そして控え室でサーシィさんとともに休んでいると、しばらく時間が過ぎて午後の予定に入る。
呼び出しの時を持っていると呼び出しの侍女が控えの間へとやって来る。
「演奏会のご準備、整いましてございます」
「ご苦労様」
そんなやり取りをして私は今度は大広間へと向かった。
次に催されたのはホタルの弦楽器の演奏会だった。
昼食会と同じように会場ではすでに席が設けられている。テーブルは取り払われ、部屋の上座の方を舞台として、そちらを中心に弧を描くように椅子が並べられている。招待客が中心となるので私とアルセラは舞台に向かって一番右手側に席が設けられていた。
一番中心が上座そこから左右に広がるように下座になって行く。席次順の通りに招待客が腰を落ち着けて行き、主催者であるアルセラが最後に現れたのも昼食会と同じだった。
全員が席についてはじまりのときを待つ。
そして、おもてなしとして演奏会の場に姿を現したのが、私の親友で旅芸人をしているホタルだった。
いつもなら赤と白の前あわせの衣を重ね着した上に、濃いめの灰色の羽織を身につけている。今回の席ではいつもと違う装いだった。
いつも高く結い上げ髪にしているが髪を解き後ろで束ねて背中の方へと流している。髪には鼈甲でできた櫛やかんざしがあしらわれ、前あわせの衣は光沢のある水色で金糸銀糸で流水模様が描かれていた。腰には赤い帯が締められ、さらにその上に濃紺色の羽織を重ねている。
それが彼女の上質の舞台での晴れ着だということはよくわかる。
愛用している二つの楽器。二弦手琴とリュートを手にして会食の間へと現れたホタルは入室時に一礼をし、そのまま舞台側の中央へと歩み出て、そこに設けられた席に着座前にまた一礼、そして静かに腰を下ろし椅子の右側に置かれている小テーブルの上に二つの楽器を置く。
一呼吸おいて座を一瞥すると、ホタルは口上を述べた。
「この度の西方の国境での大戦に勝利し、御領地の継承に伴う弔いと祝いの席にお招きいただき誠に光栄に存じます」
そう述べてまずは軽く会釈する。ホタルはさらに言葉を続けた。
「お亡くなりになられた前ご領主様の御霊に曲を捧げさせていただきます」
そう述べてまず手にしたのはリュートだった。
音を軽く調律し曲を奏で始める。約10曲ほどの演奏会の始まりだった。
ホタルはレパートリーがとても広い。いつも持参している愛用のリュートとニ弦手琴を使い、実に多彩な歌奏でていく。
この日、演奏した曲目は10曲――
まずはフェンデリオルの民族音楽から3曲、西方辺境地域でよく聞かれる民謡音楽をソロ演奏としてアレンジしたものだ。ホタルは実に良くこまめにフェンデリオル各地を丹念に歩いている。そして、土地土地の歌や踊りを見聞し身につけている。
これらはそうした経験の積み重ねと研鑽によるものだ。
辺境南部での春の訪れを喜ぶ歌、
辺境北西部での夏の雨季のめぐみに感謝する歌、
そしてこのワルアイユ界隈での秋の豊作に感謝する歌が演奏された。
一曲一曲が終わるたびに拍手が起こる。
そして、そこからは彼女が歩いてきた旅路そのものが演奏された。
まずはフィッサールの民族音楽、
当然楽器は二弦手琴に持ち替えられる。まずは独特のたおやかで流れるようなメロディ。物悲しさと、愁いの心が、調べの中から垣間見えてくるようだ。次いで力強く大地を駆けるような勇壮な戦舞曲、以前ホタルにも聞かせてもらったことがあるがフィッサールで軍人が戦場へと出陣する時に演奏される曲だという。
次は南のパルフィアの陽気な曲、
楽器は再びリュートに替わる。パルフィアは南洋の海洋文化が色濃く反映されたお国柄だ。それゆえ、曲も陽気で思わず踊りだしたくなるような曲調のものが多い。そうした庶民向けの舞踊曲が2曲続く。
さらに北方のジジスティカンの勇壮な曲、
楽器を二弦手琴に持ち替えて奏でた曲は、重く響くような力強い曲だった。
北の凍てついた大地と海を支配する眠れる大国ジジスティカン、屈強な戦士が多く武勇を尊ぶお国柄ゆえまるで軍歌のような勇ましい曲が2曲続いた。使っている楽器は二弦手琴、弦が2本しかないのに実に多彩な音色が溢れている。観客たちからはホタルのその演奏技術の卓越さに思わずため息が溢れていた。
曲目は次々に奏でられ夢のような時間が通り過ぎる。そして最後にホタルが選んだ曲、それはホタルの生まれ故郷エントラタの曲だった。
「これにて最後の曲となります。この曲は新たなるご領主様となられるアルセラ様に捧げさせていただきます」
選んだ楽器は二弦手琴、そして最後に選んだ曲は歌詞付きだった。私も初めて聞くホタルの歌声だった。物悲しくとても余韻の残る曲、本来は婚姻の席で花嫁の父親が、晴れの舞台で他家へと嫁ぐ我が娘に幸せになれと願いを込める曲なのだという。
――朝が来る――
――この朝が来なければと幾度も思う――
――お前が生まれ、年を経て大きく育った――
――いつまでも同じ屋根の下で暮らせればと――
――そう思わずにはいられない――
――愛しいお前はこの歓びの日にお前は嫁いでいく――
――だが涙は流すまい――
――笑って送ろうではないか――
――わが子よ幸せになれ――
――それだけが私の望みなのだから――
それはどこの国でも同じなのだろう。
歌詞の意味が伝わるに連れて、アルセラの目には涙が浮かんでくる。愛しい父が生きていたら今の自分のこの姿をどう思うだろう?
アルセラはそんなふうに思っているようだった。
流れる涙を堪えようと両手で顔を覆ってしまう。そんな彼女を、後ろの席に座っていたモーハイズ家の奥方様が身を乗り出してその肩をそっと抱きしめている。
曲は終わる。
余韻を残して奏で終えられる。
静寂が戻り、アルセラは落ち着きを取り戻した。モーハイズ家夫人に礼を述べて姿勢を正すアルセラ。彼女はホタルにも頭を下げた。
そしてホタルが軽く会釈をすると割れんばかりの拍手が鳴り響いた。演奏は盛況のうちに終わったのだった。
来客の口から感想が語られる。ホタルの演奏を賞賛しつつ様々な声が上がる。
「素晴らしい」
「実に見事な演奏だった」
「ご研鑽をお積みでらっしゃる」
男性陣が賞賛の声を合わせれば、
「あの衣装、初めてお見かけします」
「フィッサールのその先のエントラタのものだとか」
「見事な着こなしですのね」
「見栄えも曲の一部と申しますし」
女性たちはホタルの衣装に関心を向けているようだった。もっともそれだけではない。
セルネルズ家のサティー夫人が問うてくる。
「最後の曲はもしや、花嫁の旅立ちを歌ったものではないのですか?」
そう問われてホタルは頷いた。
「はい。婚礼の儀式の宴席ではその土地土地の歌自慢が必ず歌うと言います」
ホタルが言う。
「ご領主様のお父上が、今のご領主様をどう思うかと考えた時にこの曲を思い出したんです」
困難を乗り越え立派に独り立ちしようとしつつある我が娘に故バルワラ候ならなんと思うだろう? そう考えればこの曲目の選択はぴったりだったと思うのだ。
涙を拭い終えたアルセラが笑顔で言う。
「ありがとうございます」
その心からのお礼の言葉にホタルも満足げな笑みを浮かべたのだった。
こうして余興としての演奏会は見事に盛況のうちに幕を閉じたのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!