―精霊邂逅歴3260年8月5日夜―
―フェンデリオル国、西方領域ワルアイユ領メルト村―
メルト村の北側の山間に針葉樹林はあった。
麦畑と並んで長年に渡り村の経済を潤してきた林だった。
子供たちが遊び場として戯れたこともある。
村人が新居を作る時に切り出される木材もこの林で生み出されたものだった。
そこは村人たちの生活や人生と密接につながっていた。
そう――、まさにその林は村人たちの財産だったのだ。
† † †
村の中心地にある役場、そこに隣接する礼拝堂、鐘の音を鳴らすための鐘塔がある。
その頂へと続く階段を登りきると、村全体を見回す物見台を兼ねていた。
そこに登っていたのは私――ルストとアルセラ。二人で鐘塔の頂へと登ると、村の男たちが消火のために向かった山林を見守っていた。
残る人々は村役場やそれぞれの持場で待機している。燃え盛る炎を見守っていたのは私たちだけだったのだ。
アルセラが思わず言葉を漏らす。
「お父様――」
それはアルセラの亡き父上が村人たちと苦労に苦労を重ねて開墾して育てた林だった。それが燃えている。失われようとしている。理不尽な悪意によって――
言葉にして悔しがるのも苦痛なほどに忸怩たる思いを抱えていただろう。だが――
「アルセラ――」
その顔を見守れば涙こそにじませていたが泣き声はあげてない。村人たちの〝仕事〟を見極めることに徹していた。自分自身の領主としての役目のために――
私は彼女に問う。
「大丈夫?」
アルセラが私の顔を見上げる。
「はい、大丈夫です」
そう言葉を漏らしながら着衣からハンカチーフを取り出し目元を拭う。
「ショックだったけど、でも――」
アルセラが顔を上げて微笑みを浮かべながら私へと答えた。
「村長や村の人たち、査察部隊の人たちが頑張ってくれているのが分かりましたから」
そう告げながら彼女が見つめる先では、林の木々が倒されているのが見える。破壊消火の真っ最中だ。すべての木々を残すことは不可能でも、少しでも価値ある林を残すために力を合わせてくれている。それが彼女には見えたのだろう。
「そうよね。みんなで力を合わせれば――」
そう私が語りかけようとしたときだ。
「――――?!」
私は言葉を止める。と、同時にアルセラの体を抱き寄せて物陰へと隠れさせる。そして、私は一旦物陰へと隠れるとマントコートのフードを頭からかぶると気配を殺すようにして頭を半分だけ出して外を垣間見た。
アルセラが尋ねてくる。
「ルスト隊長?」
「しっ!」
右手の人差指を縦にして、アルセラの唇へと添える。
「静かに」
アルセラがうなずく。その傍ら外の様子を窺う。灯りが落ちて暗がりの中へと沈んでいたメルト村の中を複数のうごめく影が見える。焦げ茶の革マスク姿――昨夜、私を襲ってきた襲撃者――その姿に酷似している。
「やはり、大人数の部隊が――」
単なる暗殺であれば5人でも目的は達成される。だが森林への放火となると大部隊が控えていてもおかしくはない。
そうなると、主戦力である査察部隊の主力の4人を火災現場へと向かわせたことでこちらがかえって不利になる。否、そう言う状況が成立するであろうことを敵側も想定していたのだろう。
村の若い男性たちも火災鎮圧に送ってしまっている。それを呼び戻すのは不可能に近い。火災の類焼を食い止めない限りは向こうを離れるわけには行かない。
となると打つ手は一つしか無い。
声を潜めてジェスチャーで下の方を指差す。
――下の方へと降りよう――
そう伝えたつもりだが、アルセラも頷いていた。
急な螺旋階段を駆け下りていく。鐘塔の下で控えていたリゾノさんが声をかけてくる。
「どうなさいました?」
私が表情をこわばらせて急に降りてきたので驚いているようだ。私はリゾノさんはもちろん、アルセラさんへも告げる。
「敵襲です。村の主戦力が出払っているところを狙って潜んでいる者たちが居ます。急いで役場へ戻りましょう」
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