悲鳴を上げたくるみの元へシュガーが辿り着くと、尻もちをついたくるみとその頭上には緑の羽で飛ぶ鳥がいた。
「あなたねぇ……」
必死な表情で助けを求めるくるみに、シュガーは呆れた。
「まじ失礼~。モンスター見るような目で見ないでよねー」
飛んでいたのはオリーブだった。
「ほんと、ごめんなさい……」
オリーブの後ろから凛々がやって来た。くるみは申し訳なさそうにするが、オリーブの機嫌は悪い。凛々たちも駐車場にあった魔空間を見つけて、くるみたちと同じく迷路に迷い込んでいたのだ。
「あっ、前にナトリション王国の戦いの時に会いましたよね?」
くるみが凛々の顔を見て気づく。しかし凛々は「覚えていない」と無表情であしらう。
「剣を持った男子と一緒にいたんですけど……」
くるみの言葉で何かを思い出したようで、凛々の表情がみるみる険しくなる。
「あなたたちと一緒にいるつもりはない。行くわよオリーブ」
凛々が背中を向けるとオリーブは「凛々ちゃんちょっと待ちなよ!」と止めた。
「絶対協力した方がいいって! しかもあの子、学校同じなんでしょ?」
オリーブの制止に凛々は苛立ったが、迷路の出口を見つけるのにもう三十分以上経っていることが頭をよぎる。
「……ここを出るまでの間だけ協力する」
悔しそうに凛々は了承した。くるみとシュガー、そして凛々とオリーブは互いに自己紹介をし、共に迷路を歩くことになった。くるみは凛々が同じ学校で同じ学年だと知り、親近感を覚えた。
「私はこっちから歩いてきたの」
凛々が、来た道を案内する。
「何か変わった所とかありませんでしたか?」
「敬語やめて」
「あ、ごめん、なさい……。何か凛々ちゃん大人っぽくてつい……」
オリーブは「はい、凛々ちゃん笑顔笑顔―」と愛想のない凛々をたしなめる。
「……色があって、触ると音の鳴る壁があった」
凛々がぽつりと言った。
「あ、私もあった! 音が鳴る黄色の壁!」
くるみがすぐさま反応する。
「黄色? 私は赤と黄緑だった」
「あたしはオレンジと水色見つけたよー!」
オリーブが凛々の肩で元気に言う。二手に分かれて出口を探していた凛々とオリーブもまた、それぞれ違う色の壁を見つけていたのだ。そして全員が壁に触れており、同じプオンという奇妙な機械音を聞いていた。
「あれに何の意味があるのかしらね」
シュガーが歩きながら頭を悩ませていると、オリーブが「あっ、見て!」と飛び上がった。
「紫の壁!」
角を曲がった先に現れたのは一面紫色の壁だった。怪しみながらもくるみたちは一通り壁を触ったり叩いたりしてみたが、音が鳴ること以外はこれまで見てきた色付きの壁と何ら違いはなかった。
「色が変わる訳でもなさそうだし、どこにいるかの目印にはなるわね」
シュガーが何とか壁に意味を見出そうとするが、くるみたちのなかなか迷路から抜け出せない不安感は強まっていくばかりだった。
「これで六色ね。一体何色あるのかしら」
さすがの凛々も立ち止まって、壁にもたれかかる。
「せっかく人数いるし四つに分かれてみるー? 全部見つけられたら出口もあるかもだし」
まだまだ元気なオリーブが凛々の頭に乗っかって呼びかける。
「赤……オレンジ……黄色……」
「くるみ? 何ぶつぶつ言ってるの?」
くるみが座って小声で何かをつぶやくので、シュガーが不審がって尋ねる。
「あ、うん。今まであった色について考えてたの」
「色について?」
シュガーが聞き返す。
「ここまでに出てきた色は赤、オレンジ、黄色、黄緑、水色、それから紫でしょ? 何かちゃんとグラデーション出来そうだなと思って」
「グラデーション……。それが脱出に関係あると?」
凛々もくるみの話に興味を持つ。
「うーん、分からないけど、本当に色がグラデーションしてるなら今足りない色は黄緑と水色の間の、たぶん緑。それから水色と紫の間の青がないと思う」
「じゃあとりあえずあと二色見つければいいんだ!」
オリーブが目を輝かせる。
「どうだろ。見つけたから脱出できるのかは分からない。しかももっと細かいグラデーションなら、青緑とか赤紫の壁だってあるかもしれないし……」
くるみの不安をよそに、三分ほど歩いた距離にすぐ青色の壁があった。
「くるみの考え、正解だったんじゃない?」
シュガーはそう言って、青色の壁に前脚で触れてみる。
“プオン プオン”
「あれ?」
シュガーが今までの壁とは違う点に即気づいて首を傾げる。凛々も壁に触れる。
“プオン プオン”
「音が、二回鳴るわね」
「変なのー!」
オリーブも騒ぎ立てて足で何度も触れる。くるみがやってみても、やはり音が二回鳴った。
「くるみ、何か分からないの?」
シュガーがくるみに意見を求めると、くるみは腕を組んで「うーん」と唸る。
「どうなの、どうなの?」
オリーブもくるみの近くを飛び回りながら耳を傾ける。
「確かじゃないけど、次は水色の壁まで案内してもらってもいいかな?」
「え!? 水色はあたしがもう触ったよ? 何でー?」
オリーブが驚いて高く飛び上がる。
「合ってるかは分からないけど、ちょっと試してみたくて」
一同はくるみの言った通り、水色の壁へと戻る。
「何か疲れてきちゃったなー」
オリーブも少しは静かになって、凛々の右肩で羽を休める。風も音もない、モンスターさえいない迷路空間は、くるみたちの体力や精神力を少しずつ、少しずつ削っていた。
くるみたちが迷路に苦戦しているその頃、ほたかはヴィーナス像の空間で窮地に追いやられていた。
「俺……こんな所で……」
魔法陣から発射された三本の彫刻刀がほたかの眼前まで迫る。
「ほたか殿ぉぉぉ!」
ミソが叫んだその時、座り込んで動けないほたかの前に円形の盾のようなものが現れた。それは紋章の描かれた半透明の緑で、ほたかを攻撃から守った。人間を貫通する勢いで飛んできた彫刻刀だったが、その円は刃が当たるとそれに反応するように光って跳ねのけた。三本は全て力を反射され、甲高い金属音と共にぱらぱらと床に落ちた。そしてほたかを守った円も縮んで、跡形もなく消えた。
「ふぅ、危なかったな」
ほたかより背丈の高い男性が像の右手側、壁の近くに突然現れた。外から魔空間を通じてこの場所へとやって来たのだ。
「危なかったですねー!」
その横には毛並みが橙色と白色の小さなリスザルがいて、流ちょうに喋っている。
「おい、大丈夫か」
男性はほたかに駆け寄り、大きな左手を差し出す。シルバーにエメラルドグリーンのラインが入った鎧と、右手に持った鋼の槍が眩しくほたかの瞳に映る。
「大丈夫です……」
ほたかは男性の手を借りて、ゆっくり立ち上がる。
「ありがとうございます……。一族の人ですよね? また攻撃が来ると思うので気をつけて下さい」
「俺は騎士族の北條源治ってもんだ。お前は?」
「俺は戦士族の桐上ほたかです」
「桐上……。まだ動けるか?」
「はい、何とか。さっきよりましになりました」
ほたかは壁に激突した衝撃で身体が悲鳴を上げていたが、残った気力でまた剣を握る。
「お? 犬―!」
ミソを発見したリスザルが源治の足元から離れ、胸を撫で下ろすミソの元へ近づく。
「助けて頂いて何とお礼を言えばよろしいでしょう。間一髪でした」
ミソは丁寧にリスザルに礼を言う。
「いいってことですよー! あ、私の名前ペッパーと申します。彼、北條源治のパートナーですー! 以後よろしくお願いしますー」
ペッパーが早口で挨拶をしている間に、像の魔力がまた高まっていた。源治はその気配を察知してミロのヴィーナス像をいぶかしげに見つめる。
「あの彫刻が敵だな? あいつについて分かってること、全部教えてくれ」
像の尻の辺りに二つの魔法陣が現れる。それぞれが源治とほたかに向いており、うかうかしていると額に穴が空く。
「あそこからすげぇ勢いで彫刻刀が飛んできます。隙をついてあの本体に斬撃しようとしたら魔法か何かで跳ね返されました」
「なるほどな。おい、来るぞ。俺の後ろに回れ」
ほたかが源治の幅の広い背中に回り込みしゃがむ。源治は左手、左足を前に出し、構えの姿勢を取る。魔法陣から三角刀と丸刀が飛び出した。
「クレストバリア」
源治が唱えると、手のひらの中心から緑の円形が現れ、まばたきもしないうちに源治の図体をも隠してしまうほどの大きさになった。ほたかは先ほど小さなバリアを即座に張って守ってくれた源治の状況判断能力に改めて凄みを感じた。バリアは厚く、光で反射するように二本の刃をまた簡単に弾いた。
「よし、俺のバリアがあれば防御は大丈夫そうだな。後は攻撃をどうするか……」
「あの! 今気づいたんですけど、あいつから出てきた彫刻刀、時間が経つと消えるみたいです!」
ほたかの発見に源治が足元を見ると彫刻刀が二本しか落ちていない。ほたかを狙っていた三本の彫刻刀はいつの間にか消えていたのだ。そしてほたかが避けて壁に刺さったはずの彫刻刀も、衝撃でできた壁の亀裂だけを残してなくなっていた。
「あの彫刻刀もやっぱ魔法の一種だと思うんで、逆にあれを使う攻撃なら効くかなって!」
像にはもう次の魔法陣が生成され始めた。
「つまり俺らの剣や槍で無理でも、やつ自身の武器ならダメージを与えられると?」
「そうです! 一度、さっき落ちてきた二本、あいつに投げてみていいですか?」
「分かった。気をつけろ。次の攻撃が終わってからだ」
魔法陣から切り出し刀が飛び出す。しかし源治の張るバリアは鉄壁で、銃弾のように速い刃をもろともしない。また地面に彫刻刀が一本増える。
「やります!」
剣を置いたほたかはかがんだまま落ちた彫刻刀を三本拾い上げ、敵の攻撃がまだ来ないことを確認する。それから源治のバリアの横に立ち、右手に構えた一本を投げつける。ダーツの矢のように投げられたほたかの三角刀は、外れることなく尻の上辺りに命中した。刺さらずに下に落ちたが、ほたかが剣で斬ろうとした時のような弾き返しはなかった。
「どうやらそれが正解みたいだな」
源治が像の背中に入った傷を見て言う。ほたかは続けざまに残りの二本も投げる。一本は外してミソたちがいる方へ飛んでしまったが、もう一本はまた同じような場所に当たった。ヴィーナスのなめらかな背中に傷ができ、小さな石片が落下する。
「ペッパー! お前も投げてみろ!」
源治が野太い声で像の正面側にいるペッパーに呼びかける。
「了解ですー!」
ペッパーはほたかが外した彫刻刀を小さな手で拾い上げ放り投げる。投げた切り出し刀は見事にへそ近くに当たり、また傷ができた。
「ダメージ入ったみたいですー!」
ペッパーが嬉しそうに報告すると源治も「よくやった!」と褒めた。
「あの像、見た所人間しか狙わないみたいだな」
源治はそう言いながらバリアを張り続ける。
「ですね! 俺たちも何とか正面に回って、ペッパーたちと一緒に攻撃した方がいいですかね」
ほたかが提案するが、源治は「いや」と否定した。
「パートナーを危険な状況にさせたくない。あくまでペッパーたちには補助的に動いてもらう」
そうしてミロのヴィーナス像との持久戦が始まった。源治がバリアして落ちた彫刻刀をほたかが投げる。外したものはミソが咥えて拾い、ペッパーがそれを正面から投げる。像の肌は少しずつ崩れてはいくものの、それはあまりに時間のかかる作業だった。像の崩壊と比例して、ほたかたちの体力も確実に奪われていく。手負いのほたかは作業を繰り返す中で、何か良い方法はないか思考を巡らせるのだった。
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