、俺ちょっと職員室に用あるから先行くわ」

 

 ほたかは立ち上がり、食べかけのチキン南蛮定食のトレーを持って逃げるようにその場を去った。

 

 

 

 本当は職員室への用はなかった。複雑な感情がたくさん押し寄せて来て、自分の気持ちをコントロールできなくなりそうだったのだ。ほたかは校舎裏を一周して、呼吸を整え、教室に戻った。教室では何事もなかったかのように振る舞った。五時間目、そして六時間目の授業を終え、掃除をする。掃除が終わると葉介は部活に行く。ほたかは真っすぐ家に帰る。

 

「あ、ほたか」

 

 校門で、後ろから声をかけてきたのはくるみだった。

 

「おー、お疲れ。まだ帰ってなかったのか」

 

「うん。ちょっと図書室に寄ってたの」

 

「そうか」

 

 そうか、と言ったきりほたかは喋らなかった。くるみは、ほたかがいつもより暗い雰囲気を漂わせていることにすぐ気づいた。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

 沈黙が続くのも変だと思い、くるみは何か話題を作ろうとする。

 

「私、やっぱり美術部に入ったりできないのかなーって思ってるんだけど、一族は部活とかやってる暇ないかな?」

 

 よりにもよって部活の話かよ、とほたかは冷めた目をする。

 

「ないな。忙しいし」

 

「だよねー……。麻紀ちゃんがね、やっぱり美術部入って欲しそうでさー。困ったなあ」

 

「でも、美術部とかなら暇そうだし別に両立できんじゃね」

 

 ほたかは抑揚のない応答をする。

 

「えっ、別に暇ではないと思うよ! だいたい毎日活動してるし」

 

 くるみはほたかの一言が気に食わない。

 

「だいたい、ねー。でもあんまり夜遅くまでやってる訳でもないっしょ? 遊びみたいなもんじゃん、美術部とか」

 

 ほたかの様子がおかしいとは気づいていたが、あまりに心無い言葉に、くるみは足を止める。それに気づいたほたかも振り向いて足を止める。

 

「美術部のこと馬鹿にしないでよ。真面目に美術が好きでやってる子ばかりなのに!」

 

 中学の三年間、ほたかが体育館で輝いていた時間。校舎三階端の美術室で、くるみは来る日も来る日も納得のいく色を探していたのだ。そして今日、くるみが図書室で借りた本は『水彩画 混色の心得』だった。くるみはこれまで描いてきたもの、今日までの道のり、その全てを侮辱されたような気がした。

 

「悪い。そんな怒んなって」

 

「自分がバスケ部に入れないからって八つ当たりしないでよ……」

 

 くるみがぼそっと言ったことを、ほたかは聞き逃さない。

 

「お前に何が分かんだよ!」

 

 くるみがまだ見たことのない険しい表情。ほたかは頭に血が上って、もう後に引けなくなった。早足でくるみを置いていく。熱くなる目頭。歯を食いしばって溢れそうな感情をせき止める。そうして何とか自宅に辿り着くと、ただいまも言わずに自分の部屋に入った。部屋にいたミソが「おかえりなさいませ」と声をかけたが、ほたかはスクールバッグを放り投げてベッドに倒れこんだ。壁の方を向いてうずくまるほたかに、ミソは体調でも悪いのかと尋ねようとした。しかしすすり泣く声が聞えたので、そっとしておいた。

 

――てかまじ何でバスケ部入んないの?

 

――才能あんのに活かさねえとか宝の持ち腐れだなー

 

――バスケ部はいつでも君を待ってるからな!

 

 

 

『俺だって、バスケやりたいよ』

 

 隠してきた本音が膨らんで、弾けて、止まらない。

 

 ほたかは小さい頃から戦士族としての自覚を持つよう教えられてきた。厳格な父・尊はほたかを厳しくしつけようとしたが、母・峰はできるだけ一族に縛られず自由に育ってほしいと願っていた。中学に入ってバスケットボール部に入りたいとほたかが言った時も尊は反対した。しかし峰がほたかの味方について何とか入部を許してもらえたのだ。条件は、高校生になったらきっぱりバスケットボールを辞めて、戦士族の務めを果たすことだった。

 

 分かっていたのだ。何もかもけじめをつけて一族のやるべきことに集中する。切り替えたはずだったのだ。それでも幾度となく押し寄せてくる気持ちの波。まだ捨てられないバスケットシューズ。ボールをドリブルする感触。シュートを決めたあの日の歓声。

 

尊は知っていたのだろう。一度味わった喜びを手放すことは、何も知らないでいるよりずっと辛いということを。

 

 

 

「ミソぉ」

 

 ひとしきり泣いて、ほたかは小さく呼びかける。

 

「何でしょう」

 

「修練場、行く」

 

「かしこまりました」

 

 玄関が開く音がした。ほたかは制服を急いで脱いで、腫れた目をくるみに見られる前にポータルに入る。城への道中、ミソが鼻をぴくっと動かす。

 

「修練場に源治殿とペッパー殿も来ているようですぞ」

 

 ほたかたちが修練場に向かうと、ちょうど源治たちが塔の窓に見えた。源治のいる三階に上ると、源治は汗だくだった。

 

「おう、また会ったな。訓練か?」

 

「お疲れ様です。はい、できるだけ毎日来るようにしてます」

 

「優秀だな! 今日は一緒に訓練するか?」

 

「はい! ぜひお願いします!」

 

 源治が下の階に行こうとするので、ほたかは「待って下さい」と止める。

 

「源治さんと同じレベルの場所に連れてって下さい!」

 

「同じレベルってお前。まだ戦闘経験も少ないのに、仮想の空間とはいえ上はかなり危険だぞ」

「できるだけ足引っ張らないようにするんで。一度行ってみたいんです。お願いします」

 

 真っすぐな瞳で訴えるほたかに、源治は困り顔でペッパーの方を見る。

 

「誰かを守りながら戦うのも練習のうちの一つですー!」

 

 源治とミソの心配をよそに、ほたかとペッパーは軽い足取りで螺旋階段を上った。

 

 

 

 えんじ色の塔の四階【竜火山】は、でこぼこした岩の地面と多種多様な竜が生息するポータルだ。

 

「あっつ……」

 

 ほたかは着くなり過熱された空間の息苦しさに驚いた。見上げると空は赤黒く、灰が舞っている。遠くに見える火山は噴煙を上げており、大きな竜が群れで飛び交っている。

 

「見ろ。さっそく飛んできたぞ」

 

 源治と同じ方角の空を見ると、バスケットボールより一回りほど大きい身体の丸っこい竜が一塊で向かってきた。身体の割に尻尾が一メートル近くあるアンバランスな姿で、羽も小さい。

 

「炎の息と尻尾の攻撃に気をつけろ! 見た目より頑丈だぞ」

 

 ほたかは火山近くに見えた巨竜との戦闘を想像していたため拍子抜けした。しかし小さくともいざ何匹ものモンスターが飛んでくるとそれなりに迫力がある。

 

「来い!」

 

 ほたかが気合を入れる。源治の方へ数匹。ほたかの方へは三匹が飛んできた。三匹は正面から突っ込んでこず、剣の届かない位置で様子を窺っている。相手の出方を待つその姿には知性が感じられ、何か作戦があるようだった。

 

「グガアアアア!」


 一匹が叫び、息を吸い込む。少し身体が膨らんだ。たちまち口元が高熱になり、巨大なバーナーのような火を吐く。警戒していたほたかはそれを軽いステップで避け、間合いを取る。その間にもう一匹が息を吸い込み、灼熱を放出する。クロスした火は勢いを増しほたかを襲おうとするが、ほたかは後退して射程に入らない。

 

 最後の一匹が空中から突進を仕掛けてきた。ほたかはチャンスだと睨み、斬撃を与えようと構える。竜は突進しながら一回転した。自慢の尻尾の威力で、ほたかを叩き潰そうとしているのだ。ほたかは竜の意外な挙動に目を見開く。避けられる距離ではない。咄嗟に横向きにした剣で何とか受け流そうとする。ほたかはあわよくば尻尾にダメージを与えられると思ったが、想定通りにはいかなかった。

 

「かっ、たい!」


 頑丈な竜の鱗は、簡単に刃を通さない。重い一撃で、ダメージどころか受け流すことすらやっとだった。

 

ほたかは長い槍を華麗に操り戦闘する源治の姿を横目で見る。

 

「くそっ!」

 

 もう一匹の竜が突進してくる。さっきと同じパターンの攻撃だったため、思い切り刃を竜に食い込ませようとするが、やはり硬い。その後も突進が来るたびに剣を振るうが、浅い傷しかつけることができなかった。

 

「ガアアアアアア!」

 

 全く弱っている気配がない。ほたかはヘッドバンドを光らせ蓄電する。身体も剣も輝きを増しながら夢中で敵に斬りこみを入れようとする。


「おらぁ!」


 先ほどまでより強い斬撃が飛び出すようになった。悔しさと、勝ちたい気持ちがほたかの限界点を超えさせようとする。

 

「後ろ来てるぞ! 気をつけろ!」

 

「え?」

 

 遠くから源治が叫ぶので、ほたかは慌てて後方に注意を向ける。

 

「ガァ!」

 

 源治の方から流れてきた四匹目の竜がほたかに突進してきていたのだ。ほたかは目の前の三匹を倒すことに集中しすぎていた。気づいた時にはもはや手遅れ。鉄のように硬い尻尾がまともに脳天を直撃。鈍い音と共にほたかは意識を失った。

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