査察部隊の隊長である私――ルストが、メルト村の夜の闇の中で戦いを始めたその頃――
村の礼拝堂の鐘塔の中ではある人物たちが頂へと向けて駆け上がろうとしていた。
† † †
一人は査察部隊の隊員で、フェンデリオル全土でも指折りの弓の名手――
様々な戦地で狙撃手として敵兵を葬り去ってきた歴戦の猛者――バルバロン・カルクロッサ――
もう一人は農婦の娘リゾノ・モリソンの弟でセラジア・モリソン、今年で13になる少年だ。
バルバロンは普段はキャソックと呼ばれる飾り気のない立て襟ロングコートを身に着けているが、弓兵としての仕事をするときは必ずそれを脱いでいる。ズボン姿に袖なしのVネックシャツと言う出で立ちで、シャツの中には鍛え上げられた胸板と太い腕が目立っていた。
弓取りとして腕の筋力は重要だ。まるで丸太のような太さがあった。その筋力が彼の弓の威力を示していたのだ。
対するラジア少年はラフな仕立ての作業用ズボンに上は袖なしの木綿のスモックと言う簡素な姿だ。ただし足下はショートブーツを履いている。村の義勇兵として活躍するときはブーツを履くのが基本なのだろう。
骨太でごつい作りの長距離用弓を手にして駆け上がるバロンに対して、その後ろを予備の弓を詰めた矢立を抱えたラジアが必死に追いかけていた。
「急げ! 外で戦闘が始まってしまう!」
「は、はい!」
バロンの叱責に対して、ラジアは必死に食らいついていた。
「屋根上に出て狙撃を行う、お前には〝矢掛け〟をやってもらう」
「矢掛け?」
「弓取りの者に予備の矢を差し出す補助だ。直ぐ側に居てもらうことになる。危険な役目だが、手助けを言い出したのはお前だからな。しっかりとこなしてもらうぞ」
「はい!」
バロンの言葉にラジアは威勢よく答えていた。そして、その言葉にはある種の憧憬のような思いがにじみ出ている。
若輩の少年兵にもよくある光景――、バロンはラジアが弓取りの者に対してなんらかの畏敬を抱いているのではと睨んでいた。
だがここは戦地だ。憧れだけで務まる場ではない。その厳しさをバロンはにじませた。
「行くぞ。気配を気取られると返り討ちに合う。しくじるなよ」
――返り討ち――
その言葉にラジアの表情が険しさを増し、声を出さずに頷いている。無駄声を出さない事の重要性が理解できているかのように――
鐘塔の頂へとたどり着く、そこから屋根上へ出るための小さな木戸がある。先にバロンが外に出て状況を確かめ、その後をラジアが追う。
礼拝堂の屋根は青銅製の板張りで滑りにくくできている。足を載せても瓦のように音を立てることもない。狙撃の場の足がかりとしては申し分ないだろう。
一歩一歩足を踏みしめながら屋根上を歩いて眼下を見下ろす。
バロンが敵の姿を捉えようとする間、ラジアがバロンの後をついてくる。そして、ラジアがバロンのすぐ脇へとたどり着いたその時だ。
「居たぞ――」
その言葉と同時にバロンの右手がラジアに差し出される。ラジア少年にはその意味が即座に理解できた。
「はい」
声を抑えて答えると抱えていた予備の矢を収める矢立の道具から矢を取り出す。そして、矢をつがえるのにやりやすいように矢の根元の方を差し出した。
バロンはそれを無言で受け取ると自らが左手で握りしめている弓へとつがえていく。
バロンの弓は戦地での持ち運びと携帯性を考慮した特殊な組み立て式だった。金属で組まれた握りとなる中心部分と、異なる材木と金属板とを張り合わせて作られた弓とが組み合わせられている。通常は半分に折りたたんで、戦地でそれを広げて弦を張るのだ。
特殊な構造ながら威力は高く、フェンデリオルの正規軍にて開発されたものだ。
戦場で陽の光の照り返しを防ぐために黒塗りされている。さらに長年の使い込みと手入れとで鈍く黒光りしている。
それを右手に握りしめ。左手で矢をつがえて弦を引く。
――キリキリキリ――
羊の腸から作り出した弦に矢を番え、弦を引きながら狙いを定める。
右手で弦を引き絞り、左手で弓を支え、その視線の方向へと矢を向ける。夜空は薄暗く人物の姿は肉眼で捉えるのも至難の技だ。だがバロンの視線は確実に何かを捉えていた。そして、その先にあるのは――
「見えた」
――村の目抜き通りの家屋の影で息を潜める暗殺者装束の革マスクの男たちだ。いずれもがアルセラたちが潜んでいる村役場へと視線を向けているのが覗い見えた。
「俺の矢を受けて死ねることを誉れと思え」
その呟きを言い終えるのと同時にバロンは矢を放った。
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