そこはフェンデリオルの西の国境からさらに20シルド(約80キロ)ほど離れた地に存在していた。
――トルネデアス帝国、第2帝都ファルハド――
岩砂漠が広がる中のオアシス――
そのオアシス都市を含む丘陵地帯に設けられた軍事駐屯基地がそこにあった。
ここから東へと進めば、度々、フェンデリオルとの戦乱の土地となっていた無人地帯が広がっている。
その国の名は『トルネデアス帝国』
オーソグラッド大陸の西の大半を領有する専制帝政国家だ。
太陽神からの信託を受けたとされている皇帝を『神の子』として臣民たちは崇め、その教えを広めることを国是としている。
それ故、隣国との騒乱は絶えず、特に東で国境を接する国・フェンデリオルとは数百年に渡る不倶戴天の敵同士である。
そして、今なお彼らの戦意と野心は東の彼方へと向かっていたのだ。
† † †
巨大なオアシス都市であるファルハドでは、透き通った湖の周囲に市街区が広がっている。
交易都市としての性格を持ち、帝国領内の東方領の各地へとつながる交易路を結んでいる。
湖岸の西岸地区は商業地域であり実に豊富な物資や商品が軒を並べ、活発に商取引がかわされていた。
湖岸の南岸地域は歓楽街、北岸地域は居住地域であり、オアシスから郊外へと引かれた水路沿いに灌漑農業が行われていた。
そして、オアシスの東部地区――そこには勇壮な軍事駐屯基地が設けられている。
レンガと白漆喰で作られた建物が立ち並び、兵卒と士官と将軍たちが来たるべき戦争に備えて日夜訓練に励んでいる。軍事駐屯基地の郊外には、戦闘で使用される武具を生産するための製鉄炉とそれに付随する鉄加工設備が立ち並んでいる。
黒色火薬を生産するための堅牢な石造りの設備や、
軍用に興じるためのラクダや牛や馬といった家畜の飼育設備も存在している。
天候や暦を管理するための天文観測設備も存在しており、フェンデリオルの精術武具を除けば、この時代最高度の軍事力が集められていた。
その軍事駐屯基地に集う男たちは、新たな領地を手に入れ名だたる武功を挙げることを願っている。それ故、唯一神の加護を信じる彼らは勇猛果敢。
その勇猛果敢さから彼らはこう呼ばれていた。
――砂漠の暴竜――
その恐るべき呼び名は、数百年前も今も変わることは無い。
そして今、その暴竜たちを率いる一人の男が居た。
ファルハドの軍事駐屯基地の司令官執務室にて軍務にいそしむ男。
――カムラン・ヒロエ・アクタール――
ファルハド基地の第1将軍にして、駐屯基地司令官を務める人物だ。
トルネデアスでは成人男性がひげを蓄えるのは当然の習わしであり、カムランもきれいに揃えられたあごひげと口ひげを蓄えている。
服装は肌着の上にゆったりとした造りのドラーマと呼ばれる長袖を身に着けている。腰には布地の帯を巻き、さらにその上にドルマンと呼ばれる長袖の前合わせのコートを羽織っていた。肋骨風の横長の飾り紐が施され、飾り袖が左右の肩から後ろへとたなびいている。
頭にはターバンを巻き、軍属としての階級を示す徽章が額のあたりに飾られていた。
腰帯には湾曲ナイフのジャンビーヤが束さんである。トルネデアスの男子なら成人の証として昼夜を問わず身につけている。
彫りの深い容貌の中に猛禽のように鋭い目が眼光を放っている。
杉の古木から作られた執務机の席に腰を下ろして居たが、彼は何者かをじっと待っていた。
カムランの左右には彼専属の女官が2名ほど付き従っている。頭から上半身をすっぽりと覆うチャドルと呼ばれる外套をまとい、顔を除いたすべてを覆い隠している。その手には右側の女官が大型の団扇を持ちカムランを扇いでおり、左側の女官が水差しの瓶を持っている。
二人とも主人であるカムランの声をじっと待っていた。
沈黙したままのカムランであったが、執務室の扉になにか気配を感じて声を発した。
「誰だ」
扉の向こうから声がする。
「上級武官、ハサンであります!」
トルネデアスの軍階級は複数の将軍が上位に立ち、第1将軍が序列では最上位に立つ。
その下に上級武官が存在し、更にその下に兵士官として千人長、百人長、十人長と続く。
第1将軍であるカムランはファルハド軍事基地の最上位者であり、ハサンはカムラン直属の上級武官だった。
カムランはハサンへと告げる。
「入れ」
「はっ!」
カムランの許可を得てハサンが扉を開ける。そして遅滞なく速やかに入室すると音もなく扉を閉める。そして、カムランの方へと向き直るとつま先を揃えて直立する。
カムランはさらに命じた。
「話せ」
「はっ!」
指示を受けたハサンはカムランの顔を見つめて告げる。
「第7将軍アフマッド・セメト・カルテズ様。出陣準備が整いました!」
ハサンは報告はさらに続く。
「軍勢規模は正規軍属200人、徴用兵500人、その他、主戦力として戦象を参加させております」
「戦象を戦列に組み入れるとはワシも聞き及んでいた。しかし、砂漠越えに戦象が耐えられるのか?」
戦象――巨大生物の象を戦闘用に訓練したものだ。暑さに強いのも特徴だった。だがそこにカムランは疑問をいだいていた。
「今回は迂回進路を用いず砂漠越えを行う。戦象に砂漠の行程が耐えられるのか?」
砂漠は人間の兵士ですら音を上げる事がある。主戦力が途中で失われたら作戦どころではなくなってしまう。だがハサンは言う。
「はっ、南方方面から特に熱と乾燥に強い種類の戦象を徴用し、移動ルートには水源確保を重視しました」
ハサンの言葉をじっと聞き入り思案顔だったカムランだったが、彼はさらに問いかけた。
「頭数は?」
「密約での規定通り2頭立てとしました」
「誰の判断だ?」
「はっ、アフマッド将軍のご採決です」
「徴用した象は何頭だ?」
「総数6頭であります」
「そうか」
ハサンの言葉に一定の納得をしていたようなカムランだったが、彼は再び苦虫を噛み潰したような顔をして言葉を吐く。
「しかし、このような下賤がフェンデリオルにも居るとはな」
その言葉とともに広い卓上の片隅に置かれた一枚の書面を手に取り眺めはじめた。それをしてハサンが尋ねてきた。
「将軍閣下に置かれましては、その【密約書面】をご信用なさるのですか?」
それは当然の疑問だった。ハサンの問いにカムランは睨み返しながら問い返す。
「不服か?」
上官からのその鋭い視線にハサンは一瞬息を飲んだ。だが答えは速やかだった。
「はっ! フェンデリオルの山ネズミの連中と手を組むなど同意しかねます」
山ネズミ――その言葉を耳にしてカムランも思わず苦笑した。
「お前に限らず我らトルネデアスの武人ならばみなそう思うであろうな――」
手にしていた密約書面を卓上へと放り投げ、執務机を上に両肘をつき、両手を組みながらカムランは続けた。
「――私も、アフマッドのやつが皇帝閣下の後宮に繋がりなぞ持っていなければ話そのものを握りつぶすところだ」
その言葉にハサンも思うところを口にする。
「皇帝閣下からの直令付託であられますね?」
「そうだ。目の前にぶら下げられた餌に飛びつくのみならず、周りから注意されて駄々をこねおったのだ」
冷ややかに冷笑を浮かべつつ卓上の片隅のピューターと呼ばれる錫製のコップを手に取る。それに気づいた女官が水を注ぎ、それを飲みながらカムランは言った。
「アフマッドの姪が皇帝宮の後宮入りをして皇帝陛下に気に入られたらしい。さらには懐妊の噂もある。それを幸いとごますりとおねだりをしおったのだ」
「敵国の領地を落とす事ができる――、そのために作戦を後押ししてもらいたい――と言うわけですか?」
「あぁ、そうまでしてフェンデリオルの領地を切り取りたいらしい」
カムランは机の上に錫製のコップを置くと声を吐く。苛立ちと侮蔑の理由とともに。
「自らの地位を確実なものにするためにな」
だがカムランは至って冷静だった。
「だが、ワシの考えは違う」
おもむろに立ち上がり左腰に下げたサーベルを鳴らしながらカムランは執務室内を歩いた。
その執務室の壁には巨大な地図が掲示されている。トルネデアスとフェンデリオルの国境地帯の地図だ。その地図のもとへとたどり着くとじっとそれを見据える。
「愚物の輩の小競り合いなど律儀に付き合う必要はない。国と国との慣例に則った正規戦闘ならいざしらず、密約に基づく非正規戦だ、泥棒同士が仲良く手をつないでいるに過ぎん」
そしてカムランは、国境付近の地図に視線を注ぎながら言った。
「密約を超える絶対的な戦力で圧力をかけて一気に押しつぶすべきだ。これまでの禍根を断ち切るためにもな。そしてそのために、アフマッドの小細工と浅知恵を利用させてもらう!」
壁に掲げられた地図を睨むカムランは睨む。そして腰のベルトに手挟んだ湾曲ナイフのジャンビーヤを引き抜くと、フェンデリオルのワルアイユ領国境付近に向けて一気に突き刺したのだ。
――ドスッ!――
刃物が建物の壁に食い込む音が鳴り響く。女官たちが驚き怯える中で、カムランは振り向くと上級武官のハサンへと力強く告げる。
「ワシの勅命で戦象を3倍の6頭に増やせ! 絶対的な制圧を可能にするのだ! さらに第4将軍ムスタフに命じて軍列の第2陣を準備させろ。アフマッドに気取られぬように後をつける! そしてアフマッドがフェンデリオルの戦列を押し込んだのを合図にワシ自らが全軍を進軍させる! この機に乗じて希少地下鉱脈の眠る領地を一気に制圧する!!」
カムランの言葉にハサンは歓喜の声を上げた。
「おお! 将軍閣下自らがお出になられますか!?」
「無論だ。アフマッドのやつが無様な采配をさらすなら、ワシ自らがやつの首を切り落としてくれる!」
「それでこそカムラン閣下!」
ハサンの言葉にカムランは口元に笑みを浮かべた。
「ハサンよ、お前にも期待しておるぞ」
「御意!」
「行け! 戦は迅速を尊ぶ!」
「はっ! 太陽神のご加護のもとに!」
それはトルネデアスの武人たちが戦争に臨むときに必ず口にする聖句である。神のもとに名誉ある勝利を願うのである。
司令を受けて出ていくハサンをカムランはじっと見つめていた。そして、カムランは傍らの女官たちへと告げる。
「戦支度をせい」
「かしこまりましてございます」
主人たるカムランの命令にうやうやしく頭を垂れると速やかに執務室から出ていく。別室にてカムランの戦陣衣装を支度するためだ。
女官たちを見送りつつカムランは言葉を吐き出す。
「くだらん内輪もめなどに興味はない。武人ならば、正面から正々堂々と勝ち取るのみだ!!」
そこには一切の手加減も小細工もなかった。ただ勝利への道程を見極めようとする冷徹な意思があるのみだ。
トルネデアス第2帝都ファルハド軍事駐屯基地第1司令官、第1将軍・カムラン・ヒロエ・アクタール
またの名を――
――砂塵竜巻のカムラン――
――彼こそはトルネデアス帝国軍の中でも屈指の猛将である。
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