「歴史書庫の用事が終わったら、あなたも修練場行きだからね」
「え〜……」
「え〜じゃないわよ! あんまり弱いままだと王に見せる顔がなくなるでしょ!」
両親の行方を追うくるみは、シュガーとともに歴史書庫を訪れていた。歴史書庫の古い大扉を開けると、奥へと続く本棚が無数に並んでいた。本棚は背が高く、くるみの手が届かないような高さにまで本が並べられている。
「きゃっ」
部屋の奥で誰かの小さな悲鳴が聞こえて、ばたばたと床に重い物が落ちる音が聞こえた。
「何だろ?」
くるみはシュガーと目を合わせて、声がした方へ本棚の間の通路を歩む。
「あの、大丈夫ですか~?」
奥には本が積まれた大きな机と椅子があって、椅子の横にはブロンドのロングヘアが美しい女性が立っていた。
「あら、こんにちは。平気ですよ。ご心配をおかけしました。本が足元に落ちてしまって」
「あ! サークル王妃。お目にかかれて光栄です!」
シュガーが突然改まって頭を下げる。
「王妃?」
くるみは状況が理解できずに首を傾げる。
「そうよ! こちらはサークル王妃! ナトリション王のご夫人よ!」
「えぇ! は、初めまして! 私は間藤くるみです! えと、魔法族で……魔法族として頑張ってます! よろしくお願いしますっ!」
王妃は口に手を当て「うふふ」と笑った。縁のない小さな眼鏡の奥で、優しい眼がくるみの緊張を解こうとしていた。
「初めまして、間藤くるみさん。そんなに堅くならないでください」
王妃はそう言うと、ゆっくりしゃがんで落ちた本を机に戻す。
「あぁ、私も手伝います」
「まあ、ありがとうございます」
くるみは本を全て戻すと、書庫に来た理由を王妃に説明した。王妃は「それは大変でしたね」と慈悲深く、くるみの話に耳を傾けた。
「そうですね。ご両親が一族の人間であったのであれば、この歴史書庫には二人の記録も残されているはずです。一度探してみましょうか」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
くるみが両親の誕生日と名前を伝えると、王妃は書庫を探し回り始めた。
「この書庫には歴代の一族の記録が全員分あるんですよ」
「歴代って、一族は一体いつから存在しているんですか?」
「さあ、どうなんでしょう。私には分かりません」
王妃がくるみの手が届かない棚の本を、人差し指で横になぞっていく。
「このナトリション王国のものたちは過去の記憶が曖昧なんです。いえ、曖昧というか鮮明だったことも嘘のように忘れてゆくんです。一つ分かっていることは、一族として戦って下さっている人間の皆さんより、過去という概念が薄いということです」
「過去の概念が、薄い……」
くるみが難しい話に思考停止している間に「ありました」と、王妃がヒントになりそうな本を見つけ出した。
「間藤……誠次さんですね」
くるみの父、そして母・まい子の本のページも見つけ出し、くるみとシュガーは座って興味津々に二人の記録を読む。記録には人の名前と生年月日、学校名、族名、そしてパートナー名がずらりと記されていた。
「サークル王妃、この最後に書いてある"完"って文字は何ですか?」
「それは十八歳になって何事もなく契約満了しました、という印ですね」
くるみは少し頭を捻って考える。
「……じゃあやっぱりママとパパはちゃんと一族の人間で、二人共魔法族として十八歳まで戦ってたんだ。それで二人はどこかで出会って、生まれたのが私……」
「これで確信が持てましたね。ご両親がなぜ一族であることを明かさなかったのかは謎ですが、やはり魔空間への幽閉説が濃厚ですね」
「私の言った通りだったわね!」
シュガーが得意げに首を伸ばす。
「そういえば。幽閉で思い出しましたが、間藤くるみさんと確か同じ学校の内槙秀平さんという方が行方不明だそうです。内槙秀平さんも同じく魔法族で、歳は間藤くるみさんの一つ上です。間藤くるみさんも大変でしょうから特別お願いする訳ではありませんが、頭に入れておいて下さい。同じ学校であれば何か手がかりが見つかるかもしれませんので……」
「内槙秀平さん……」
「くるみ、知ってるの?」
「うーん、知らない」
シュガーに問われたが、入学して間もないくるみに思い当たる人物はいなかった。
「王妃、どうして私とその人が同じ学校だって知ってるんですか?」
王妃の優しい眼がまた細くなって「うふふ」とおっとり笑う。
「行方不明者の情報把握はもちろん、随分と契約に遅れて来た問題児さんのこともちゃんと知っていますよ」
くるみは自分のことをきちんと把握している王妃に驚き、そしてばつが悪そうに苦笑いした。
次の日、戦いと修練で疲労の残るくるみは、授業中に少し居眠りをした。幸い教師が気づくことはなかったが、授業中に眠ることはくるみにとって初めての経験だった。
「麻紀ちゃんご飯食べよー」
「あ、うん……」
昼休み、くるみは弁当と水筒を持って窓際の麻紀の席まで行く。
「麻紀ちゃん。昨日、美術部の見学どうだった?」
「あー、よかったよ」
「私も今日一緒に行っていい?」
「今日は活動日じゃないんだって」
「そうなんだ。次いつ?」
麻紀は箸を取り出し、弁当の蓋を開ける。くるみは麻紀の隣の空いている席を借りて弁当と水筒を置き、座る。麻紀はくるみの質問に答えず、自分の水筒の茶を飲み始める。くるみは昨日までとの明らかな態度の違いに、焦りで顔が火照ってた。かける言葉が見つからない。日差しの温かいこの空間に、冷たい沈黙がくるみの身体に突き刺さるようだった。
「別に……入りたくないんだったらいいよ」
麻紀がようやく口を開いた。
「え?」
「昨日の用事って何だったの」
麻紀の大きい丸眼鏡が外の光を反射させる。
「あぁ、だから昨日は家の用事で――」
「家の用事ね。家の用事にはほたか君も一緒じゃなきゃダメなんだ」
麻紀が早口になってまくし立てる。
「えっ、何のこと?」
「とぼけないでよ……。昨日、会う約束してたよね? 別に関わりないとか言ってたくせに。くるみちゃんって嘘つきなんだね」
くるみは麻紀の機嫌が悪い理由をやっと理解した。返す言葉がなかった。もちろん、一族として王国の契約に一緒に来てもらっていた、などと真実の説明はできない。くるみの頭は真っ白になって、咄嗟に都合のいい言い訳も思いつかなかった。
「ごめん……」
くるみは申し訳ない気持ちと弁解のしようのなさから、ただ下を向いて謝ることしかできなかった。峰が作ってくれた美味しいはずの弁当も、喉を通らないまま昼休みは終わった。
放課後、正午頃とは打って変わって日差しは厚い雲で見えなくなっていた。麻紀は掃除当番をさっさと終わらせて家路につく。昼休みの出来事やほたかの顔が自然と浮かんできて、怒りと喪失感が心を引っ掻き回した。
駅の近くの細い路地には木造の古い一軒家が並び、それらはほとんどが空き家のようだった。ちょうど家の並びに西日が隠れて陰になるため、晴れの日であってもそこは薄暗い湿った雰囲気を漂わせる。麻紀はその道が決して好きではなかったが、自宅マンションへ向かう最も近いルートだった。
重いスクールバッグ片手に、長めのスカートを揺らしながら早足で路地を抜けようとする。車が一台も停まっていない小さな駐車場を通りすぎたその時。
「フフフ」
麻紀は確かに男の低い笑い声を聞いて、背筋が凍った。おそらく右側、駐車場の奥の方から聞こえたその声は、人間がその場で発声したような声ではなかった。まるでマイクを通してエコーでもかかっているかのようで"聞こえた"というよりは"聞こえるように"意図的にに出された声に麻紀は感じた。麻紀はさらに速度を上げる。全ては気のせいであると自身を信じ込ませながら。
「弱った人間、見ーつけた」
無視は通じなかった。もう気のせいでは済まされなかった。東の方角から聞こえていた不気味な声音は、もう、後方で響いてくるのだ。麻紀は足が震えて真っすぐ歩けなかった。
「……ダークトランス」
聞き慣れぬ言葉と、ジリジリと弱った蝉が鳴くのような音がして麻紀は思わず振り返る。黒いローブの男が浮いていた。口元だけが見えて、口角が釣り上がっていた。その口元は麻紀が恐怖するのを楽しんでいる。ジリジリと鳴っているのは胸元で生成された魔法弾だった。
「いやぁぁぁ――」
球体は、麻紀が叫ぶのと同時に発射された。湿った路地で一瞬だけこだました叫び声は、突然起こった凪のごとく闇に消え入った。
麻紀が何者かに襲撃される数分前。
「わぁ……これどうしたらいいんだろ……」
くるみはシュガーと共に二日ぶりに自宅を訪れていた。
「ロック解除できないんでしょ? どうしようもないわよ」
家の中は当然何も変わっていない。ローテーブルに置いたままの父のスマートフォンに電話やメールの通知が大量に来ていたが、くるみはどうすることもできなかった。
「フリーランスって言っても、二日も連絡取れてないの絶対やばいよね……」
仕方がないので両親のスマートフォンを充電器にだけ取り付け、一度全て忘れようとソファにだらしなくもたれかかる。
「はぁ……」
シュガーもソファの上に飛び乗り、ため息をつくくるみの横で伸びをする。
「やっぱり警察とかにも届けた方がいいのかなぁ……」
「一族でもない人間たちが魔空間を見つけて捜索できるとでも?」
「だよねぇ……」
床に置いたスクールバッグからスマートフォンを取り出し、写真フォルダを見る。
「私、いつまでほたかの家でお世話になるんだろ」
自分と両親が写った写真データを眺める。テーマパークで三人は何の疑いもなくにっこりしている。今はデータの中にしか存在しない二人があまりに遠く感じられて、くるみは頭がぼーっとした。
「後で冷蔵庫の腐りそうなもの全部詰めて、ほたかの家に持って行こっと」
「くるみ、それは夜することになりそうよ」
シュガーが突然首を伸ばし、耳を立てる。
「え? どういう――」
「敵がいる! ちょっと遠いけど、確かに感じるわ」
「またぁ?」
「たぶんこれは魔空間じゃないわ。モンスターが現実世界に流れ込んでる!」
面倒臭そうにしたくるみも、シュガーの言葉に身体を一気に跳ねさせる。
「それってママとパパの時みたいな!?」
「そうよ! かなり強い反応よ。くるみ、直ちに向かうわよ!」
戦いも修練も好きではなかった。自分に降りかかった運命もまだ受け入れきれてはいなかった。それでも、両親の笑顔をまた見られるのならば。
「いってきます」
くるみは誰に言うわけでもなくそうつぶやくと、光の差さない薄暗い街へと飛び出した。
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