――俺は正しいことをしているのか。
日本帝国軍の一兵士、新牙は銃を構えるたびにそう考える。
人間は、自分が正しいことをしているのか、それとも間違っているのかを決めるときに経験、延いては『記憶』を参照する。
自分の過去の出来事の経験則、または他人の経験から、歴史から。
様々な『記憶』を参照し、比較し、吟味することによって、自らの行いの正否の判断材料とする。
――ならば、『記憶』がない俺はどうすればいいのか。
自らの行いが正しいかを判断するための材料が無い者は、どうすればいいのか。
新牙は考える。
〝お前の上官だ〟と名乗る者の命令に忠実に従うのか。
〝お前の親だ〟と名乗る者の命令に忠実に従うのか。
他人のいいなりになるしか、道はないのか。
その問いに対する答えを得られぬまま、新牙は今日も銃を握る。
新牙たちが出動を要請されたのは、千葉県湾岸部の工業地帯。
そのなかにある倉庫で銃撃戦が行われていた。
夜の闇と静寂を切り裂くように、激しい火花が散らされる。
かつて大手家電メーカーが保有する倉庫であったが、近年の過剰ともいえる技術革新の競争についていけずに会社が倒産し用済みとなったもの。
そうした廃墟が、反政府・反軍を掲げるレジスタンスたちの根城となるのは昨今ではよくある話であった。
銃撃を浴びているのは、日本帝国軍に反抗するレジスタンスのリーダー。
それが異能の力によって変身し、黒い鎧をまとう騎士のような姿をした、黒い怪物。
新牙と、もう一人の男が、黒い怪物と対峙していた。
新牙たちの撃つ弾丸の雨のなか――その怪物はものともせずに新牙へと突進し、地獄の鬼を模したような兜の下には、人間の口が剥き出しになっている。しかし、獣じみた雄叫びと涎をまき散らす様は人間とはかけ離れていた。
右手には、まるで天使の羽を模したような白く、美しい大剣を持っている。
持ち主の姿にくらべて非常に矛盾感を与える美しさ。
だが、どんなに綺麗だとしても剣である。
それを新牙めがけて乱暴に振り下ろす。まともに食らえば致命傷は免れない。
だが、その大剣が新牙の脳天を砕き、身体を真っ二つにすることはまず、ない。
新牙の身体のすぐ横をかすめて、コンクリートの地面を派手に砕いただけであった。
「無駄だよ。それに、アンタは戦うんじゃなくて逃げたほうがいい。絶対に」
言葉が理解できるのか、できないのか。人の知性を感じないその怪物の兜の奥に光る赤い双眸を新牙は冷静に見つめ、銃口を頭部へと向ける。
怪物はとっさに後方へと跳躍し、新牙から距離をとり、獣が敵対者を威嚇するように、グルルと唸り声をあげる。
――なぜ自分の剣が逸れたのか。
知性を感じさせないが、その異常に対して疑問を抱いた……そんな仕草であった。
その隙をついて、一人の男が突進する。
男は生身であった。全体的に白髪であるが、毛先にかけて黒くなるという特異な髪を無造作に後頭部で縛った壮年の男だった。
新牙と同じく防弾ベストをつけた戦闘服であるが、銃を腰に提げたままだ。それどころかマチェットといった最小限の武器さえも手に持っていない。
銃弾すら弾く得体のしれない化け物に対し、まったくの素手。男は腰を低くし、渾身の右拳を怪物に叩き込もうとしていた。
明らかな無謀。
しかし男の行動を諫め、止めに入る者などここにはいない。
――なぜなら、彼を知る者なら、絶対に受けたくない一撃だからだ。
上官であり、新牙が属する隊の長であるこの男に、心配などまったくの無用だからだ。
ゴンッ!
瞬間。
まるで分厚い鉄の塊に、巨大なハンマーを打ち下ろすような音が響く。
男の右拳が、黒い怪物の脇腹へと深く、深く突き刺さったのだ。
鎧を穿ち、砕き、その奥にある生身の部分をただの拳がめりこんでいく。
『グおオオオおおおおおぉオォォおおあぉぉおオオオ!?』
怪物が雄叫び……いや、悲鳴をあげた。剣を落とし、痛さからか地面を無様に転がって、突然の激痛に悶え、哭いた。
「……たしか『セル・バースト』は、気絶させることによって能力が解除されるのだったな」
男はその哀れな怪物に馬乗りになり、その頭部へ容赦なく拳を振り下ろした。
ゴキッ! ゴン! ガン!
何度も。何度も。
怪物の頭をまとう兜がみるみるうちにひしゃげていく。
一撃のたびに、怪物の悲鳴や呻き声も小さくなり、やがて虚空へ消え入るかのように……途絶えた。
「……こんなものか」
男は吐き捨てるように、怪物から身を離した。
「か、神那隊長。彼女は……」
新我はおそるおそる自身の上官に問う。
「さぁな。手加減はしてやったが、もし死んでたら変身も解除されずにこのままの怪物だ」
神那と呼ばれた男と新我は、もはや見る影もない哀れな怪物の姿をしばし見つめていた。
すると、怪物の姿が稲妻をまとったように光を放ち、みるみるうちに、姿を変えていく。
全身の黒い鎧は、やがて肌色に。
胸部はやがて柔らかな曲線と大きさを持つ双乳へと変わり、特にひどかった頭部は、痣がめだつ人の顔へと変わっていき、全裸の少女へと変貌した。
思わず、目をそらす新我だが、神那は意にも介さない。
まだ十八の少年である新牙には〝全裸の少女〟でも、神那にとって〝軍に反抗する組織のリーダー〟としか映っていないからだ。
「どうやら生きてはいるようだな」
「え、ええ。でもこんな女の人がレジスタンスなんて……」
「姿かたちも性別も関係ない。武器をとった瞬間にそいつは戦士……我々にとっては敵だ。新我伍長、コレの回収班を呼べ。俺たちの任務はまだある」
「は、はい!」
神那の指示に従い、新牙は手首に巻かれた小型の通信機の画面を指でタッチする。
――『リストデバイス』。
かつて普及していた『腕時計』と呼ばれたものを模倣したそれは、時計はもちろん、通話、録音、撮影、ネットの閲覧、装着した人間のバイタルサインまでをも記録・送信する超高性能の電子小型端末である。
通信端末としては、一般人に流通するスマートフォンと、軍や特殊な職業に流通するリストデバイスがほとんどであった。
通信機の画面から、立体映像が浮かび上がり『回収』の文字が浮かぶ。空中に浮かぶその文字を新牙はタッチする。
それだけで、後方に待機していた『異能者回収班』が、戦闘が終わったことを理解し、現場へと駆けつけて異能者を拘束・回収するのだ。
「行くぞ。もはやレジスタンスにまともな戦力はないはずだ」
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