僕は現在、先輩の家と思しき建物の前に立っている。
もちろん急に押し掛けたというワケではない。ちゃんとお呼ばれしたのである。
ゴクリと唾を飲みこみ、家の表札を確認する。
そこにはお洒落な感じで『Hatsuse』と書かれていた。
(……やっぱり、ここが初瀬先輩のハウスで間違いなさそうだ)
覚悟はしていたつもりだが、いざ先輩の家を目の前にしてしまうと、やはりどうしても緊張してしまう。
事と次第によっては、僕は今日、大人の階段を上ることになるかもしれないのだ。
緊張するなと言う方が無理な話である。
正直、期待する気持ちが無いと言えば嘘になるだろう。
しかし、僕にはまだ、先輩の巧みな攻めに耐えきれる自信は全く無い。
そんな僕が、本当に先輩を受け入れても良いのだろうか……
「っ!?」
先輩の家の前で悶々と悩んでいると、不意に視界が塞がれる。
そして同時に、背中に柔らかな感触が押し当てられた。
「だ、誰でしょうか?」
「……」
なんとか絞り出した僕の質問に、返事は返ってこなかった。
代わりに、背中に触れた柔らかなものが、より強く押し付けられる。
(こ、怖いんですけど……)
目隠しをしてくる相手から返事が返ってこないというのは、はっきり言ってかなり怖い。
この手の行為は、相手が誰か推測し易いからこそ成り立つコミュニケーションだ。
声という情報が無いだけで、犯罪の匂いさえしてくる危険な行為に様変わりしてしまっている。
「……先輩、じゃないですよね?」
僕が恐怖を感じている最大の要因がコレだ。
ほのかに漂う石鹸の香りも、背中に押し当てられた豊かな双丘の感触も、先輩にそっくりではある。
でも、絶対に先輩ではないという確信が僕にはあった。
「あら? どうしてわかったの?」
背後の女性から、初めて反応が返ってくる。その声はやはり、先輩のものではなかった。
「先輩の手は、もっとスベスベしてますから」
「なっ!? ぐ、ぐぬぬ……、確かに水仕事が多いから荒れているとは思っていたけど、それで判断されたのはちょっとショックだわ……」
本当は背中に押し当てられた感触が先輩よりもボリューミーだったというのもあるのだが、それは言わないでおく。
「ああっ!? お母さん、何してるの!?」
そんなやり取りをしていると、前方からドアを開ける音と、先輩の声が響いてくる。
なんとなく予想はしていたが、どうやら背後の女性は先輩のお母さんだったらしい。
「何って、どこまでイケるかなって……」
「「何が!?」」
先輩のお母さんの発言に、僕と先輩がハモってツッコミを入れる。
そんな僕達の反応に、先輩のお母さんはふふふと笑ってようやく僕を解放してくれた。
「だって娘の彼氏がどんな子かって、やっぱり気になるじゃない? だから、試してみたの」
「だ、だから、何を試したの?」
「それはもちろん、娘のことをどれだけ理解しているか、よ? 良かったわね伊万里。藤馬君、ちゃんと貴方じゃないって即答できたわよ?」
その言葉に先輩は少し照れたような反応を見せたが、それを誤魔化すように今度は僕を睨んでくる。
「それは嬉しいけど、そんなデレデレしている人にはお仕置きです!」
そう言って先輩は、僕のおでこにデコピンをしてくる。
地味に痛かったのだが、残念ながら背中に感じた感触の破壊力はそれ以上だった為、僕の顔は暫くの間緩みっぱなしなのであった。
…………………………
…………………
…………
「あの、先輩、そろそろ機嫌を直していただけないでしょうか……」
部屋に招かれたのは良いのだが、先輩は座りもせず、暫し無言で僕のことを睨みつけていた。
こればかりは僕が悪いので仕方ないとは思うが、流石に10分以上無言で睨みつけられるのは堪えるものがある。
「……私、結構怒ってます」
先輩は10分ぶりに口を開いてくれたが、やはり機嫌は直っていないようであった。
「すみません……」
「そんなに、お母さんに抱き付かれて嬉しかったんですか?」
「いえ、決してそんなことは……いえ、正直少し嬉しかったです。はい」
一瞬嘘を吐こうとしたが、やっぱり素直に気持ちをを吐露することにした。
こんなことで、先輩に嘘を吐きたくなかったからだ。
「……いつも私が抱き付くと、拒否する癖に」
「そ、それは公衆の面前だからで!」
「じゃあ、今ならいいんですか?」
「えっ……」
先輩の質問に、僕は言葉を詰まらせてしまう。
確かに今なら人の目もないし、構わないと言えば構わないのだが、少々覚悟が足りていなかった。
……密室で、二人きりの状態で抱き締められて、僕の理性は果たして持つのだろうか?
「なんで即答できないんですか! やっぱり、私じゃダメってことですか!?」
「そんなことありません! むしろ大歓迎です! 最高のシチュエーションで舞い上がっています!」
「っ!? 本当ですか!?」
咄嗟に返した僕の言葉に、先輩が勢いよく食いついてくる。
しまった、と思ったが、誤解をされるよりかはマシだろう。
ただ、線引きはしておかないと、後々取り返しのつかないことになりかねない。
「た、ただ、条件があります! 1分だけ! 1分だけにしましょう! それなら、僕もなんとか理性を保てるハズですから!」
「……別に、理性なんか保たなくても良いのに」
そんな魅力的な誘惑を、僕は鉄の意思でなんとか振り払う。
「……駄目です。僕は先輩を、乱暴になんて扱いたくないですからね。それに、今日は小鞠さんだっているでしょ?」
「またしても邪魔をするのですか……。お母さん……」
先輩はお母さん――小鞠さんに恨み言を言うが、僕はむしろその存在に感謝していた。
出汁に使ったようで、申し訳ない気持ちはあるけど……
「わかりました。1分のハグ。それで勘弁してあげます」
それでも先輩はなんとか納得してくれたようで、僕はホッと胸をなでおろす。
「では早速」
安心したのも束の間、先輩はただちに行動に出ていた。
油断していた僕は、あっさりと先輩に捕獲されてしまう。
「はぁ…、藤馬君…、藤馬君……」
そう呟きながら、先輩はまるで貪るように僕を抱きしめてくる。
体が擦りあわされ、吐息が耳にかかる。
(こ、これは、想像以上にヤバイ!?)
ダイレクトに伝わる体温と、全身に擦り付けられる柔らかい感触。
そして耳にかかる吐息と、艶のある声が僕の脳を激しく揺さぶった。
「藤馬君…、私、本当に我慢してたんですよ? いつもいつも、こうして抱きしめたいのを我慢していました。いとおしくて、いとおしくて、胸がずっとキュンキュンしてたんです……」
唇が耳に押し当てられ、生暖かい空気が耳の穴に入り込んでくる。
水気のある音が響き、まるで脳が直接犯されているような、危険な錯覚を覚えた。
「ちょっ…、先輩…、いきなり、とばし、過ぎ…」
先輩の攻めはそれで終わらない。
柔らかな太ももが、僕の足の間に割り込んでき、挟むように刺激してくる。
そして腕は背中と後頭部に回され、蛇のように纏わりついてきた。
(これは、本気でマズい!!!!)
1分という時間設定は、僕には早過ぎた。
いや……、長過ぎた!!!
ムズムズと、そしてジワジワとこみ上げてくる快感が、徐々に下半身へと向かうのを感じる。
逃げ出そうと思ったが、そうはさせまいと先輩の足が絡みついてくる。
「ふぁ、ちょ、本当に、不味いですって……」
絶え絶えになる僕の言葉に呼応するように、先輩の足はどんどんと絡みついてくる。
絡みつかれた足が熱を帯び、蕩けてしまいそうだった。
そして、そのあまりの快感に、僕の膝から力が抜ける。
「っ!?」
体勢を崩した僕を支えきれず、先輩のホールドが一瞬緩む。
僕はその隙を逃さず、なんとか脱出に成功する。
「す、すいませんーーーーーー!!!!!」
そのままの勢いで、僕は先輩の部屋から飛び出した。
――ああ…、今日も僕は、先輩の攻めに耐えられなかっ……
「あら? どうしたの藤馬君? そんなに慌てて……」
し、しまった。ここは先輩の家なのだった……
いつものように逃げ出した僕だが、今日ばかりは逃げ場がないようである……
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