「ご支度、お疲れ様です」
「いいえ、私はただ座っていただけですから。ノリアさんをはじめ、皆さんに綺麗にしていただいて本当に感謝しております」
そんな時、館の奥の方から姿を現したのはサマイアス候だ。見事に着こなしたルダンゴトコート姿で歩いて来る。そして彼の口から言葉が漏れた。
「おお、お美しい」
私は昔の候族時代の作法を思い出しながら、左手に持っていた扇子を閉じたまま口に当ててこう答えた。
「そんな、お恥ずかしい限りです。それより、サマイアス候こそ、お忙しいご様子で恐れ入ります」
「なんの、戦場で戦っていたあなた方に比べればこれくらい容易いものです」
そして彼は私の立ち振舞いを眺めながらこう告げた。
「それにしても、立ち振舞いの所作がお見事ですな」
その言葉に私の傍に佇んでいたノリアさんが私を評して言う。
「おっしゃる通りです。ご一緒にいさせていただいて惚れ惚れ致します」
私から見てノリアさんは軽々しくお世辞を言うような人じゃない。ここは素直に感謝してもいいだろう。
「ありがとうございます」
私がそう答えるとサマイアス候は命じる。
「今日の祝勝会では主催であるアルセラ候と、主賓であるエルスト様とに、それぞれに小間使い役が必要になる。ザエノリア君はアルセラ様に、サーシィ君はエルスト様にそれぞれついていてくれ」
「はい!」
「かしこまりました」
そして、ノリアさんたちは言う。
「では早速、私たちも準備させていただきます」
「では後ほど」
そう丁寧に礼をしながら二人は去っていった。
すると、それに入れ替わるかのように改めて姿を現したのは誰であろうアルセラだった。
アルセラもすでにドレス姿になっていた。
柄やデザインはほぼ同じだが、色は私の純白系の薄クリーム色とは異なり、レモン色をしている。白い色を私に譲っているのは、主賓が私であると言う事を周囲に示すためだろう。
「ルストお姉さま!」
お姉さまと言う、言い回しから感じるのは、アルセラにとって2歳しか違わない私という存在は姉のように見えるのだろうと言う事だ。
アルセラは満面の笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。慌てて駆けてこないのは昨日から仕込んでいる礼儀作法の鍛錬の賜物だった。足音を立てず、背筋を崩さず、きれいなシルエットのままアルセラは私の方へと歩みよってきた。そして一言述べる。
「素敵です。お似合いですわ」
自分が私とおそろいの仕立てのドレスを着ていることに喜びを感じているのはあきらかだった。アルセラは言う。
「お気に召しました?」
こうまで笑顔で問いかけられれば否定するわけにもいかない。
「えぇ、とっても」
「そう。よかった」
喜びながらも彼女は私の手を握ってくる。これを拒否するいわれはない。
「いろいろとありがとうね。でも、これからが大変だから気を抜いちゃだめよ」
「はいです。お姉さま」
そして私はアルセラに問いかける。
「早速だけど、昨日の続きをするわよ。いい?」
「礼儀作法の復習ですね? かしこまりました」
そんなふうに話し合いながら私たちは場所を移す。移動した先は2階の談話室。本来ならば長テーブルと椅子が並んでいるのだがそれらは脇の方へと片付けられていた。
「これは?」
「はい、昨日の夜も、今朝、朝早くからも練習をしていたんです」
「そうなの?」
「はい」
私たちがそんな風に会話をしている時だった。談話室の扉が開いた。そしてそこから姿を現したのは歳の頃六十ほどの年配の女性だった。
髪は白髪、着こなしているのは中央首都やその周辺地域で見られるエンパイアスタイルと呼ばれるコルセットを用いないスタイルの、ハイネックのワンピースドレスだった。その上に厚手のショールを肩にかけ、腰から下にはオーバースカートを重ねている。
着こなしも実に見事で、その服を見てるだけでもこの国を幅広く流れ歩き見聞を広め続けてきた人であることがよくわかった。
「あらここに居たの?」
「先生」
「2階に上がっていたと言うからまた練習でもしてるのかと思ったのよ」
「はい、私がお世話になったエルスト様がお見えになられたので礼儀作法の仕上がりを見ていただこうと思いまして」
「そうだったの」
二人でそこまで会話を交わした後、二人は私の方を向いた。そしてその白髪の老齢の女性をアルセラは紹介してくれた。
「ご紹介します。セレネルズ家でご活躍なされていた家庭教師のケリーメ・エドワーズさんです」
紹介された後にケリーメさんの方から歩み寄ってくる。私も自ら進み出て手を差し出す。
「ケリーメです」
「エルスト・ターナーと申します。職業傭兵をしております」
「はい、お話はアルセラからお聞きしております。大層立派な礼儀作法を身につけてらっしゃるようで」
「いえ、そんなことはありません。昔身につけたものを必死になって思い出してるだけですから」
そんなふうに互いを名乗りあった後、私は彼女に尋ねた。
「それでアルセラの礼儀作法の仕上がりの方はいかがでしょうか?」
「それは私が口で述べるより実際にご見聞なされた方がよろしいかと存じます」
さすが家庭教師を生業としていただけあってその語り口や所作は見事なものだった。
そしてアルセラはケリーメさんの言葉に促されるように、談話室の端へと移動して静かに佇んでいた。
私はケリーメさんと並ぶようにしてアルセラの振る舞いをじっと見守った。
ケリーメさんが告げる。
「さ、始めなさい」
厳しさを帯びた凛とした声が発せられる。それを耳にしてアルセラは慌てることなく自然にふるまい始めた。
私がじっと見守る中でアルセラは一歩一歩静かかつ優雅に背筋を乱すことなく均一の速度で進んでいく。首筋と顎の位置、手の位置、そして何より正しい姿勢を意識するあまり肩に力が入っていないか、気持ちに余裕がなくなっていないか、一つ一つを確かめていた。
そして、部屋の端までたどり着くとゆったりと身を翻して戻ってくる。その戻ってくる時の仕草も確かめていく。
アルセラがこちらへ戻ってくるまでの間、私とケリーメさんはアルセラをじっと見守っていた。
戻り終えれば、今度はテーブル回り。ケリーメさんが椅子の一つをテーブルから引くと今度はそちらへと歩いていく。
テーブルを前にして椅子に腰掛ける時も所作が重要になる。少なくとも自分の体重がはっきりわかるようにドスンと腰をおろすようでは目も当てられない。
だが、アルセラは違った。
――スッ――
動きの乱れも過剰な勢いもなくゆったりとした動きで腰を下ろしていく。椅子に座る時は背後に控えている使用人の補助を意識しながらの着座になる。息の合った動きで実に優雅に腰を降ろして見せた。
そして今度は椅子から立ち上がる。その時無理に椅子を動かして音を立てるようではいけないのだが、アルセラは変な音も出さずに無理なく立ち上がって見せた。
「良いでしょう。こちらにいらしてください」
「はい、先生」
そう答えた後でアルセラは私の方へと近寄ってきた。そしてその時、ケリーメさんが私に問うてきた。
「いかがでしょうか?」
「はい、最高の仕上がりです。これならどこへ出しても問題ないでしょう」
「ええ、私もそう思いますわ」
昨日の夜、教え始めの時はこれからどうしたらよいのかと途方にくれるような状態だった。それに一度は泣き崩れて諦めるような状態だったのだ。
それを気持ちを持ち直し再び立ち上がると、アルセラは自分にないものを身につけるために必死に立ち向かった。そしてこれがその成果なのだ。
「お見事よ、アルセラ」
「はい、お褒めいただきありがとうございます」
「よかったわね、アルセラさん」
「はい!」
ひとつの壁を乗り越えて成果を示したアルセラの表情は明るかった。
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