私はあっけにとられていた。
目の前の光景に、ありえない状況に――
「な、なんでこんなにいるのよ?」
――半ば呆然としながら店の脇合いの控室からそっと顔を出す。店の中には数多くの職業傭兵の男たちで溢れかえっていた。それはありえない光景だった。
私はその光景をきらびやかなドレス姿で眺めていた。いつもの傭兵装束ではなく二度と着る事もないはずのドレス姿で。
「すごい事になってるわね」
背後からそっと声をかけてくるのはリアヤネさん。
この店、食堂兼居酒屋の『天使の小羽根亭』の女将さんで三十代後半ながら若作りな人で既婚者、可愛い一人娘のセレネヤちゃんを育てながら店を切り盛りしている人だ。赤毛が印象的な痩身の美人だ。
その天使の小羽根亭は、この傭兵の街ならではというか、この街を活動拠点にしている職業傭兵たちの交流の場であり、無聊を慰める憩いの場でもある。普段から傭兵たちでごった返していた。
そんな天使の小羽根亭の片隅を借りて、あのサボり親父のドルスとの約束を果たそうという事になったのだが……
「話が違うわよ! 今日は西方司令部主催の合同講習会があったんじゃないの?」
フェンデリオル正規軍の西方司令部、そこの主催で職業傭兵たちを集めて基本的な約束事項を申し渡す講習会が、今日に開催されると言う話だったのだ。出られないときは別な開催日に代替えすればいいと決まり。
それならば天使の小羽根亭は空いているはずだ、と言うのがドルスの弁。
わたしとドルスは講習を受けるのは別な日にして、二人っきりで約束を実行する事になっていた。
ドルスは言った。
「お前だって、野次馬に見られたくないだろう?」
そりゃそうだ。あのオヤジを相手に酌をしている姿を見られたりしたら恥ずかしいどころか屈辱でしかない。だからこそドルスの出した案に私はのったのだ。でも、リアヤネさんはショッキングな事実を私に告げた。
「それ別な日よ?」
「へ?」
私は思わず間抜けな声を出してしまう。
「今日は7月14日、今日講習が開催されるのはお隣のヘイゼルトラムの街、うちのブレンデッドは7月20日だったはずよ?」
「ほんと?」
「うん、うちの旦那が言ってた。その日はあたしと西武都市のミッターホルムに行く予定だから今日の講習で済ませるってヘイゼルトラムに行ってるわよ」
ちなみにリアヤネさんの旦那さんは職業傭兵、先の哨戒任務では別な小隊で参加していたらしい。
「えっ?」
「ほんとに、ほら」
そう言ってリアヤネさんが私に見せてくれたのは傭兵ギルドからの通知文だった。そこには確かに7月20日開催と書かれていた。
「じゃ、あたしが見せられた通知書って」
「それヘイゼルトラム用のね。どっかから手に入れたんでしょね」
その言葉に愕然とする。そして、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「あいつー!」
「はめられたわね。ルストちゃん」
拳を握りしめふるふると震えている私の隣でリアヤネさんがため息を付いている。
「ドルスのやつ、こんな事までするなんて」
流石に温和な彼女もやり方の汚さに怒りを覚えていた。実際、ドルスは私に良い感情を持っていないのだろう。いや、私にと言うよりはヤツは女性が傭兵をやること自体を快く思っていないのだ。
「信用して損した」
私はポツリと漏らす。あの哨戒行軍任務のときにヤツは私を助けてくれた。その時の真剣な声に彼が本当は信用に値する人間だと確信を抱いた。だからこそ、あのとき彼のやる気を引き出すための約束を、真剣に守ろうとしたのだ。
でも、それは裏切られた。そう思うと目元に涙がにじみ出てくる。
リアヤネさんはそんな私の目元にハンカチを寄せて涙をとってくれる。
「ほら、泣いたらお化粧崩れるよ」
そして、私を慰めるようこう言った。
「どうする? 別な日にする? それともやめるならあたしが仲裁入るわよ?」
彼女は本気で心配してくれている。一人娘の親であるリアヤネさんは、同じ女である私のことを親身になって考えてくれているのだ。なるほど、それも一つの方法だよね。事情が事情だから、他の傭兵の人たちからも同情は集まるだろう。傭兵ではなく、か弱い女性としてならば――
ふと頭をよぎるのは、あの哨戒行軍任務の時の小隊の人たち。ダルムさんやカークさんなら何と言うだろう? 私をかばって終わりにするだろうか? ひねくれ者と言われているけど、意外に優しかったプロアさんはなんて言うだろうか?
いや、違うと思う。逃げる私に苦言を言ってくるだろう。
傭兵として生きたいのならば、傭兵としての筋を通せと。
「やる」
私の心の中に覚悟が芽生える。肩からずり落ちていたショールをかけ直して言う。
「やっぱり約束守ります。傭兵として、仕事の中で口にした約束ですから」
わたしは職業傭兵だ。個人の持つ武名とメンツが全てだ。ましてや隊長として約束したことを私心で反故にした――などと噂がたったら信用を無くすどころですまないだろう。
自分の信用は、自分自身で守る以外にないのだから。
リアヤネさんの顔を見れば、私のことを満足気に微笑みかけてくれている。
「そうだね。女の子であることに逃げたら、〝あの人たち〟の中に入っていくことはできないものね」
その言葉に頷きながら私は言った。
「リアヤネさん、ボトルとグラス2つお願いします。適当におつまみも」
「オッケー、あとで持っていってあげる」
「はい」
そして、リアヤネさんは私の背中を叩いて気合を入れてくれる。
「がんばって! あとで美味しいデザート目一杯食べさせてあげるから!」
「はい! 行ってきます!」
そして私は店の中へと歩き出した。
みてなさい。覚悟を決めた女がどれほどのものなのか思い知らせてあげるから。
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