そして、明くる朝が来た。
私は昨夜の事もありまんじりともせずに夜を過ごすこととなった。それでも熟睡できたのは体に疲労が残っていたがゆえだろう。
窓の外を見れば、太陽はまだ顔を出していないが、うっすらと明るくなっている。
ベッドから降りてネグリジェの上にガウンを羽織る。そしてスリッパを履いて部屋を出ると階下へと降りていく。
ちょうどそこにはすでに朝食の準備で侍女の人たちが働いている。私はその一人に声をかけた。
「ごめんなさい、アルセラ様はどちらにいらっしゃるかしら?」
私が声をかけたその侍女は答える。
「ご領主様でしたら、寝室でおやすみになられておられます」
「ありがとう」
私が礼を述べれば、彼女は軽く頭を垂れてその場から去っていった。
アルセラの寝所は政務館の1階にある。政務館と言う建物の性格上、領主が忙しく働くことを考慮した作りであるため執務室のすぐ近くにあった。
私はそこへと向かうとドアの外から中の様子を伺う。まだ起きている気配はない。
――キィ――
音を潜めてドアをそっと開ければ、柔らかい羽毛入りの布団に包まれながら、アルセラはベットの上で寝息をたてて眠っていた。
寝巻きであるネグリジェに着替える余裕もなかったのだろう。下着姿のシュミーズのままだった。眠っている時の顔は年相応に子供そのものだ。
私はベッドの傍らに腰を降ろしそっと頭を撫でてやる。
この小さな体で領主としての覚悟を決めて歩き始めているアルセラ。それを誇らしいと思う気持ちと、その小さな体に全てを背負わせなければならないという事への申し訳無い気持ちとがある。
だがどんなに、私自身が焦ったとしても、領主としてこれからの毎日を切り開くのは彼女自身だ。私はそれを見守ることしかできない。
「ん……」
私がアルセラの頭を慣れていると彼女の瞼が動き始める。
「あ――」
ぼんやりとした目でアルセラは目を覚ます。
「お姉さま――」
私のことにすぐに気が付くと、戸惑いつつも笑みを浮かべている。
「おはようございます。お姉さま」
「おはよう。アルセラ」
私が答えれば彼女はにっこりと微笑む。
「お姉さま」
アルセラはそう問いかけながら私に右手を伸ばしてきた。そして私の手を掴みながら引っ張ってくる。
「なあに?」
私が問いかけても彼女は答えない。左手でそっと布団の隅を開けるだけだ。だが彼女か何を意図しているのかは分かる。
「添い寝してほしいの?」
そう問いかければアルセラは頷いた。
「いいわよ」
私はガウンを脱いでネグリジェ姿になると招かれるままにアルセラのベッドの中へと入って行く。
身近な肉親に甘える機会が少なかっただけに私に対して肉親的な思いを宿しているのだろう。
こう言うところはやはり年相応にまだ子供なのだ。
羽毛布団の中で二人で向かい合いながら寄り添う。左手を差し出して腕枕をしてあげると甘えるかのように体を寄せてきた。
アルセラは私より小さい。その背丈は私の鼻のあたりくらいだろう。
その顔にあどけない笑顔が浮かぶ。
右手で彼女の頭をそっと撫でてやる。
「まだ早いからもう少しお眠りなさい」
私の優しくそう問いかけるとアルセラは小さく頷いた。
「うん」
そして私の胸の中に顔を埋めてくる。
「おやすみアルセラ」
「はい、お姉さま」
そう言葉を漏らすとまだまだ眠り足りなかったのだろう速やかに寝息を立てる。その小さな体は私の腕の中で朝の眠りに落ちていった。
昨日の祝勝会と言う一つの大きな戦いは無事に終わったが、今日もまた厳しい一日が続く。
それを領主として、責任者として、乗り越えなければならない。でも、この一時だけは年相応の少女として安らぎを得ても悪くない。
私は彼女の寝顔を見守りながら、彼女の体のそのぬくもりを感じていたのだった。
† † †
それから1時間ほどそうしていただろう。
いつのまにか私も一緒に眠りについていた。目を覚ましたのは部屋の扉がそっと開く音だった。
――ガチャッ――
その音と同時に声が聞こえる。侍女長のノリアさんだ。
「失礼いたします」
私は速やかに目を覚まし声のした方に視線を向ける。
「ルスト様、おはようございます」
「ええ、おはよう」
まるで母親のようにアルセラを寝かしつけている私の姿を見てノリアさんは苦笑していた。
「いつからそうしてなさっていたのですか?」
「今朝の日の出前から。昨日の夜に出かけて行ったから心配だったの。それで様子を見にきたらこういう流れになって」
「それでご一緒に?」
「ええ」
私たちが会話をしているその中でアルセラはなおも寝息を立てていた。その横顔にノリアさんはしみじみと言った。
「こんなに安らかな寝顔を拝見するのは久しぶりです」
思わぬ語りに私は耳をそばだてた。
「お母上様がお亡くなりになられて。お父上は多忙な日々。お寂しい気持ちをずっと押し殺していたのだと思います」
当然の言葉だった。なにしろアルセラはまだ15歳なのだ。そしてそれに続いたのはノリアさんの忸怩たる思いだ。
「本来であれば私がアルセラ様のお気持ちを癒してしかるべきなのでしょうけど、侍女と当主息女と言う立場もありそこまで踏み込むことはできませんでした」
軽くため息をつきながら彼女は言う。
「そうしてはいけないのだと、無意識のうちに押し込めてしまっていたかもしれません」
そして彼女はベッドの方へと歩み寄るとベッドサイドに腰を下ろして布団越しにアルセラの体を愛おしむように撫でたのだ。
「でも、ルスト様とのこのご様子を拝見したら、そんな遠慮がいかに余計なことなのかよくわかりました」
そして彼女の口から漏れたのは優しい決意だった。
「これからは私が、アルセラ様を癒やそうと思います」
私はその言葉を聞いてほっと胸をなでおろした。アルセラを起こさないように腕枕をしていた左手をそっと外す。
そしてベッドの中から静かに抜け出し立ち上がりながら私は言った。
「〝あとは〟お願いね?」
「はい、お任せください」
ノリアさんはにこやかに微笑んでいた。そして、ベッドサイドで膝立ちになると、自らの体をアルセラの方へと近づけていく。
彼女は朝の右手でアルセラの顔を愛おしそうに撫でてやっている。
私は何も言わずその部屋から出て行く。そうだ、その通りだ。今までもこれからもアルセラを癒やすことができるのは、深い絆で結ばれたノリアさん意外にはありはしないのだから。
その姿はまるで親子のようだったのだ。
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