明くる朝はとても静かな日だった。
略式葬儀だとは言え、それが人の死を弔う葬儀であることには変わりない。ワルアイユの本邸は沈んだ空気に包まれていた。
ワルアイユ本邸前午前9時
そうアルセラは告知していたが、それは墓所へと向かう葬送行列が出発する時間でもあった。
それ以前、午前7時から準備は始まっていた。本邸の地下室に安置しておいたバルワラ候の棺を運び出し荷馬車へと乗せる。
荷馬車は綺麗に掃除されており、黒い布で全体が終われ霊柩馬車に作り替えられていた。その霊柩馬車の手綱を握るのは、査察部隊の仲間であるダルムさんだ。
バルワラ候とは親友だったという。自らの手で運んでやりたいと名乗り出てくれたのだ。
そして彼の死に立ち会った我々は霊柩馬車の付き添い護衛役を仰せつかった。
霊柩馬車の一つ前にワルアイユ家のクラレンス馬車がたてられ、そこに黒いスカートドレスとロングショールとハーフベールを纏ったアルセラと、いつもの定番の傭兵装束姿の私と、オルデアさんとプロアが乗車する。その後ろで霊柩馬車の四隅に査察部隊の面々が葬列護衛役に立ってくれた。
パックさんは来賓の方々を率いる参列者行列のリード役だ。
予定時刻の9時よりも前に来賓である近隣領地の領主の方々やメルゼム村長、正規軍のワイゼム大佐や、職業傭兵の人たちと言った顔ぶれが続々と集まってきていた。
略式ゆえ、服装にはこだわらなくて良いのだが、それでも重要な立場にある人達は喪服か礼服を身に着けている。
村長さんは黒のルタンゴトコートを、大佐をはじめとする正規軍人の上士官以上は先程の祝勝会で身につけた礼装軍服に身を包んでいた。裾が斜めにカットされたフラックコートなのは変わらないが装飾がより丁寧に作られており軍用制帽にも鳥の羽の房が正面に取り付けられている。腰に下げているのは儀礼用の鞘入りの牙剣だ。
葬送行列先頭を歩くのは黒いマントを肩から羽織った村の青年の一人だ。その手には古めかしいオイルランプが下げられていて、葬送行列の導き役のシンボルでもあった。それは死の精霊を模していると言われ、この役目を仰せつかるのは栄誉なことだと言われている。
行列は集まった人々により自然に順番が形成されていく。
死精霊役を先頭として、数人の使用人たち。喪主の乗った馬車。護衛付きの霊柩馬車。儀式の進行役である精霊神殿の儀仗官の乗った馬車。さらに数人の使用人。参列者先頭役、主要来賓、そして地元の村人たちやその他多くの参列者となる。
儀仗官が馬車から降りて待機していたが、行列の完成を見て出発を宣言する。
――コォーーン――
その手に持っているハンドベルを鳴らす。
――コォーーン、コォーーン、コォーーン、コォーーン――
さらに4大精霊を意味するハンドベルが4回鳴らされる。
それが出発の合図。死精霊役が歩き始め葬送行列は墓所へと向かった。
ワルアイユ家の墓所はそこからそう遠くない。
ワルアイユ家本邸から四半分シルド(約1キロ)ほどの場所にメルト村全体を見渡せる場所にあった。
沈黙が守れたまま葬送行列は墓所へとたどり着く。
歴代のワルアイユ家の先祖たちが眠る場所、その片隅にバルワラ候は葬られる。
墓所の入口手前にある広場に馬車は止められ。霊柩馬車が墓所入口に横付けされる。そして霊柩馬車護衛役や村の若者たちが数人が駆け寄って、バルワラ候の棺を担ぎ上げる。死精霊役と儀仗官が導き役となり埋葬予定の場所へと向かう。
そこにはすでに先日、棺を収めるための穴が掘られていた。
そしてその穴の手前に棺が一度置かれる。最後の別れをするためだった。
だがそこで儀仗官がこう述べた。
「最後の別れとして柩をお開けするのですが、お亡くなりになられてから既に数日が断っております。いかがなさいますか?」
つまりすでに腐敗が始まっている可能性がある。棺を開けずにこのまま埋葬すべきだという意味だ。するとそこでパックさんが進み出てきた。
「私が確かめさせていただきましょう」
人の死に何度も向かい合ってきたに違いない。何の迷いもなく遺体を確かめられるのは強い精神あってのことだった。
両手を水平にして手のひらと手のひらを重ねる欣手と呼ばれるフィッサール独特の礼儀の挨拶をした上でパックさんはそっと棺を開けて中を伺った。そして彼は言う。
「精霊のご加護です」
それは驚きに満ちた光景だった。皆の手を借りて棺の蓋が開けられる。すでに死から数日経っているのに遺体は一切腐敗していなかった。死んだときそのままに安らかな顔をしていたのだ。
「おぉ」
「まさにご加護だ」
静かに声が上がる。アルセラがぽつりと漏らす。
「お父様――」
両手をぐっと握りしめ喪服姿のアルセラが棺の中に横たわる父を見つめていた。おそらく今は泣き声をあげて遺体にすがりたいに違いない。
だが彼女は自らの立場を理解した上で気丈にぐっとこらえていた。
儀仗官が言う。
「最後のお別れとなります」
その言葉が告げられるとバルワラ候と特に親しかった人々が棺に近づくことを許された。そして各々にバルワラ候へと声をかけたのだった。
まずはダルム老、
「バルワラ、ワルアイユはこれからも皆で守っていく。安心して眠ってくれ」
若い頃から領主として、そして近隣領地の執事として付き合いがあったという。バルワラ候の死に最も強い義憤を抱いていたのはダルムさんだった。
そして、その次にバルワラ候に声をかけたのは唯一の肉親だったアルセラだ。
「お父様――」
そう声を発するがそこから先がなかなか出てこない。言葉よりも涙が溢れてくる。思わず、泣き崩れそうになる。
私はその背中に歩み寄り両手で彼女の肩をしっかりと支えてあげる。
「頑張って! あなたのお父様を安心させてあげなければだめよ!」
私の強い言葉にアルセラはしっかりと頷いた。そして改めて自らの父に向けてこう告げたのだ。
「お父様、今まで本当にありがとうございました――」
そして袖の袂で涙を拭うと彼女は力強くつけた。
「ワルアイユは私が守っていきます。皆と力を合わせてがんばります。野に出よう、大地を耕そう、そして人々と語り合おう。それがワルアイユの家訓、それを忘れずにこれからもこの里を皆と守ってまいります」
それは娘として、そして次期領主として、見事というほかはない立ち振る舞いだった。私はアルセラの肩を支えたままバルワラ候へと声をかける。
「この度、あなたの死とアルセラ様の苦難とワルアイユの騒乱に巡り合わせたのは何かのご縁です。これからもアルセラの力になりたいと思います」
そして私はアルセラを導いて離れた。
それから後、サマイアス候夫妻、執事のオルデアさん、侍女長のノリアさん、村長のメルゼムさんと続く。それぞれに言葉をかけて感謝の意思を伝え、安らかな眠りを願う。
一通りの近親者挨拶が終わると儀仗官は儀式を始めた。
ハンドベルを数回鳴らし、次に振り下げ式の香炉で香を焚いて場を清める。そして祝詞を唱える。
「志半ばにして倒れたワルアイユ家前領主にして前当主バルワラ・ミラ・ワルアイユ、その御霊の安らかなる眠りをここに祈願するとともに、聖霊の導きにより冥界での安寧をここに願うものである」
そして再びハンドベルを4回鳴らすとあの聖句を唱えた。
「四つの光を」
そして皆もそれに倣い、両手の指を組んで聖句を唱えた。
「四つの光を」
さらに儀仗官が埋葬される穴に、常緑樹の葉と、小麦の種と、ミスリル鉱石の細片をばらまく。永遠の緑と死出の世界での豊穣と精霊の力の加護を願うものだ。
「それでは棺を納めください」
そう告げられて数人の男達が集まり棺を持ち上げてゆっくりと埋葬の穴の中へとおろしていく。最後にそこに土をかけてゆく。
土をかける土へらが用意され参列者に渡される。一人一人が少しずつ棺に土をかけて行く。私とアルセラは少し離れた位置でそれを見守っていた。
少しの時が過ぎ、参列者が全員、別れの挨拶を終える。ついには棺は地面の下へと覆い隠された。
最後に儀仗官が再び現れて香炉の煙で場を清め、ハンドベルを4回鳴らした。
そしてまた再び、聖句が唱えられる。
「四つの光を」
参列者全員がそれに続いた。
「四つの光を」
これで埋葬の儀式は終わりとなる。日をおいて改めて本葬儀が行われることになる。人々が意気消沈し物静かな空気が漂っている。
儀仗官は必要な仕事を終えて一礼して馬車に乗って去っていった。
執事のオルデアさんが言う。
「それではこれにて葬送の儀式は終了となります。皆様のご参列、誠にありがとうございました」
そしてその言葉が唱えられて人々が帰りの道につこうとした――、その時だった。
村からこの墓所へと通じる道を一頭の馬が駆けてくる。その上に騎乗しているのは正規軍の兵卒。見慣れた鉄色の正規軍の正装――フラックコート姿だ。
「伝令? 何事だ?」
そのシルエットに大佐が驚き気味につぶやいていた。
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