私はノリアさんといっしょにアルセラの横顔を眺めながら話に聞き入った。
「ワルアイユは重要な大きな市街地から離れているがゆえに十分な医療を受けられません。内臓の病気を患って1年近く寝たきりで過ごしたまま治療の甲斐なく天に召されました」
そして彼女はある想いを口にした。
「お父様もずっと努力してきましたが、辺境の土地でも十分な医療が受けられるようにと、お医者様が定住してくれることをずっと願ってました」
「それは村長さんも言ってらっしゃったわ」
「ええ、今回のような騒動で巡回医師が来れなかったり、十分な薬が届かなかったりしたことで体力の弱い子供達やお年寄りが少なからず犠牲になりました。私がこれから領主としてやって行くのであればやはり医療の問題は必ず解決したいと思うんです」
「お父様が残された医療保養施設の計画のことね」
「はい。時間はかかりますが必ず形にしたいと思っています」
その言葉はアルセラが、自らの役割に何が求められているのか? ということをしっかりと理解しているということに他ならなかった。でも地方都市や辺境の土地での医師不足医療不足はそこかしこで見られる問題だった。解決には困難と長い時間が伴うだろう。
「あなたの強い意志があればきっとできるわ」
「はい」
そう答えるアルセラの顔には憂いの中に明日への希望が垣間見えていたのだった。
湯に入って語らいあっているうちにかなりの汗も出てきた。そろそろアルセラも慣れてきたことだろう。体に巻いたタオルケットを外しながら私は言う。
「そろそろこれ外してみましょう。せっかくの温泉なんだから」
私はためらわずに体に巻いたタオルを外す。アルセラから見て大胆に思えたのだろう、驚いた表情をしながらも恐る恐る自分の体に巻いたタオルに手をかけた。
「あ、はい」
彼女の視線が私の素肌に注がれているのはよく分かる。おそらくは自分の体と私の体の違いを気にしているのだろう。ノリアさんがそんなアルセラを微笑ましく見つめている。
彼女のようにこういう小さい村でお屋敷で暮らしているとなると自分以外の女の人と入浴することなどまずないはずだ。ましてや他人の体を間近で見ることなどほとんどないだろう。
私は彼女を気遣うように言う。
「気になる? 私の体」
「えっ? あっはい」
そう答えつつ恥じらいながらも、アルセラは自分のタオルを取る。私と同じに生まれたままの姿になり、湯船に身を委ねた。それはノリアさんも同じだ。タオルを外し湯の中に身を委ねる。
女同士恥ずかしがることは何もない。
やがてすぐに気恥ずかしさもどこかへと去っていった。
私はアルセラにお風呂にまつわる昔話を語り始める。
「さっきも言ったけど、私、軍の学校に行ってたでしょ。軍学校って完全な寄宿生活だから就寝する部屋以外は全部共同なのよ」
「食事は分かりますけど、お風呂もですか?」
「うん、こういう大きいお風呂が寮にあって夜の決められた時間に入れるの。訓練や任務の後に体の汚れを落とすためにシャワーとか使うし、こういう風呂場で裸の付き合いになるのは珍しくないのよ」
「じゃあお互いの体を比べたりとか?」
「もちろんやるわよ。どっちの胸が大きいとか、誰が太ももやお尻が大きいとか」
「へぇ」
自分の知らない世界の話なのでアルセラは興味津々だった。彼女は自分の胸をそっと触れながら私に聞いてくる。
「その……、やっぱり大きい方が自慢になるんですか?」
アルセラはまだ15歳。体つきは大人と子どもの中間と言ったところだ。小さくてまな板というわけではないが、大人と比較すれば確かにまだまだ小さい。
でも、これから美しく成長していくだろう。不安がることは何もないのだけど、年頃の少女らしく自らの体のことも気になるのは当然のことだった。
本来ならば母親や身近な小間使い役が大人の女性としての必要な知識を教えていくのだろうけど、彼女には今までのことでなかなかそのような機会得られなかったのだ。
「大きいからといって喜ぶのは男の人だけよ。大きすぎると重くて邪魔だし、動きにくいし、何より服も選べなくなるからね」
「あ、そうなんですか?」
「ええ、いつでもオーダーメイドの服を仕立てられるならともかく、普通は既製品の服を使うからね。そうなると標準的な体型の方が数が多いし色々選べるのよ」
「へぇ」
私の語りに彼女も興味が惹かれたのだろう。
「お姉さま、お姉さまの学校時代のこともっと聞きたいです」
そう求められれば断るわけにはいかない。
「いいわよ」
湯船の中で脚を投げ出し、湯の温かさにのんびりと体を委ねながら私は話し続けた。
「私はね8歳の時に軍の幼年学校に入ったの。身分の違いを越えて色々な階級の人達と一緒に暮らしたわ」
私は懐かしい昔のことを思い出していた。
「はじめはね、それまでの侍女や執事の人たちが何でもしてくれていた頃の癖が抜けなくて周りに迷惑かけたりとかしたんだけど、ひと月もすれば大抵のことは自分一人で出来るようになったわ。と言うよりそうならなきゃいけなかったのよ」
「何でですか?」
「だって、戦場に召使いはいないでしょ?」
それが事実だ。いざという時は自分自身何でもこなさねばなければならないのだから。
「候族出身の軍学校生徒は、最初の一年でそのことを徹底的に叩き込まれるの。それを乗り越えた人だけがその先へと進めるのよ」
さすがに体が熱くなってきたので湯から体を出すと湯船の縁に腰掛ける。
「そしてその次に来るのが、毎日のように続く肉体の鍛錬と軍事教練。そして、それぞれの適正と進路希望に合わせた授業、週末の休息日以外は休む間もないというのが本当のところよ」
「すごいです」
思えばアルセラは学校に進んだことはないだろう。この屋敷の中で家庭教師に教えを請うたのがせいぜいなはず。だからこそ学校と言う未知なる場所に興味を惹かれるのだ。
「でもね、一番の楽しみは週末の休息日なのよ」
いかにも興味津々という顔をしてアルセラも湯船から体を出す。私の隣に寄り添うように湯船の縁に腰をかけた。
「週末の休息日は自由な外出が許されるの。そこで街中へと学友達と一緒に繰り出すのよ。それでね、こういうお話があるの」
「何ですか?」
「候族出身の子たちって、街中の庶民の人たちの事って知らない人が多いでしょ?」
「分かります。私も村の中心街に行っても分からないことが多いですから」
「そうそれそれ! そういうのって平民上がりの子の方が色々と知ってるものなのよ。お菓子の美味しいお店、手軽にお茶の飲める喫茶店、可愛いアクセサリーを売っている雑貨店、可愛い服を安く買えるブティック、実家に持って帰ったらお母様や家庭教師に怒られそうな刺激の強い本を売っている本屋さんとか。そういうのを通じて色々な階級の子と知り合って仲良くなっていくのよ」
「へぇ、イイなぁ」
「でしょ? だからねアルセラ」
「はい」
「あなたも、村の同い年の子達と積極的に関わるようにしなきゃダメよ? 身分がどうこうとか言ってくる人がいるかもしれないけど、いざという時に頼りになるのはやっぱり気心の知れた仲間同士なんだから」
「はい! 今ならその言葉の意味がよくわかります」
その言葉にはアルセラの成長の跡が見えていた。館の中に閉じこもって塞いでいたあのときとは違い、この戦いと困難を乗り越えて自らの知らない世界へと踏み出した彼女がそこに居たのだった。
柔和な笑顔を浮かべながらアルセラは言った。
「戦いから帰ってきて、まず最初にしたのが、参戦してくれた通信師の彼女たちを労うことだったんです。表向きは彼女たちから直接報告を聞くという形にして、実際には一緒に食事をしておしゃべりして、この館で一晩泊まってもらったんです」
「へぇ、うまいこと考えたわね」
「はい、領主である私と村人の子供が大人抜きで集まるということに苦言を口にする人もいましたから。でもそこは村長や執事長がなんとか言いくるめてくれました」
「そうなんだ」
「はい。そしてその中で彼女たちも辛い思いをしていたこと、私の身の上に降りかかったことを心配してくれていたことを知りました。そして何より、これからも仲良くしてくれる――そう言葉を交わし合ったのがとても嬉しかったんです」
私はアルセラの太ももにそっと手を乗せながら言った。
「それが〝仲間〟そして〝親友〟と言うものよ」
「はい」
「どんなに距離が離れても。どんなに時が経っても。一度培った信頼の絆は離れることはないわ。だからアルセラ」
「はい」
「あなたは一人じゃない。それだけは絶対に忘れないで」
「もちろんですお姉さま」
その時のアルセラは弾けるような笑顔をしていた。私はその時の彼女があまりにも愛おしくなりためらわずにごく自然に彼女を抱きしめた。
「アルセラ」
「はいお姉さま」
「あなたのこと、ずっと忘れないからね」
「私もです」
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