――噂は万里を超える――
西方国境領域での国境防衛戦についての噂は、ワルアイユ領の周辺でも瞬く間に広がりつつあった。
ここはワルアイユやアルガルドとも国境を接している領地で〝セルネルズ〟と言う。
ワルアイユとともにアルガルドの暴虐に立ち向かい続けた土地である。
時刻は昼過ぎ、西方国境付近で勝敗が決し戦闘後の処理がつつがなく行われていた頃だ。
その勝敗の結果は噂となってさざ波のように周辺地域へと広がりつつあった。そしてこのセルネルズの土地でもその知らせは着実に届いていたのだった。
ここはセルネルズ領の主要市街地にある領主邸宅。市街地のど真ん中に3階建ての建物が設けられている。
ワルアイユのように市街地郊外に設けるのではなく、経済活動の中心に邸宅を据える形式を選んできた。
この領主邸宅の中、政務室で領地運営の業務に勤しんでいる人物がいる。
セルネルズ家当主〝サマイアス・ハウ・セルネルズ〟その人である。
その政務室へとやってくる人影がある。彼の執事だ。燕尾服姿の執事は扉をノックしてから入室する。
「失礼いたします。旦那様」
「どうした?」
自らの主人の問いかけに執事は答える。
「急報です。ワルアイユ領西方辺境の国境地帯での紛争が決着いたしました」
その言葉にサマイアスは手を止めて問い返した。
「なんだと?」
「本日未明に始まった戦闘行動は本日正午過ぎに決着、フェンデリオル側の全面勝利で終わったそうです」
「そうか、勝ったか」
「はい」
執事のもたらした報せにサマイアス候は安堵の言葉を漏らした。だが、それと同時にその眉間には皺が寄ることになった。新たな問題が連想されるからだ。
「だがそうすると新たな問題が浮上するな」
「と、申されますと?」
執事は主人の言葉に不安げに尋ね返す。
「わからんか? 戦闘行動が勝利に終わったあとに行うものと言えばなんだ?」
「祝勝会……でございましょうか?」
「そうだ」
〝祝勝会〟――、地方領が戦闘の舞台となりこれに勝利した時、当該領地の領主が主体となって催される祝宴が〝祝勝会〟だ。
だが祝勝会は単なる宴席ではない。ワルアイユの候族領主にとって極めて重要な意味を持つ。
「しかも戦闘に関わった主だった者たちが帰参する前に執り行なわなければならん。ましてや今回の戦闘は正規軍人から職業傭兵に市民義勇兵と、多種多様な手勢の臨時混成部隊だ」
「こたびのワルアイユ領の制圧部隊は異なる傭兵の街から徴用されたと聞き及んでおります」
執事の返す言葉にサマイアス候は頷いた。
「当然、所属拠点に帰還する日時は様々だ。戦闘終結後にすぐに帰投する者もいれば、長期にわたり滞在する者もいる。全員が揃っている期間は短いものとなる。当然、祝勝会はその間に執り行わなければならない」
そこでサマイアス候は大きくため息をついた。そのため息の意味を執事は心得ていた。
「しかしながら、現状のワルアイユにて祝勝会を催すような余力が残されているのでしょうか?」
「到底無理だな。領民を総動員した上で、あれだけの大規模戦闘を行なったのだ。蓄えていた力はすべて吐き出したと見るべきだ。
しかし、たとえそうだったとしても、大規模戦闘終結後の祝勝会と言うのは手を抜くわけにはいかんのだ」
サマイアス候は両指を組みながら一呼吸おいて語り始めた。それは祝勝会と言うものが持つもう一つの現実でもあった。
「そもそも勝利後の祝勝会というのは、大規模戦闘の舞台となった地方領地において、その領主の〝権勢〟や〝財力〟や〝人物的才覚〟と言ったものを喧伝するまたとない機会だ」
執事はサマイアス候の言葉に同意する。
「確かに、ここで祝勝会に駆けつけた来賓の方々をあまねくもてなす事ができれば、もてなされた来賓や参加者は、主催者を軽んじたり無視するようなことはできず、その後の領地運営においても優位に立つことができるでしょう」
「その通りだ。だから大抵はそのための力を残しておくし〝舐められない〟ように全力を尽くすのだ」
だがサマイアス候は苦しげに言う。
「しかし今回のワルアイユでの一件はあのアルガルドが絡んでいる。事情の複雑さもあってワルアイユは今まで通りの生活を取り戻すので精一杯のはず。彼らが自らの手で祝勝会を行うことなど到底無理な話だ」
サマイアス候の言葉に執事も最悪の状況が頭をよぎっていた。
「しかしそれでは――」
「恩を売っても益無しと判断して、ワルアイユを見限り離れていくものたちも現れるだろう。当然、復興も困難なものとなる」
サマイアス候は立ち上がり部屋の中を歩きながら語り続けた。その表情には過去を懐かしむような素振りがあった。
「これが単なる越境侵略への対応だけならば、ここまで複雑な話にはならなかったはずだ。しかし、本来の領主であるべきバルワラは暗殺され、後に残されたのはあのアルセラ嬢ただ一人だ」
サマイアスは大きくため息をついた。
「果たしてあの15歳のアルセラ嬢一人でそこまで事を運べるだろうか?」
執事は主人の言葉に顔を左右に降った。
「到底無理かと思われます」
「で、あろうな」
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