「自分で締められないこともないけど」
その場合、紐は腰の前側でまとめて縛り上げることになる。内側に着るならそれでいいけど、外側に魅せて着るのなら流石にそれはダサい。
「こ、こまった。手が届かない」
なんとか自分一人でできないか苦心惨憺してみたが、コルセットを着慣れてないのでうまく縛れない。脱ぐときに解くならなんとかなるけど、下手な形で縛ったりしたら自力で解けないなんてこともありうる。焦っていると余計にうまく縛れない。
そんなときだった。
「おい、居るか?」
家の扉をノックするのはプロアの声だった。これは渡りに船だ。
「居るよ! お願いそのまま入ってきて!」
事ここに至っては背に腹は代えられない。後で何を言われるにしても素直に助けを求めよう。
「おい、どうした――」
入ってくるなり戸惑っているのがわかる。
「なにやってんだよ?」
「なにって」
私がそう言おうとするなり彼は私の背中の方へと歩み寄ってきた。
「どれ、貸してみろ」
「おねがい」
「着慣れてないもの引っ張り出すからだよ。こう言うのは一回、全部解いて自分の手の届く形で紐を締め直すんだよ」
彼は軽くため息をついた。
「一時期、食い扶持稼ぐのに裏マダムの近侍役をやってたことがあるんだ。その時に女性の着物の着付けは散々叩き込まれたんだ」
彼は私のコルセットドレスの背面の紐を手慣れた手付きで解いていく。
「使用人を雇っているのは何も上流階級だけとは限らない。裏社会でも金に裕福な連中は、侯族様の真似をして使用人を雇いこんでいるんだ。ある金貸しの奥方がそう言う上流階級趣味でな、俺の経歴が気に入って雇ってくれたんだ」
彼ははからずも自分の過去を語り始めた。
「そこでそのマダムの近侍役を仰せつかってな、朝の目覚めから着替えから外出の同行まで何でもやった。人使いが荒い人だったが、金払いが良かったしなにより情のある人でな。俺の過去を詮索せずに接してくれた。なにより、俺のことを追いかけてくるやつが居たら啖呵を切って追い返すような人だった」
腰紐をすべて外すと上から順に交互に組み上げていく。私は尋ねる。
「なんで辞めたの?」
「辞めたんじゃない。辞めさせられたのさ」
「って言うとクビ?」
「ちがう」
彼の声が一旦止まる。
「俺の実家の失われた家宝について調べてくれたばかりでなく、その手がかりを見つけてこう言ったのさ『残された家族のためにも家を取り戻せ』って」
それは彼が今に至る再起のための出発点だった。
「その人自身、実家が破産してどん底から這い上がった人だった。自分の責任じゃなく親の理不尽で苦しめられていた俺の気持ちを心からわかってくれる人だった。だからこそ俺に再起する機会を作ってくれたんだ」
「そうだったんだ」
「あぁ、それで実際、その人の所に居るときに男性近侍の仕事はもちろん、女性服の着付けや仕立てなんかも徹底的に仕込まれた。裏社会の事情や決まり事も教わり、そこから失われた家宝を追う手がかりを色々と見つけられたんだ」
そう語りながら私のコルセットの紐を丁寧に一段一段締め上げていく。彼が自分の過去を語ったのなら今度は私の番だった。
「私もよ。知ってるでしょ? 昔私が娼館の下働きをしていたこと」
「ああ、そんなこと言ってたな」
「うん、あれね、2年前に実家から逃げ出して北部都市で仕事を探そうとした。でも最初から私はつまずいた。質の悪い手配師に行き当たってしまったのよ」
〝手配師〟――いわゆる人材の紹介を生業とする人たちだ。ただし大抵はろくでもないタチの悪い仕事しかない。働き口を紹介する際に上前を大きく跳ねてそれを働く本人に借金として背負わせるのだ。行き当たってしまったらたいていは逃げる術はない。
「世間知らずだった私は馬鹿正直にそういうのを信じてとある娼館へと連れて行かれた。そこで初めて私は自分が売り飛ばされたことに気づいた」
その時プロアが驚いたように言う。
「よく無事だったな」
「うん。実際、あと少しで借財を背負わされるとこだったの。そうなれば5年10年逃げ出すこともできず働かされ続けることになるはずだった。でもその時助けてくれた人がいたのよ」
私は言葉を続けた。
「その人は私の身柄を押さえると手配師の要求を突っぱねて追い返してくれた。そしてあの人は一発で私の正体を見抜いた。『あなた例の失踪した御令嬢だね』って」
「正体ばれたのに大丈夫だったのか?」
「うん。素直に自分の正体を明かした私をあの人は追い返したりモーデンハイムに売るようなことはなかった。かくまってくれるだけでなく自分の店で働かせてくれた。その店に居るのもおかしいような小娘なのにね。何でも丁寧に教えてくれて、いろんなことをさせてくれた。おかげで私は最悪の危機を乗り越えることができたよ」
「それがお前の恩人か」
「ええ」
私はその人の顔の名前を思い出した。
「〝シュウ・ヴェリタス〟」
その名前を聞かされた時、プロアは驚いていた。
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