私とアルセラ――
それからまた二人きりで寄り添い合う。
泣きじゃくる幼子をあやすかのように、私はアルセラの背中をそっと撫で続けた。
やがて気持ちが落ち着け始まったのだろう鳴き声は止んで軽い嗚咽だけになる。
「アルセラ」
「―――」
彼女は黙したまま答えなかった。それでも私は告げた。
「オルデアさんが今日1日はこのままゆっくりしていいいって」
「うん」
小さく呟いて頷く。まるっきりの子供の仕草だった。
「私のことは気にしなくていいよ。今日はずっとこのままこうしているから」
「うん」
また小さく私の膝の上で頷いた。
静けさだけが支配する書斎の中で私たちは無言のまま寄り添い合う。だがその時、書斎の扉が再びノックされた。
「どうぞ」
私がそう声をかければドアを開けて入ってきたのは侍女長のノリアさんだった。彼女は私に言う。
「ルスト様にホタル様とマオ様がご挨拶に参られてます。いかがいたしましょうか?」
「かまわないわ。お通しして」
「はい」
その言葉と入れ替わるようにホタルたちが入室してくる。そして私とアルセラの有り様に困ったように苦笑していた。
「おやおやこれは」
「やっぱりこうなったみたいだねぇ」
悲しみに打ちひしがれてすっかり子供に戻ってしまったアルセラの様子に困惑しつつも致し方ないと分かってくれているようだ。
「まぁ、仕方ないか」
「流れ旅で暮らしているあたしらだって、親しくした人と別れるのは辛いもんさ」
そしてマオが私に言う。
「残りの三日間はこの子のために使ってあげな」
マオは自らの過去を全く語らない。だがその表情の奥にはアルセラの身の上に理解があるかのようなそぶりが見えていた。
「親のいない子供っていうのはね、自分自身でも知らず知らずのうちに親代わりを探してしまうもんなんだよ。頭でどんなに理屈を理解していても、心がそれを納得しない。ついつい身近な誰かにすがりついてしまう。時にはそれが取り返しのつかない過ちになることもある」
彼女の語るその言葉には身の切られる思いがした。だがマオは言う。
「でもね、目の前に相手がいなくとも絆は失われない。その背中を支えてくれた手の温もりは永遠に消えない」
そしてマオは言う。
「アルセラさんよ」
その優しい語りかけにアルセラは涙に濡れていた顔を上げた。
「別れを受け入れるというのは並大抵のことじゃない。その辛さはよくわかる。でもねこれだけは覚えておいで」
マオがそっと身を乗り出してアルセラの頭を撫でながらこう言ったのだ。
「相手が生きている限り、どんなに時間がかかっても、いつか必ず会えるんだ。その時のためにもあんたは強くならなきゃいけないんだよ。分かるだろう?」
マオの問いかけにアルセラははっきりと頷いた。でもこうにも言った。
「でも残りの三日間、時間の許す限り思いっきり甘えな。それくらい許してもらえるよ」
そう聞かされてようやくに自らの心に踏ん切りがつき始まったのだろう。笑みを浮かべるとうなずき返す。そしてアルセラはこう答えた。
「はい。ありがとうございます」
感謝の言葉をアルセラが口にした時にホタルが得意のニ弦手琴を奏で始めた。ゆっくりとした調べの明るい歌だった。
私はこの歌を以前に聞いたことがある。
「旅立ちの祝福と再会を願う曲ね」
――人生には別れは何度も起きる――
――旅立つその人へ祝福が訪れることを
願わずにはいられない――
――愛する人よまたいつか必ず会おう――
――その時まで健やかであってほしい――
その曲の調べがアルセラに笑顔をもたらしてくれた。
アルセラは強い子だった。
「お姉さま」
「なあに?」
「仕事をすぐに終わらせるので少しだけ待っていてくださいませんか?」
「ええ、良いわよ」
私の言葉を聞いてアルセラは体を起こすと着衣の袖で涙を拭った。
この子はどんなに悲しみに沈んでも、どんなに辛い目にあっても、覚悟を決めるとすぐにそこから這い上がる。その強さは何度も見てきた。ひとつの壁を乗り越えたのは間違いなかった。
立ち上がりその場から離れながら、マオやホタルに礼を述べる。
「マオ様、ホタル様、ありがとうございます」
その言葉に頷き返しながらマオが言う。
「元気になったみたいだね。何よりだ。それから、私たちも出立させてもらう。またいつか機会を見てここにも立ち寄らせてもらうよ」
二人は次の仕事のために離別の挨拶のためにやってきたのだ。旅芸人と行商人と言う仕事の都合上、同じところにそう長くは腰を落ち着けられないのだ。
「お二方とも、本当にありがとうございました」
アルセラの労いの言葉にマオが言う。
「元気でな」
ホタルも言う。
「いつか会いましょう」
二人のその言葉を受けてアルセラはふかぶかと頭を下げると執事のオルデアさんのもとへと向かった。
その姿を見送りながら私は2人に行った。
「ありがとう。これでなんとかなるわ」
「いいってことさ」
「先に行ってるよ」
その言葉を残して二人は去っていった。
親友である二人の好意に私はひたすら感謝していた。
† † †
それからのアルセラの動きは早かった。
少なくとも残りの3日間は一緒にいられる。そのことに気づいたことで心に張りが生まれたのだろう。オルデアさんの元へと向かうと控えていた仕事をこなしてしまう。
村の顔役や村長たちが持ち込んできた決裁書類への署名。小麦の交渉買い付け人との話し合いと小麦の買い付けの協定の決済。
さらには、ワルアイユが復興したことを聞きつけた商人や流通業者等の問い合わせへの返答と来訪予定の受け入れなどたくさんあった。だがそれをアルセラは昼前にはほとんど済ませてしまう。
執事のオルデアさんが言う。
「よろしいでしょう。ここから後は私だけでも始末可能ですのでお嬢様は皆さまとごゆっくりなさってください」
「ありがとう。オルデア」
それは領主としての本分を忘れずに成すべきことしっかりとこなしたアルセラへの彼なりの感謝だったのかもしれない。
アルセラが私に望んだのはメルト村への外出だった。
祝勝会は終わったが、村の復興を聞きつけて行商人や流しの屋台などが村へと来ていたのだ。村の中心の大通りは祭りのような賑わいを取り戻していると言う。
侍女長のノリアさんがそれを聞きつけて付き添いの小間使い役を買って出てくれる。3人でワルアイユ家のクラレンス馬車に乗り一路村へと向かった。
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