私はドルスを信用していた。
確かに不真面目でだらしなかったけど、説得には耳を貸してくれたし、一度やる気を出せばきちんと役目をこなしてくれた。あの時、野営地から姿を消していたのも、伏兵の存在を察知して姿を追っていたからだ。
彼は彼なりに傭兵としての仕事をきちんとしてくれた。
だからこそ、私は一度口にした約束を守ろうとしたし、なにより、私は彼に命を救われた。
彼が発した『伏せろ!』の一言、あれがなかったら今頃は私は辺境の岩砂漠の土の下に眠っている。
一命を救われた。
礼をするのにこれほどまっとうな理由はない。
だからこそだ。私は礼儀を尽くそうとした。女が着飾り宴食をもうけて同席する。それは1つの礼儀の表し方であり労いの姿だ。
そう、これは誠意だ。
だが、ドルスはそれを踏みにじった。小手先の奸計で。最悪の形で。
その悪意の前に私は踏み出す。胸を張って、矜持を持って。
そう、これは戦いだ。
私の女としての矜持を守るための戦い。
私は〝戦場〟に向かった。
† † †
その時、私は思い切り自分を磨き上げていた。
約束を守るために。誠意を持って礼儀に報いるために。
履いていたのは革製のエスパドリーユ、極彩色に染められた革素材をレース編みのような微細な切り抜き透かし模様であしらったものだ。つま先のペディキュアがチラ見えしていて、ハイヒールなどよりも印象的に映る。
ドレスはハイネックのアームホールでコルセット風に胸元が仕立てられていてメリハリの効いたボディラインを描いてくれる。腰から下は流線型を描くマーメイドシルエットで、太ももから下の左右にスリットが入っている。背中は大きく開けられたベアバックスタイル。
彩りは襟元が濃い目の紫でグラデーションを描いて真っ青になり、腰の切り返しのあたりから再び紫になり足元へ向けて赤へと変わるダブルグラデーション――素材はシルク地で汚れに強くなる加工が施してある。
そのドレスの上にフェイクファーの純白のロングショールを緩やかに肩にかける。両腕には濃青のアームロンググローブをはめている。
今の私にできる精一杯のドレスアップ。そして、過去にお世話になったとある人から送られた大切な思い出の品だった。
つまりこれを着ているのは、ドルスの事をそれなりにきちんと饗応しようと決めていたことでもあるのよ。
それなのに――
いかんいかん、怒りは腹の中に隠しておけ。顔に出ると向こうの思うつぼだ
私だって本当は、楽しくお酒をたのしみたかったのだ。
お化粧もしてきた。派手にならないようにさりげなく、目元と口元をくっきりさせるくらいにしてきた。それでいて女性としての薫りが引き立つようにパフュームも軽めに吹く。
かつて世話になった事のある娼館の姐さんがたに手ほどきをしてもらったやり方だった。
「よしっ」
私は気合を入れて歩き出す。この傭兵の街ブレンデッドを支える屈強な傭兵たちの集まる店内へと。その店内ではウェイトレスさんたちの元気な声が飛び交い。
「はい! エール酒お待ち!」
「ビール追加ね! 肉料理はまってて!」
「3番テーブル料理まだ!?」
「おかみさんどこ行ったの?」
「しらなーい!」
屈強な職業傭兵の男たちが酔いのめぐりも手伝って大声あげながら日頃の憂さを晴らしている
「馬鹿だよなあいつ、あそこで突っ込むかよ」
「だからかんたんに逝っちまうんだよ。奥さん子供どうすんだ」
「だから正規軍のあの軍曹邪魔なんだよ! 現場に口出しばっかりしやがってよ」
「さっさと殺っちまうべきだったかな、流れ矢にみせかけてよ」
「お前また2級落ちたのか?」
「筆記は完璧なんだが、模擬戦闘が……」
「みろよ! この牙剣の輝き! やっと手に入れたんだぜ?」
「なんかそれ偽物っぽくねぇか?」
「次だ、次の戦いで武功をあげたら婚約できるんだよ」
「だから! あそこの回廊で山越えすんじゃなくて、迂回しちまったほうが早いんだって!」
「地図にそんなの乗ってねぇだろ?」
「何だとテメェ! もいっぺん言ってみろ!」
「おう言ってやらァ! 表出ろ!」
そこでは実力最優先の熾烈な職業傭兵の荒っぽさがそのまま飛び交っている。
当然こんな場所に着飾った女性なんてまず現れない。現れたとしても、天使の小羽根亭の店員さんたちか、一般の職業の人たちくらいだ。
もし酌女とか接待名目の女性たちに会いたいならその筋のお店に行くだろう。
そんな中に私が姿を表したのだ。
コッ、コッ、コッ、
足もとに履いたエスパドリーユのソールを軽く鳴らしながら歩き出す。そして控室から喧騒の飛び交う店内へと進み出る。
コッ、コッ、コッ、
ソールの音が響くたびに店内の男たちの視線が集まってくる。
最初は音に興味をひかれて、
次に視界の片隅に見えた色艶やかな衣装に惹かれて、
そしてあまりに場違いな女性が歩いていることに誰もがあっけにとられていた。
「おい、あれ」
「誰だ?」
「ってルストじゃねーの?」
「嘘だろ? 17のガキのはずだぞ」
「化けた」
化けた――って、それは褒め言葉として聞いて良いのだろうか? キレイとか可愛いとかあるでしょう、普通。
「やべぇ」
「惚れそう」
「ばか、おまえ彼女居るだろ!」
「いやいやいや、居ない。今居ないことにする」
好かれるのは気分がいいけど、やり取りがまるでお笑いだ。
「おい、誰だよルストおとしたの?」
「プロアじゃねえのか?」
「まさか! 今年で7人フッてるんだぜ? 女に飽きたって言ってるんだぞ?」
「じゃ、バロン?」
「モテそうだけど、アイツは違う」
「まさか! パック?」
「あれ、色恋、全然興味ないらしいぞ」
「あいつ? いやあいつか?」
「誰だ?」
着飾った私と釣り合う男性が、いったい誰なのか声が飛び交っていた。
さらに喧騒も静まりため息と感嘆の声が漏れている。視線が痛いほどに集まっているのがわかる。それはつまりは今の私の努力が無駄ではなかったことの証だった。
私も周囲をたしかめるようにさり気なく視線を送る。だがそこで見たのはあまり気分のいいものではない。
今のあたしに向けられているのは好奇の目、そして男の欲望が入り混じった品定めの目線。
視線のいくつかが胸元や腰元に注がれているのもわかる。
このドレスはそもそも、かつて食い詰めて行き場を失っていた時に助けてくれた恩人が、努力して成果を示した私にとプレゼントしてくれたものだ。それをこう言う形で晒すことに言いようのない悲しさすら感じずには居られなかった。
だけどこれは〝戦い〟だ。あたし自身の尊厳とプライドを守るための。
私は自分に言い聞かせるように背を反らして胸を張って歩いていった。
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