くるみは凛々を止められず、凛々のパンチが麻紀の顔面に飛ぶ。しかし麻紀はすんでの所でそれを避けた。影と一体化した麻紀は瞬間移動したのだ。
「凛々ちゃん後ろ!」
オリーブが叫ぶ。凛々はハッとして振り返る。見ると、麻紀は一メートルほど後ろで口を大きく開いていた。
「何?」
警戒する凛々への攻撃は特殊なものだった。真っ黒な口から鮮やかなマゼンタの色をした液体を飛ばしてきたのだ。凛々は噴射されたものを上半身を傾けてぎりぎりで回避する。液は勢いそのままに木壁とキャンバスや丸椅子に付着した。重みのあるその液は壁で跳ね、少量が凛々の太股に付いてしまった。キャンバスや丸椅子がシューと音を立てながら溶け始める。
「あっつ……!」
太股に付いた液が凛々の皮膚を蝕む。液は高熱で皮膚を溶かし、やがて蒸発して透明になった。透明になる代わりに皮膚は炎症を起こした。凛々が苦しんでいる間に、麻紀は容赦なく次の攻撃を放とうと口を開けた。
「まずいな!」
ほたかが状況を見て駆けだす。源治は右手をかざし、凛々にバリアを付与する。ほたかは光の速さで麻紀の背中に斬りかかろうとする。しかし案の定、麻紀は瞬間移動し、ほたかの左手側の壁際へと逃げた。そして今度はほたかに向けて口が開いた。開いた口からシアンの液が発射される。源治は即座に凛々のバリアを解除して、ほたかにバリアを張る。ほたかは抜群の運動神経で液を避け、残された源治のバリアに液がかかった。バリアはドライアイスのような白煙と共に溶け去った。
「バリアが溶かされた……!」
大抵のものは防げるバリアが消滅し、源治は目を見開いて驚いた。麻紀の猛攻は止まらない。またなりふり構わず口を開け、ほたかを狙っている。
「麻紀ちゃんやめて! やめてよ!」
くるみが名前を呼ぶが麻紀に反応はない。麻紀はイエローとマゼンタの液を連射した。ほたかは身体を捻らせ回避したが、液の射程には源治、ペッパー、ミソがいた。源治は瞬時にバリアを張り、二色の液を受け止めた。二色はバチバチと音を立てながら混ざり、赤色の液になってバリアを溶かしきった。
「麻紀ちゃん! 元に戻って!」
くるみの訴えはまた無視された。皆の立ち回り、技の速度、何をとってもくるみにできそうなことはなかった。下手に魔法弾を撃っても避けられて、余計な事故が起こりかねない。自分が足手まといでしかないことを痛感する。
一方で凛々は太股の痛みを、湧いてくる怒りで感じなくなっていた。戦士族に助けられた屈辱。そしてもう一人の男のサポート。技の一つも出せずに立ち尽くすだけの間藤くるみ。拳に沸々とベールを溜め込む。足元の水流は渦巻く嵐のように。凛々は唸りを上げて麻紀の元へ突撃する。麻紀がそれに気づき、シアンとイエローの液を放出する。凛々は殺気立った表情のまま液をやすやすと避ける。麻紀を再び殴り倒す姿勢を取るが、やはり麻紀は瞬間移動し、凛々と場所が入れ替わる形になった。凛々は諦めない。怒りに任せ、麻紀を猪突猛進に追いかける。またマゼンタの液が飛び出す。量が少し減ったようだったが、勢いは変わらない。かかとに集中させたウォータージェットが左右の回避を容易にした。液はほたかのすぐ横を通過し、くるみ、シュガー、オリーブがいる部屋の角へと飛んだ。
「危ない!」
シュガーが叫んだが、くるみの反応は追いつかない。間一髪の所で源治のバリアに助けられた。凛々は周囲のことなどお構いなく、麻紀に殴りかかろうとしている。液が何度も放出され、部屋にいる他の三人、そしてパートナーの四匹は危険にさらされた。バリアを連発していた源治も、とうとう苛立ちを隠せない。
「おい! むやみに動くな! 周りのことも考えろ!」
凛々は源治を横目で睨む。
「凛々ちゃん、まじ危ないから止まって! 他の人と協力しなきゃだよ!」
オリーブにも指摘され、ようやく凛々は麻紀への猛攻を止める。
「お前たちの個人的な事情なんて俺の知ったことじゃない。今ここにいる四人と、四匹で、敵を倒すことだけに集中しろ! 俺は、誰も失いたくない」
源治の言葉に、場が一瞬静まる。
「源治さんの言うとおりだ! くるみ! あの子、お前の友達なんだろ? 何か、こうなってる原因とか分からねえの?」
ほたかに問いかけられ、くるみは困惑した表情を見せる。
「はっきり分かんないけど、私、麻紀ちゃんに嘘ついちゃったの。そのことで今日は麻紀ちゃんすごく怒ってて……」
「絶対それだろ! とりあえず謝れ!」
麻紀は部屋の隅でゆっくり身体を揺らして佇んでいる。
「麻紀ちゃん、嘘ついてごめんね! 私、今ママとパパがいなくて、ほたかの家でお世話になってるの。急なことだったからうまく麻紀ちゃんに話せなかったの。悪気はなかったの!」
麻紀は俯いたままぼそぼそと話し始めた。
「せっかく友達になれると思ったのに……」
「ごめん。ごめんね。友達で、いようよ……」
くるみが弱々しく一歩を踏み出す。
「部活も一緒に入ろうと思ってたのに……嘘つき嘘つき嘘つき!」
麻紀を覆う影が一段と濃くなったようだった。
「敵の魔力が上がってますー!」
ペッパーが増大した魔力を感じ取りすぐさま注意を促す。漆黒に染まる麻紀からシアンとイエローの液が発射される。凛々やほたかは部屋の端に移動し、その攻撃から逃れる。自らの瞬発力では攻撃を避けられないくるみは、源治のバリアに頼らざるを得なかった。シアンとイエローの液がバリアを溶かしながら混ざり、緑になった。緑の液はやがて透明となってくるみの眼前で溶け消えた。くるみは微動だにしない。
「やっぱりそういうことなんだね」
くるみの表情が険しくなる。
「あの、次の攻撃、バリアしないで下さい。私、身体で受け止めます」
源治に突拍子もない指示をするくるみに、一同は驚愕した。
「くるみ! 何考えてるの! あんなのまともに受けたら命が何個あっても足りないわ!」
シュガーが必死に訴える。
「そうだよ! お前までどうかしちゃったのかよ!」
ほたかも同じ意見だった。
「お願いします。私に考えがあります」
くるみは魔法の杖を地面に置いた。源治は葛藤する。
「信じて、いいのか……?」
「はい。信じて下さい」
くるみの決意は変わらない。その瞳は、決して気の触れたような瞳ではなかった。源治はくるみの目を見て頷く。
「源治さん! ダメですよ! 絶対バリアして下さい」
ほたかが必死に止めようとする。
「大丈夫」
くるみがほたかに向けて力強く言ったその時だった。対角にいる麻紀からマゼンタの液が勢いよく放出された。くるみが顔の前で腕をクロスさせて液を受け止める。液の大部分は腕にドロッと付着し、頭皮や顔、胸にも飛び散った。シューと音を立ち始めたのも束の間。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
くるみの絶叫がこだまする。液が付着した部位が漏れなく蒸気を上げて、くるみの細胞という細胞を引きちぎって溶かす。地獄のような叫び声を上げるくるみだったが、うずくまったり、倒れたりはしなかった。マゼンタの色が少し薄くなる頃にはくるみの腕はただれて見るも無残な有様になっていた。
「そんな……」
凛々はその姿に絶句した。少し太腿に付いただけで熱くてたまらなかった液を、全て自らの細腕で受け止めていることが信じられなかった。
麻紀はやはり正気を失っているようで、無情にも続いてシアンの液を放ってきた。くるみは同じ態勢のままそれを受け止める。シアンの液は凍えるような冷たさで、骨まで見えそうなくるみの腕にとどめを刺すようだった。聖水をかけられた悪魔のごとく、くるみは叫び続ける。足はガタガタと震え、意識を保っているのがやっとのように見えた。ファイアーレッドの魔法の衣装にも穴が空き、美しかった髪は部分的に溶け、顔も腫れている。シアンの液は薄くなったマゼンタと混ざり合い、濃い青色になった。
「これが……」
くるみは荒い息で何かを呟き始める。
「麻紀ちゃんの感じてる不安とか、痛みなんだよね……」
「もうやめろよ! お前ほんとに死ぬって!」
ほたかが目を潤ませる。
「くるみちゃんいやぁぁぁ!」
オリーブが悲しげに地面に落ちる。源治は右手をかざし、凛々は麻紀めがけて走り出そうとしていた。
「あと一発! あと一発待って!」
くるみが脂汗を滲ませながら全員に苦しそうな声で懇願する。それは誰も見たことがない気迫だった。ほたかはくるみに何かが憑りついたのだと思った。自分の知っているくるみとはあまりにかけ離れているからだ。そして間もなく三色目、イエローが口から飛び出す。
イエローは脊髄まで痺れてくるような毒液だった。くるみはそれを受け止めると白目を剥いて痙攣し始めた。意識を失ったくるみは膝から崩れ落ちる。付着した液はパチパチと痛々しい音を上げながら、濃い青色と混ざり始めた。
「源治さん! バリア!」
ほたかに言われ、源治はくるみの前に大きめのバリアを張る。ほたかとシュガー、そしてミソが座り込んで動かなくなったくるみに駆け寄る。
「くるみ! くるみ!」
シュガーが呼ぶが返事はない。
――せっかく友達になれると思ったのに
くるみは混沌とする意識の中で、麻紀の声を聞いた。
――友達ができるか不安なの
――あんな明るい幼馴染がいて羨ましいなぁ
――どうして嘘つくの?
――一緒に美術部の見学行きたかった
――ほたか君が優先なんだね
――所詮私なんか、
――誰の一番にもなれないの
シュガーやほたかの声が遠くからやって来て、くるみは息を吹き返す。
「くるみ!?」
くるみが目を開けるとシュガーが顔を覗き込んでいた。
「私……」
くるみは自分が意識を失っていたことを自覚する。そして自分の腕が目に入る。それは赤でも青でも、黄色でもなかった。真っ黒になっていたのだ。
「ほら……」
くるみが顔を上げて、その場に立ち尽くす麻紀をバリア越しに見つめる。そして黒くなった腕を前に差し出して優しく微笑む。
「麻紀ちゃんと同じ色」
源治が保っていたバリアを解除する。この世の終わりのような激痛は、もう嘘のように感じなくなっていた。顔の腫れていた部分は黒くなって、麻紀と同じ墨のように深い影の色になっていた。その一方、漆黒に染まっていた麻紀は頭髪から右目にかけての色が元の人間の色に戻っていた。
「麻紀ちゃん、辛いことは分け合って欲しいの。だって、友達だもん」
麻紀の右目から今確かに、一筋の涙が零れ落ちた。
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