――ドッ――
建物の壁がパックの背後にあった。後ろへは下がれず、左右にも逃れる余裕はない。もはや退路なし――
左上から真下へと振り抜けた剣《ジェン》の動きを、右手だけでそのまま縦に一回転させる。そしてその勢いをすべて込めて暗殺者は剣《ジェン》の剣先を頭上へと振り上げていた。
まさに絶体絶命。それを敵は逃さない。
その渾身の斬撃をパックは両腕を頭上前方で交差させて受けようとしている。無論、敵は腕ごと切り捨てるつもりだ。
パックの背後はついに建物の壁、退路無しの状態で銀色に光る剣《ジェン》が振りおろされた。
「死了!」
それは勝利を確信した歓喜の声。獲物を仕留める事への凱歌の声。パックがその両腕ごと斬られようとしたその時だ。
――キィイン!――
悪漢の振るう恐るべき剣《ジェン》は涼しい音をたてて折れてしまう。
瞬間、暗殺者には何が起きたのか理解できなかっただろう。だが暗殺者はその視界の中に予想だにしなかったものを見る事になる。
パックの着衣の袖のあたりが斬り裂かれている。だがそこからは血は滲んでいない。
斬られた中から露出していたのは、血に塗れた二の腕ではなかった。
「ガ、鋼巻?!」
――そう、そこに見えたのは両腕の前腕部分に仕込まれた鋼のプレートの一部だった。細長い鋼鉄製のプレートが丈夫な布のベルトによって入念に巻かれていたのだ。
その武器の名は『鋼巻』――
フェンデリオルには無い、フィッサール独特の武具だ。
両腕の前腕に鋼の小板を無数に布に編み込んだベルト状の物だ。通常は事前にあらかじめ巻きつけて袖の中に隠しておくもの。
腕で刃物を受け止めるほか、打撃にも用いる。それは総じて達者の上級の武術家が用いる事のできる特別な武器だったのだ。
パックは告げる。腹の底から天へと吹き上げるかのような怒号を纏いながら。
「長年この国の大地で傭兵をしていた私が、素手で刃物に向かうと思っていたか!」
その言葉とともにパックは、右足を力を入れ左足を前へと踏み込み、敵へと一気に肉薄する。そして斜め上にて交差させて居た両腕を前方へと繰り出した。まるでハサミかペンチで相手を挟み込むように――
――ドンッ!――
鋼巻にてパックの両腕には鋼鉄が巻かれている。その状態で前腕を叩きつけることは、鋼の棒で相手を殴打するに等しい。
それが左右から同時に叩きつけられたのだ。防ぎようもなく暗殺者の意識は吹っ飛ぶ。
さらに、後ろに引いていた右足を振り上げ、膝蹴りを敵の胴体へと叩き込む。そこに一切の容赦はない。
次いで、両腕を胸の前で回転させる動きで、敵の両腕を弾き飛ばし胴体をがら空きにすると、右肘をその胸部へと叩き込む。返す動きで右左を入れ替えながら左の掌底をみぞおちへと叩き込み、敵の体を盛大にふっとばした。
暗殺者はそのまま仰向けに大地へと倒れた。無論、そのまま微動だにせず革マスクの火薬に点火する暇もなかった。
パックは歩み寄ると、無言のまま革マスクを剥がした。
そしてそこに見たのは――
「やはりそうか」
――黄色い肌に黒い髪、海を越えて渡ってきたフィッサール人だった。さらには首筋やこめかみにのたうつ龍の入れ墨が彫ってあった。それが意味する物をパックは口にする。
「結社人か――」
その人物が何らかの組織に居たであろうことは明白だった。
懐から布紐を取り出し襲撃者に猿轡を噛ませる。さらに両腕と足首をきつく縛り上げると、縄抜け防止に両手の親指を十字に交差させて鋼線で固く縛り上げた。
その時頭上から声がする。
「パックさん!」
それは役場裏の商館の屋上へと渡ったバロンだった。屋上から顔をのぞかせている。
「バロン殿」
「こちらの敵は?」
「コイツを含めて3人だけです。軽身功と槍術の達人、そして、この暗殺の首謀者」
「首謀者?」
「はい」
そう告げながら捕らえた暗殺者の懐を探る。すると胸元の内側にある物を隠し持っていたのを見つけた。
「これです」
パックが敵の懐から探りだしたのは一本の針だった。それも恐ろしく長い特殊な針。
「殺針と言い、フィッサール固有の暗殺具です」
「それがこの土地の領主を――」
「おそらく」
そう言いつつパックは殺針を折り曲げると暗殺者の懐へと戻した。
「急いで戻りましょう。こちらがこの3人ということはルスト隊長やアルセラさんの居る側が大人数になっているはずだ」
「解った! 俺は上からもどる」
「ではのちほど――」
そのやり取りと同時にバロンは姿を消した。それと入れ替わるように、森林火災側から駆けつけた応援部隊の先遣がたどり着いた。数人の成人男性の市民義勇兵がやってくる。
「パックさん!」
「ランパックさん」
名を呼びながら近寄ってくる彼らに言う。
「この土地の領主を殺めた咎人です。石蔵にでも閉じ込めておいてください。そのさい、くれぐれも私刑は控えるように。この者の仲間に報復される恐れがあります」
闇の社会にて生きるものは一般常識が通じない。それが殺しを生業とするならなおさらだ。パックの言葉に男たちはうなずいていた。
「では――」
そう言いつつ暗殺者をパックは委ねた。
パックもまたルスト隊長のもとへと駆けて行った。
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