「〝シュウ・ヴェリタス〟って……」
「知ってるの?」
「ばか、知ってるも何も北部都市のイベルタルで〝北の街の女帝〟と言われた人だぞ?」
「えっ? そうなの」
「そうなのって……まぁ、裏社会の事情にまで踏み込んでなければ知らなくてもおかしくないか」
「まぁ、イベルタルの娼館ギルド連合会にすごい影響力を持ってるって事だけは知ってたけど」
私の背中でプロアが思わず溜息を漏らす。
「あまりその人の名前軽々しく口にするなよ? 裏社会でもものすごく影響力のある人だ。お前を手配師から救えたのもその影響力あっての事だ」
私は思わず自分の恩人の裏の顔を知ることとなった。でもそうだったとしても感謝の心に変わりはない。プロアが尋ねてくる。
「でもなんでそんなすごい人の所から逃げるハメになったんだ?」
「うん。それはね、ある事件から私の正体が露見したからなの」
私は一呼吸おいて理由を語った。
「その人の娼館で酌婦をしながら裏方の下働きをしていた。でもそんな時だった、ある客の異変に気付いたのは」
「異変?」
「うん、外国からのお客さんだったんだけど伝染病の兆候があったのよ」
「伝染病――」
「明らかな皮膚の異常。私はかつて学校時代に学んだ防疫学にそれと類似した症状があることを思い出した。放置すれば間違いなくイベルタルの花街に蔓延して大量の死者が出るヘタをすれば国全体に広がって取り返しのつかない事になる。一刻の猶予もない。私はそう気づいたの」
そこまで話してプロアは病気の名前を言い当てた。
「もしかして〝梅毒〟か?」
「そうよ。でもそれに気づいたのはほとんど私だけだった。その頃はまだフェンデリオルでは詳しく知られてない病気で対策も取られてなかった。でも一度感染が広がれば食い止めることはできない。阻止するには今この場で止めるしかない。そう気づいたの」
「でもそれをお前自身がやっちまったら」
「そうね。間違いなく私も正体は一気に露見するわ。でも私を助けてくれた恩人たちを見捨ててはおけなかった。
その怪しいお客を用心棒に頼んで身柄を取り押さえると、女将さんに直談判して娼館ギルドの幹部の人たちに話をつないでもらった。今すぐに全ての娼館を一時閉鎖して全ての客と娼婦を調べるべきだって」
「よく話が通ったなそんなの」
プロアの言うとおりだ。普通はそんなのどう考えたって通らない。その時はちゃんとした理由があったのだ。
「私自分の経歴を隠さずに明かしたの。軍学校で学んだ経験があって、そこで初歩的な医学や防疫について学んだことも打ち明けたの。
それに花街の人たちは、意外と自治意識が強いのよ。自分たちの街を守るのは自分たち自身という考えがあるの。具体的な症状と危険性、対抗策と治療法、私は自分の知っている知識を全て明かした上で正規軍の防疫部門に直接通報するように促したわけ」
そこでプロアが気づいてくれた。
「それでか、お前の正体と居場所が露見したのは」
「うん。年の頃は15、銀髪碧眼、医学や防疫にも詳しくて、軍の防疫部門の存在も知っているとなれば、そんな女の子そうそう簡単にはいないからね」
「当たり前だよ。バレて当然だ」
「まあね。そのあとあの人の息のかかった人に知られてしまいすぐに追手が迫ってきたの」
「そこで前にお前が話したように、冬の山の峠道を抜けようとしたってわけか」
「うん。吹雪に巻かれてすぐに遭難したけどね」
「よく生きてたな」
「悪運は意外と強いのよ」
「自分でそれを言うかよ。しかし、やっぱりそっくりだよお前はユーダイムの爺さんに」
そうまでいい終えてプロアの手が止まった。
「よしいいぜ。締め終わった。出来上がりだ」
「えっ? もう?」
「ああ、下着の体型矯正用のコルセットと違ってそうギチギチに締め上げるものではないからな」
私は腰の後ろを自分の手で触って確かめる。これなら自分でも締められそうな気がする。
「うん、いい感じ。ありがとね」
「おう」
「ちょっと待ってて、アクセサリーつけて終わるから」
そう言ってプロアに椅子に腰掛けてもらう。その傍らで私はイヤリングをつけていつものペンダントを付け直す。ペンダントの頭は簡単に露見しないように親指ほどの大きさの小さな袋で包んで隠す。その上に、ブルークリスタルで作られたペンジュラム型のペンダントを重ねて首にかける。軽くパフュームを吹き、シルク製のショールを上にかけ、足にはショートブーツを履き、コルセットドレスと同色のベレー帽子を頭に乗せ出来上がりだ。
「お待たせ! できたわよ」
「おう」
そう言って立ち上がるなり彼は左肘を差し出してくる。その腕にすがりつきながら私は言った。
「エスコートよろしくね」
「あぁ」
正直あまりにも甘えすぎるのもどうかとは思うが、今日だけはこの人に甘えていたい気分だった。彼が言う。
「周りの連中に妬かれたらどうするんだ?」
「いいわよ別に! 妬きたいだけ妬かせればいいのよ」
そして私は彼の肘につかまりながら彼を見上げてこう言ったのだ。
「それにあなたには今回の戦いで一番無茶なお願いをしたからね」
そう聞かされて彼は苦笑する。
「そういやそうだったな。じゃ役得ってことで」
家の外に出ればそれはすでに夕焼け空に染まっていた。空はすでに夏から秋へと差し掛かっていた。一人だけで歩くには少し寒すぎる。
でも今は一人じゃない。
「ええ! それじゃ行きましょう」
「おう」
そして私はプロアとともに天使の小羽根亭へと向かったのだった。
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