その事実が語られた時、会議参加者たちからはざわめきが広がった。進行役のシノロスがたしなめるように告げる。
「静粛に! クドウ女史、続けてください」
「はい、エライア嬢の失踪が2年前に起き、それがヘルンハイト留学であると広報されて以降、我がヘルンハイトには尋常ではない数の問い合わせの書状が送られてくるようになりました。軍関係者はもとより、一部報道関係者、さらには通報情報としての賞金目当てのものに至るまで実に様々でした」
ユーダイムは問う。
「その具体的な数字は?」
「はい」
トモは一呼吸おいて明確に告げた。
「私が確認している限りでは、現時点でヘルンハイト全体で1720通の書簡が寄せられています。しかし、表向きには把握されない問い合わせがあることを考慮すれば、実際には2000を超える問い合わせがあったものと考えるべきです」
そしてその書簡による問い合わせが殺到したことで引き起こされた別な事態が語られた。
「これらの問い合わせにより学術組織や公的機関の通常業務にも少なからぬ支障が見られるようになり、早急の対応が求められていました。この事態に対応するために、外務省の一角に調査班が組織されヘルンハイト国内におけるすべての調査が一元化されたもとで行われました」
シノロスが更に問いかける。
「その調査とは?」
「モーデンハイム家のエライア様が、実際にヘルンハイトへと留学してらっしゃるか否かの事実確認です。約2年近い時間がかかりましたが、全ての学術機関や、大学、研究施設、養成期間、さらには、講師や教授として着任している可能性を考慮し、幼年学校、初等学校、高等学校などに至るまで、しらみつぶしの調査が全て終わり結論が得られたと言います」
トモのその言葉に会議参加者から言葉が漏れる。
「しらみつぶしだと?」
「国内全てをか?」
「さすが学術国家のヘルンハイトだ」
さらにユーダイムが問いかけてくる。
「してその結論とは?」
「はい。エライア様は間違いなく、我がヘルンハイトへとは留学しておられません! これはヘルンハイトの外務省筋から入手した確実な情報です」
話はそこで終わらない。さらなる問題が持ち上がっていた。
「この調査結果をもとに、ヘルンハイト政府筋を経由して抗議文が作成中であるとのことです」
「抗議文ですと?」
「はい。しかもこの抗議文は国家元首であられる大公殿下の名が明記された公式な国家間の抗議文です。ヘルンハイト政府から、フェンデリオル政府へと送達され公的な効力を発揮します。そしてそれが、いかなる事態を引き起こすか? お分かりですか?」
トモのその問いかけはかなり口こそ穏やかだったが、それゆえにその意味はしっかりと伝わってきた。
会議参加者たちの中から戸惑いの声が漏れていた。
「まずい」
「さすがにそれはまずいぞ」
「とんでもないことになった」
急に溢れ出した驚きと不安の声に、問題の当事者であるデライガは理解できていないかのようになおも憮然とした表情のままだった。
そんなデライガをたしなめるかのようにユーダイムは指摘する。
「つまりは、当家令嬢の失踪を隠蔽し批判を封じるために海外への留学したと言う虚偽事実を発表する際に『ヘルンハイト』と言う国名を〝無断で使用した〟ことへの明確な国家間の抗議と言うわけですな?」
それはあってはならない事態だった。国名とは極めて重いもの。たとえどんな階級的権力があったとしても不用意に用いればそれ相応の対価を要求されるものなのだ。名前とは名誉そのものだからだ。
トモは鋭い声で告げる。
「公式な抗議が通達された後になれば、フェンデリオルは国家全体を上げて今回の事態の釈明を行わなければなりません。そしてその後にフェンデリオル政府中枢は、問題の当事者であるこのモーデンハイム家に対して厳しい追及を行うでしょう」
淡々と告げる言葉の中でトモは、視界の片隅で憮然とした表情でなおも沈黙を守り続けるデライガへと視線をぶつけた。
「それがどんな事態を引き起こすのか? お分かりですね?」
たった一つの嘘――、自らの娘を軽んじ批判を封殺するために持ち出した嘘。それがまわりまわって、国家と国家の対立の火種になりかねない巨大な問題として戻ってきたのだ。
憮然とした表情で沈黙を守っているデライガはその肩をわなわなと震わせている。そしてようやくに言葉を絞り出す。
「う、嘘だ――」
呆れた一言だった。
「ヘ、ヘルンハイトの、こ、公的外務職員ではない一介の学者にすぎないお前に何が言える!」
デライガは逃げようとした。だが、トモは学者だ。知識を武器に闘う者だ。この程度の反撃は彼女にとって想定の範囲内だった。
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