修練場と呼ばれている古い砦は、外は頑丈な壁で囲まれており、壁の内にはいくつかの塔が立っている。塔は三から五階くらいの高さで、それぞれの階にポータルが準備されている。それらのポータルの中はナトリション王国が作り上げた修練場となっており、ナトリションの一族が日々鍛錬する場所だ。砦とは見かけばかりで、ポータルの向こうには煮えたぎる火山や、凍てつく氷山、毒沼の森など危険なバーチャル世界がいくつも広がっている。
岳義凛々は四月一日以降、毎日修練場に来ている。凛々は強い敵と戦う日に備えて、いつも高レベルなポータルを選んでいた。その日、凛々が入ったポータルは【夜の古城】と呼ばれる空中の敵が多い平原と崩れかけた城があるポータルだった。
「アッパーカスケード!」
仮想の月明りに照らされた平原で、凛々は飛び上がって空中の巨大コウモリにパンチを繰り出す。コウモリは悲鳴と共に二メートルはある翼を萎ませ地面に落ちた。
「凛々ちゃん、ちょっと休憩したらぁ?」
パートナーのインコ・オリーブが凛々の肩に乗る。
「だめ。今日はもう少し城に近づきたいの」
「凛々ちゃんまじ努力家~」
ポニーテールにした長い髪を揺らしながら、凛々は力強く歩む。
「私は、姉さんの分も強くならなきゃいけないから……」
「ほどほどにねー。……ん?」
オリーブが何かを感じ取り、首を小刻みに回し始める。
「どうかした?」
「何か来てるよ! やばいの来てる!」
オリーブは緑の羽でばたばたと飛び上がる。オリーブが察知したのも束の間、凛々たちの上空に大きなポータルが現れた。
「魔空間……! こんな所に」
ジリジリと音を立てながら、魔空間から黒い物体がゆっくり下りてくる。それはよく見ると靴を履いており、人の姿をしている。
「人間、見ーつけた」
それは若い男の低い声だったが、真っ黒のローブにフードを被っており顔は見えない。地面から一メートルほど浮いた状態で止まり、凛々たちの前に立ちはだかった。
「凛々ちゃん気をつけて。こいつ、すごいエネルギー」
オリーブの言葉通り、凛々は今まで戦っていた仮想のモンスターとは比べ物にならないことを肌で感じた。
「……ダークトランス」
凛々が様子を窺っている間に、モンスターは両手で包むように闇の球体を生成すると、目にも留まらぬ速さでそれを放ち凛々を攻撃した。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
いきなりの攻撃に凛々は対応できず、上半身にまともに球体を当てられた。
「凛々ちゃん!!」
凛々の身体は痺れ、視界は薄暗くなってうずくまった。
「こんな所で……」
凛々は闇の攻撃に意識を持っていかれそうになったが、両拳を強く握って水の魔力を高める。
「負ける訳にはいかない!」
凛々は片膝を立て、モンスターを睨みつける。拳から溢れる水流は凛々の拳を丸く包み込み、ベールのようになった。
「心を奪えないとは……」
モンスターは凛々の正気を保った姿に驚き、そうつぶやいた。そしてモンスターが右手を掲げると、上空のポータルと共に一瞬にして消え去った。凛々は拳のベールを弱まらせ立ち上がる。
「一体どこに……!」
「凛々ちゃん! このポータルの外! 砦自体にモンスターの気配があるっぽい!」
凛々はオリーブと共に夜の古城を後にする。ポータルを出て塔の窓から敷地の中央を見下ろすと、壁や空中にいくつもの魔空間ポータルが現れていた。ポータルからはぞろぞろと多種多様なモンスターたちが流れ込んでいた。
「やばいよ! 絶対あいつの仕業だ! あたし、砦の近くにいる動物たちに知らせて応援よこしてもらうね!」
オリーブは窓から飛び立ち、凛々はモンスターがうじゃうじゃ湧いている中央へと向かった。
「おーい! 応援に来たぞー!」
十分ほど経って、戦う凛々の元へ応援が現れた。凛々はまとわりつく小さなコウモリと骸骨の兵士の対処に必死で、応援者の確認すらできない。おまけに横幅が凛々の三人分はある巨体モンスターも近くまで迫っていた。
「数が多いわね。二人とも、すぐに変身よ!」
シュガーから炎のブローチがくるみの手に渡った。ミソは雷のブローチをほたかに渡した。
「プロミネンス!」
「グランドプラズマ!」
二人は紅炎と雷光に包まれ素早く変身した。ほたかは変身するなり雷のごとく飛び出した。骸骨兵士の大群に飛び込み、帯電した剣で一気に薙ぎ払う。兵士たちはひっくり返って、すぐに塵となって消え去った。
「私だって……」
くるみも負けじと杖を構える。小さなコウモリたちがくるみとシュガーの存在に気づいて迫ってきた。
「フレイム!」
火球は勢いよくコウモリたちに飛んでいったが、コウモリはその軌道を見事に避け、さらにくるみに近づいてきた。
「やばい! 避けられた!」
「くるみ、集中してもう一回!」
シュガーが足元で助言する。
「フレイム!」
再び火炎がコウモリめがけて発射されたが、結果は同じだった。コウモリはくるみの顔の横幅くらいの大きさで、十匹ほどで固まっている。
「いやーーー!」
耳障りな羽音と、よく見ると目が三つあるその姿にくるみは怖気づいて逃げ出した。
「あ! ちょっと、逃げないでよ!」
シュガーに二匹のコウモリがまとわりつく。シュガーは後ずさりしながらもコウモリを引っ掻こうとする。くるみは逃げ惑うが、十匹近いコウモリが執拗にくるみを追いかけていた。
「何やってんだあいつら……」
ほたかは剣を振るいながら遠目でくるみの情けない姿に呆れた。
ほたかの応援により、大量だったモンスターの処理の目処が立ってきていた。凛々は息を切らしながら緑の巨体モンスターの相手をしている。素早く後ろに回り込み打撃を喰らわせようとするがモンスターも鈍くはない。身体を捻り、強靭な腕を振りかぶってくる。凛々の顔ほどある拳をまともに受けては、ただでは済まない。正面から蹴りを入れようとしても、その鉄のように固い腕でガードされ反撃が待っている。
「一体どうすれば……!」
凛々の戦闘できる体力も尽きてきた。近くで戦況を見守るオリーブが一旦離れることを指示するが、凛々は意地になってその拳を下ろさない。モンスターが凛々に再び襲いかかろうとしたその時、モンスターの背後に稲妻が走る。
「グォォォォォォォ」
モンスターは低い声で唸り、苦しんだ。ほたかが小さい敵をおおよそ倒しきって援護に来たのだ。
「大丈夫か!?」
ほたかが凛々を見やると、アクアマリンとホワイトの爽やかな衣装が既にぼろぼろになっていた。
「……しないでよ」
凛々は拳を強く握って俯いていた。
「え?」
「邪魔……しないでよ」
ほたかは凛々の様子に戸惑った。
「これは私の前にいる敵! 戦士族の助けなんて必要なし!」
凛々はほたかを睨みつけると、拳にまとった水のベールを肥大化させた。足元では水流を発生させ、かかと一点に集中。ウォータージェットの力で両の細脚をモンスターの元まで跳躍させる。その勢いのまま右拳を引き、強烈な正拳突きをお見舞いする。モンスターは両腕をクロスさせ守りの姿勢を取ったが、水の魔力で何倍にも膨れ上がったその腕力に、足裏を擦りながら後ろに下がった。
「つ、つえぇ……」
巨体すらも圧倒する凛々の技に、ほたかは手を出すことができなくなった。凛々は下がったモンスターにさらに詰め寄る。鈍い打撃音を響かせながら、今度は高速で突きを入れる。モンスターは唸りながら徐々に押されていく。目視が難しいほどの速さに、敵は反撃の糸口を見出せない。そして突きが数秒続いた後、右足を引き、凛々は息を吸い込む。モンスターは凛々と一瞬目が合うが、この瞬間、死んだも同然だった。
「トーレントクラッシュ」
モンスターの左耳辺りまで伸びる水の軌道が現れる。凛々は左足で跳び、右足を高く上げ弧を描く激流のごとく必殺の蹴りを繰り出した。モンスターは瞬間的に気絶。地響きと共に倒れこみ、数秒後には消滅した。
砦の中央に放たれたモンスターの大群は凛々たちの活躍により全滅し、魔空間ポータルもいつの間にか閉じられていた。
「オリーブ! 敵の反応は?」
「もうないっぽいー」
「そう……元凶の男には逃げられたみたいね」
凛々が変身を解除すると、ポニーテールの髪はほどかれブルージュの髪がふわりと広がった。
「おーい! お疲れー!」
ほたかは凛々に声をかけ気さくに寄ったが、凛々は血相を変えて後ろを向いた。
「めっちゃ強いなー! 武闘族の人だっけ? 名前は?」
凛々は後ろを向いたまま応答しない。
「あれ?」
ほたかは凛々の妙な態度を不思議に思った。
「……あなたと関わる気はない。行くわよ、オリーブ」
オリーブはぱたぱた飛んでほたかの困り顔に戸惑ったが「ごめんねー」と言い残し凛々と共に去って行った。
「何やら事情があるようですな」
ほたかの足元でミソは尻尾をしょぼんと下げた。
くるみとほたかは事態が収束したことを報告すべく王の元へ戻った。王室には既に凛々がおり、何やら会話しているようだった。
「おぉ、戻ったね。話はおおかた岳義凛々から聞いたよ。ご苦労だったね」
「ナトリション王、私はこれで失礼します」
凛々は二人との接触を避けるように王室を去った。
「最近、魔空間ポータルの出現が増えていてね。王国の警備も強化しないといけないね」
王はふーっと息を吐いて、王座に深く座り直す。
「それで、シュガーとミソ。修練場での戦い、二人を側で見ていてどうだったかな」
「はい。間藤くるみは戦いに慣れておらず、小さなモンスターに怯えて戦闘どころではありませんでした。まずはモンスターとの戦闘そのものをもっとたくさん経験しなければなりません」
「なるほど。戦いに慣れていないのは皆同じだからね。立ち向かう強い気持ちを持たないといけないかもしれないね」
くるみは逃げ惑い、ほとんどのモンスターをほたかに倒してもらった自分を思い出し情けなくなった。
「桐上ほたかはどうだったかな」
ミソは咳払いをして、しわがれた声で話し始める。
「はい。桐上ほたかは勇敢にモンスターに立ち向かい戦いに大きく貢献しました。これから数多の技を習得し、成長していくのが楽しみでなりません」
「それはすごい! 桐上ほたか、その調子で鍛錬を積んでいくんだよ」
「はい! ありがとうございます! もっと強くなりたいです!」
ほたかは威勢よく返事をすると、王は微笑みを見せた。報告が済むと、ほたかは再び修練場へ。くるみは両親の行方を追うため一階の歴史書庫へと向かう。
「なぁ、ミソ」
ほたかとミソはくるみたちと別れ、中庭を静かに歩く。
「何でしょう」
「今日のあの女の人、強かったよな」
「強かったですな」
ほたかが右拳を胸元まで上げ、強く握る。
「俺、あの人の戦い方見て、自分はまだまだだなって思ったんだ。力も技もスピードももっと磨いていかないとな」
「そうですね。ほたか殿なら必ず強くなれますとも」
ミソがふさふさの尻尾を楽しげに振る。
「ありがとう。それにさ、くるみもまだ強くないだろ? 俺がしっかり守れるくらいの余裕ないとなって」
「ほたか殿は優しいですな」
「まあな! 父さんにもそう言われてるし」
ほたかたちは修練場に到着し、塔の一階のポータルへとやって来た。
「さっ! やってやるぞー!」
「健闘を祈ります」
ほたかは戦士族として高みを目指し、ポータルの中へと勇ましく足を踏み入れた。
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