「それでは――」
手頃なところで談笑を打ち切ると挨拶もそこそこに別な場所へと移った。アルセラが執事のオルデアさんに問う。
「オルデア、正規軍の方々は?」
その問いかけに彼は言った。
「あちらに」
右掌で指し示す先に正規軍の人たちの一団が居た。近隣領主の方たちや、メルト村の人々と談笑していた。
私とアルセラは連れ立って彼らのもとへと歩んでいく。
そもそも、こう言う祝勝会のような場所では、主賓と主催者は一つの箇所にとどまるわけにはいかない。可能な限り多くの人々と挨拶を交わし、言葉を交えることに意味がある。
アルセラと私がそれぞれに軍人の彼らに声をかけた。
「正規軍の皆様」
「ご談笑中、失礼いたします」
私たちの声に皆が視線を向けてきた。と、同時に手にしていたグラスを傍らのテーブルの上において姿勢を正す。グラスを手にしたままでは失礼と捉えるのが彼らだからだ。
「これは御領主に、ルスト殿」
そう答えてくれたのは、正規軍の憲兵部隊を率いていたワイゼム大佐だった。その他にも上士官や将校格の方たちが十名ほど集まっている。
アルセラは彼らを見つめながら答える。
「今宵は祝勝会にご参加いただき誠にありがとうございます」
さらに私が問う。
「皆様はお楽しみですか?」
その問いかけに大佐は言った。
「はい、侯族領主の方々や領民の皆様がたとも、楽しく語らわせていただいております。此度の討伐成功を心より慶ぶものであります」
そう言いながら彼らが右手を差し出してくる。私とアルセラもそれぞれに右手を差し出して握手で返した。アルセラが言う。
「皆様方には重要な局面での戦列へのご参加を頂き、心より感謝する次第です。皆様のご参加あってこそ、国境線防衛が可能のなったと私は考えております。今宵のこの勝利への称賛の声は私たちだけでなく皆様方にも送られるべきものです」
アルセラは凛として背筋を伸ばして立ち、毅然と胸を張って告げていた。その姿に大佐はしみじみと告げてきたのだ。
「立派にお成りですな。アルセラ様」
大佐はまるで娘子か家族でも見守るような視線でアルセラを見つめていた。
「我々が駆けつけた当初の頃とくらべれば、今やどこからみても領主として立派に振る舞われていらっしゃる」
そして、アルセラの肩を叩きながらこう続けたのだ。
「お強くなられた」
たがアルセラはゆっくりと顔を左右に振った。
「いいえ、私は無我夢中で導かれるままに自分自身の成すべきことをこなして行っただけです」
そして彼女の視線は私の方へと向かう。
「こちらにおられるルスト隊長がおられたからこそ、私たちワルアイユの里の者たちは生き延びることができたのです」
アルセラが語った言葉は、いやがおうにも皆の視線は私へと向けさせる。大佐が言う。
「こう申しておられるが、いかがかな?」
その言葉に思わず苦笑してしまう。
「このような時くらい素直に賞賛を受けても良いのではないかと思うのですが。事実、彼女アルセラの決断力と行動力は話に聞く故バルワラ候の人柄を忍ばせるものです。彼女の才能はこれからまだまだ伸びるでしょう」
私がそう、アルセラを褒めそやせば大佐はこう言ったのだ。
「おっしゃる通りです。先ほどの主催者挨拶も実に見事なものでした。この分で行けば、懸案だった祝勝会も無事に終えることができるでしょう」
「私もそう思います。あと少しです」
そう、アルセラの領主継承が無事に滞りなく済むまであと少しなのだ。その言葉に大佐は頷きながらこう述べた。
「まさにあと少しですな。我々と彼女が此度の一件で知り合えたのは何かのご縁です。これからも公私ともに関わらせていただきたい。そう思うのです」
その言葉は上級候族の人間としての人柄を偲ばせるものだ。偉ぶらず媚びずそれでいて包容力を感じさせる。アルセラも、素直に喜ばすにはいられないだろう。
「願ってもないことです。まだ右も左も分からぬ若輩ではありますがご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」
そのアルセラからも礼儀と礼節をわきまえた適切な言葉が滔々と流れ出る。それもまた日頃から身につけていた品性と教養の賜物だった。
「うむ。こちらこそ」
そう述べながらお互いに右手を差し出してくる。握手を交わしあうと、大佐は正規軍の他の者たちに断りを入れつつその場から離れた。他者の混じらないところで込み入った話でもするのだろうか?
彼のあとをアルセラとともについていけば、生け垣の片隅のところで大佐は立ち止まった。
そして、振り向くと彼の言葉は私へとかけられた。
「時に、ルスト隊長」
「はい」
「此度の活躍に伴う武功、実に見事であった。その戦術指揮の素晴らしさを今も皆と語り合っていたところだったのだ」
「お褒めいただき、身に余る光栄です」
社交辞令的なやり取りとして、当然のように私は礼を述べた。そこで大佐は私へと意味深な言葉を告げる。
「正規軍の軍大学での実績は伊達ではなかったと言うことであるな」
その言葉はそう、まるで私の正体にまつわる言葉だった。
「それは――、お戯れを大佐」
しらを切ろうと言葉であしらう。一部の人々には私の正体は明かしてあるが、まだおおっぴらでしていいものではない。新たな騒動を引き起こしかねないからだ。私の背筋を冷たいものが伝った。だが、そんな反応すらも彼には想定のうちだったのだろう。にこやかに笑いながら彼は言う。
「失礼、いささか言葉が過ぎましたな。お気を害されたら許されよ」
ワイゼム大佐の笑い声が響く。それもまた私の正体と今の立場をともに慮っての発言に思えた。人当たりが良さそうに見えて意外と食えないところがあるのだと気付かされずにはいられなかった。
「勘弁して下さい。大佐、他の者に聞かれたらなんと思われるか」
そして私は取り繕うように言った。
「私は私として精一杯、やっと来ただけに過ぎません。戦術も作戦指揮も職業傭兵と言う仕事の中で必要に迫られて身につけたものです。とりあえずは努力の結果――とだけ言わせてください」
「わかっているとも、貴公になにがあろうとも〝秘密〟は守る。そなたにはそなたのご事情がお有りだろうからな」
さすが、西方司令部の作戦本部を差配する人物だ。私についての事情をすべて見透かしておきながらも、それ以上追求するつもりはさらさら無いのだ。ただ、一人の人間の好奇心として聞いておきたい――、そういう腹づもりなのだろうと思う。
「貴公にはいずれ、さらなる活躍の場が与えられるだろう。此度の武功の大きさを考えれば、軍の中央本部が放っておくはずがないだろうからな」
それもまた事実だった。
「それは覚悟しております。表向き2級傭兵の身分でありながら軍の中央本部を動かしたのです。それ相応の代価は払わねばならないでしょうから」
それはひとつの覚悟だった。私はいずれ、政治的な思惑も絡んで〝国家的英雄〟の立場に押し上げられてしまうだろう。
それは世の中の常であり、国家というものを動かしたことへの代償というものなのだから。
大佐は私に言う。
「その時は何かあれば力になろう」
「ありがとうございます。ワイゼム大佐」
それは一人の軍人として、そして上級候族の人間としての、配慮に満ちた言葉だった。
「アルセラ候も、新領主として身を立てるまでには様々な難事があろう。此度のことは互いの縁に始まりだ。何かあれば知らせてはくれまいか?」
その言葉にアルセラが笑みを浮かべる。まるで信頼できる兄にでも出会ったかのように。
「お心遣い、ありがとうございます。ワイゼム候、これからもよしなにお願いいたします」
「うむ、承知した」
私の言葉に大佐はそう簡素に答えた。私は大佐に尋ねた。
「そう言えばエルセイ少佐は?」
そういえば彼の姿が見えない。本来であれば大佐の部下としてこの場に居ておかしくはない。
「あぁ、彼ならばこの祝勝会会場の警護役の責任担当を引き受けている。誰かの差配しなければならない事だからな。兵卒を率いてこの会場周辺を見回っているはずだ」
生真面目といえば生真面目、その行動は間違ってはいない。でもさすがにそれでは申し訳ないような気もする。アルセラが恐縮して言う。
「そんな、そこまで骨を折っていただいては申し訳ありません」
「なんの、これでなかなか彼も楽しんだ上で警護役を引き受けているのだ。華やかなる会場では礼服で守りの役目で目を光らせるのも祝勝会を盛り上げる演出の一つだ、と言ってな。会の終わりの頃に頃合いを見て挨拶に来るであろう。その時によろしく願いたい」
ここまで言われては少佐の頑張りと配慮を無視するわけにはいかないだろう。アルセラは言う。
「重ね重ねのご配慮、誠にありがとうございます」
そしてアルセラはにこやかに微笑みながら言葉を続けた。
「それでは少佐殿にはあらためてご挨拶をさせていただきます。それまで皆様でご歓談をお楽しみください。私たちはこれにて」
そう、礼を述べて私たちは大佐の下から離れた。
大佐の満足気な視線が私たちの心の中に心地よい印象を残してくれていた。
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