「それでは着付けをはじめさせていただきます」
「えぇ、お願いします」
ガウンを脱いで裸体で立つと、まずは腰回りにつける下着のパンタレットを履かせてもらう。丈は短く、腰から太股の付け根くらいまでの物。
胸元のブラレットはつけない。ドレスが肩の辺りやデコルテが大胆に露出するデザインのものだからだ。
ドレスのデザインに合わせたシュミーズを身につけて、その上からコルセットを身につけるため丸椅子の上に腰を下ろした。
コルセットは軍学校に進んで以降ほとんど身につけていない。当然ながら着け方なんかすっかり忘れている。
そんな時、サーシィさんが尋ねてきた。
「ルスト様はコルセットはお着けにならないのですか?」
その間にも二人がかりでコルセットを着せてくれる。金具を嵌め紐を締め上げながら会話が進む。
「コルセットは身動きがしにくいから中央では廃れつつあるんです」
「えっ? そうなんですか?」
「えぇ、女性軍人や女性傭兵が増えたり、社会に出て手に職をつける女性が増えてるから、胴体を固定してしまうコルセットは使われません。正装用の衣装もコルセットを必要としないものへと変わっているんです」
「そうなんですか」
サーシィさんは少しため息をついた。
「時代は変わっていくんですね。ワルアイユは辺境ですから、どうしても流行には遅れるんです」
コルセットの何段にも交わされる締め紐を一段一段締める手際は実に見事だった。ノリアさんが苦笑して言う。
「ドレスがあまりにも古臭いんでがっかりしませんでしたか?」
そう言う言葉が出るということは、彼女も内心そう感じていると言うことだろう。だが私は言う。
「いえ、伝統が守られているという事はそれだけでも意味があると思います。このドレスってデコルテが大胆に露出していますけど、この地域独特のものですよね?」
「はい。この辺りは南方の隣国から異国文化が山越えして入ってくる事があるんです」
「南方――パルフィアですよね」
パルフィア王国、フェンデリオルと南側で国境を接している海洋国家だ。華やかで享楽的な文化傾向があるので有名だった。
「はい。パルフィアはとても開放的な文化の国ですから、肩や腕や胸元を見せるのはごく当たり前ですし、特に正装のさいや催し物のさいの晴れ着などはその影響が未だに残っているんです」
「素敵ですね」
ノリアさんの言葉に私が褒める。ノリアさんが着衣の細部を整えながら、サーシィさんがコルセットの一番下の段の紐を締めにかかっていた。サーシィさんは言う。
「そうですか?」
「えぇ、フェンデリオルの中央では、どんな正装の衣装でも晴れ着でも、首から下の素肌を出さないと言うのが、正装規定となっていて数百年以上前から今でも守られているんです。大胆なデザインのドレスを着るときでも〝トゥーロハゥト〟と言う肌に密着するタイトな素肌着を着るんです。肌をそのまま出すというのは無作法とされてます」
「へぇ」
トゥーロハゥトはある意味フェンデリオル女性の民族衣装みたいなものだ。肌に密着する極薄のタイツで首から手首足首までくまなく覆うのだ。ワルアイユのような他国文化の流入が激しいところでは見られないし、中央でも正装をするときしか使われなくなっている。だが昔の古い時代だと日常生活の場でも使われていたと言われている。
実は私が夏場でも長袖を選ぶのはこれが理由だったりする。子供の頃からそう言うドレスコードの中で育ったから、素肌をだすと言うのがどうしても抵抗があるのだ。どんなに暑くても長袖のブラウスは手放せなかった。
「それではどうしてもこのようなドレスだと戸惑われますよね」
苦笑しつつノリアさんが言う。
「よその地域から来られた方はこの肩出しスタイルに慣れてらっしゃらないので皆様戸惑われます。ずっと不思議だったのですが、その理由がやっとわかりました」
ところが変われば風習も変わる。衣装というのは地域差は必ず出るものなのだ。
「さて、ちょっと失礼しますね」
ノリアさんがそう語ると、サーシィさんは姿勢を変えた。それまで膝をついて私のコルセットの紐を締めていたのだが、立ち上がってコルセットの中ほどの段の余り紐に手をかけた。
「コルセットの紐を本締めします。驚かないでくださいね」
「えっ?」
わたしが驚きの声を漏らすのと同時に、彼女は私の背中に脚をかけた。
「せぇの!」
そして、そのまま思い切り締め紐を力の限り引っ張ったのだ。
――グィッ!――
コルセットは締めようとと思えばいくらでも締められる。本来はそのためのものだ。ドレスのシルエットに相応しいくびれたボディラインを作るのも1つの目的なのだ。でも、ちょっとまって……
「ぐえっ」
女としてなにか間違ったような声が漏れてしまう。だが、ノリアさんが私に言い聞かせる。
「我慢してください。もう少しです」
その間にもコルセットの紐を締め上げようとするサーシィさんは必死だった。
でも。も、もう少しって――
ちょっと息ができない――
窒息しそうになるのをこらえながら身を預ければ、サーシィさんの紐を引っ張る力は少しも緩まなかった。
「あと少し! そこ!お腹の力を抜いて!」
「は、はい」
「もうちょっとです! 頑張ってください!」
突然始まった苦行は、コルセットにはありがちな紐の締め上げ作業だった。ドレスを体に合わせるのではなく、体をドレスに合わせるという考えに基づくものだった。当然ながら、このドレスを着るためにはどの程度まで締め上げればいいのかは彼女たちしか知らないのだ。
泣きそうになりながら言われるがままにすれば、程なくして締め上げは終わった。そして、腰の後ろで余った紐を結びあげてコルセット装着は終わる。
「もうしわけありません。慣れてらっしゃらない方ですと体が固くて、こうでもしないと必要な量が締まらないんです。息はできてますか? 締め過ぎて息が詰まることもありますので」
そう問われて試しに息をしてみる。ゆっくりと胸で呼吸をするがなんとか息は吸えているようだ。
「だ、大丈夫です」
「お顔の色はおかわりありませんね。お辛いときはおっしゃってくださいね」
「は、はい」
あの、もう十分辛かったです。はっきり言おう。アルセラの好意じゃなかったら絶対着ていない。
「では、タイツとパニエをお着せいたしますね。そのままお立ちになってください」
言われるがままに立ち上がるとタイツを履かせてもらう。その次は4段重ねのパニエだ。
私はと言えば、コルセットを付けてしまうと屈むことすらできない。当然、タイツなどは他人の手を借りるしか無い。この不便さこそが中央でコルセットが廃れた原因なのだ。
此処から先、着終えるまでは全て彼女たちの手を借りることとなる。まさにされるがままだった。
上から被せるようにドレスを着させてもらい細部を整えてもらう。両肩には大柄なフィシューを巻いて胸元で大粒のカメオのブローチで止める。
足元にエスパドリーユを履かせてもらい、髪の毛に再度、櫛を入れる。お化粧も崩れてないか再度の確認が入る。
頬紅、口紅、眉墨、目張り――
戦場を駆け回っていた身としては化粧なんかしている余裕はないので、いやでもすっぴんを晒すことになっていたが、化粧を入れた顔をみんなに見せるのもこれが2度目になる。ドルスにお酌をするためにドレス姿を披露したとき以来だ。
先ほど体に塗り込んだ香油が体温で揮発し始め、さり気ない香りを放ち始めていた。
ロンググローブを嵌め、最後に純白の花のデザインのヘッドコサージュを付けてもらい、手には扇子を持たされて着付けは完成だった。
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