驚きと疑念がその場を支配した。だが否定の言葉は一つも出なかった。しばらく流れる沈黙の時、それを破ったのはドルスさんだ。
真剣な重い語り口で彼は問いかけてくる。
「なぜそう思う?」
それは私が出した答えに納得しきれていないということでもあった。明確な理由が必要だろう。
「あの人は、数年前にも今回のワルアイユ動乱と似たような一件を引き起こしているんです」
私は皆の顔を眺めながら淡々と語った。
「とある地方領を政略結婚で乗っ取ろうとしたことがありました。しかし先方からの死に物狂いの抵抗に遭い業を煮やしたあの人は、先方の領主の密殺を画策します」
ドルスさんが驚きながら言葉を漏らす。
「上級候族の当主様がそこまでやったのか?!」
「はい。ですが、密殺の実行犯が失敗に終わり逮捕されてしまいます。その時、依頼をした事を証明する証拠が出てこなかったために、あの人自身はその時は一切不問ということで終わります。今にして思えばあの時に捕まえておけば良かったんです。それから現在に至るまでおとなしくしていたのですが、それは自分自身が手を下さなかったと言うだけ」
「実際には、自ら手を汚すことなく裏で暗躍していたってわけだ」
「そうとしか考えられません」
そして私はあの人――私の父が今回のワルアイユに関与していると疑われるその理由を皆に告げた。
「まず一つ、私の父は今、中央政府の賢人議会の議員補佐を勤めています。そこから正規議員になるために必要な支持者を集めるために必死になっています。そのために確実な資金源を手に入れる必要に駆られているのです」
資金源――その言葉にダルムさんがピンと来たようだった。
「ミスリル地下鉱脈!」
私はうなずく。
「それが狙いだと思います。数年前の一件で自分自身が前に出ることの危険性を感じたあの人は長い時間をかけて代理の人間を立てること思いつきました」
ゴアズさんが言う。
「それがアルガルド」
「はい、おそらくそうでしょう。そしてその仲介役を担ったのが、メルト村を襲ったキドニーダガーの異国の襲撃者たち」
パックさんが言う。
「結社人ですね?」
「はい。おそらくは結社人を率いていた人間がいるはずです。それが仲介役の中心人物。そこからさらに軍内部のそこかしこに自らの息のかかった協力者を用意しておく。モルカッツやガロウズと言った人々です。
そしてさらに、私たちの敵国であるトルネデアスにも協力者を確保する。さらにはアルガルドを経由してワルアイユに潜伏役を送り込み長い時間をかけて様々な妨害を行う。バルワラ候のそばで代官をしていたというハイラルドという人がワルアイユ弱体化のための実行役だったのでしょう」
「幾重にも用意周到に組まれた悪巧みってわけか」
ダルムさんの言葉に私は返した。
「はい。今回の企みは何段階にも仕組まれていました。一つ目がワルアイユへの政略結婚の強要。しかしこれは不調に終わります。
次に仕掛けられていたのがワルアイユへの妨害工作と信託統治委任の強制執行。しかしこれもまた、私たちの手によって阻止されました」
だが、あの人の周到さはこんなものではない。
「これにより長年の時間をかけて用意しておいた協力者たちを一網打尽にされてしまいます。途中で姿を消した革マスクの襲撃者集団は状況を見て手を引いたのだと思います。あの人にとって全てが万事休すと思われた時、まさかのもうひとつの手段が残されていました」
その時、カークさんが言う。
「アルセラの領主教育問題だな?」
「はい。今回のような状況を初めから狙っていたのでは無いのでしょうが、アルセラの次期領主承認の議論の中でこれを問題として騒ぎ立てることで、ワルアイユを中央政府直轄地にしてしまう事が可能な状況が見えてきた。中央政府直轄地にしてしまえば、管理担当者に自分の息のかかった者を送り込むことで、自らが直接にワルアイユの地下鉱脈資産を抑えることが可能になります。そしてそれこそがあの人の最終的な狙い」
「ひでえな、人間をまるで人間として見ていねえ」
ドルスさんの声に私は言う。
「それがあの人です。デライガと言う人間なんです」
2年前のあの言いようの無い不気味な空気が私の脳裏をよぎっていた。
「今回の祝勝会で、アルセラの次期領主としての素質を問題視させて領主就任を妨害して政府直轄地や正規軍管理という採決を引き出すことができれば〝あの人の勝ち〟
しかし、それを阻止して名実ともにアルセラを次期ワルアイユ領主として就任させることができれば〝私たちの勝ち〟」
私は皆の顔をひとつひとつ見つめながらみんなへと告げる。
「これは戦いです。紛れもなく西方国境防衛戦とラインラント砦の戦いの続き。私たち自身が武器をとることがなかったとしてもです。無論この戦いに――」
「負けるわけにはいかねえな」
まるで私を助けるかのようにプロアさんの言葉が続いた。
「はい、アルセラを援護しながらいかなる悪意にも負けず、このワルアイユの地を守らなければなりません。そしてそれこそが私たちのこの土地での本当の最後の戦い!」
その言葉が響いた時、地平線の彼方から太陽が昇りつつあった。その光を浴びながら皆は一斉に頷いてくれていた。
皆の心を代表するかのように声を発したのはカークさんだ。
「隊長、俺たちはあんたの手足だ。あんたの考える意志のままにそれぞれの役目を実行するのみだ」
そして彼は私にこう言った。
「隊長、指示をくれ」
皆がうなずく。私もそれに頷い返す。そして、声高らかに私は宣言した。
「各員に通達します。アルセラの新領主として人物評価に傷がつかないように、周囲からの妨害や謀略から彼女を手堅くこれを守ってください」
そして私は一区切りおいてこう告げたのだ。
「アルセラが胸を張ってこの土地で暮らしていけるように」
「了解!」
「了解です」
「心得ました」
皆からの声が次々にあがる。私からの指示は着実に伝わったのだった。
「行動開始!」
「はっ!」
こうして私たちのこのワルアイユの地での最後の戦いが始まったのだった。
† † †
私たちが決意を新たにしたその後で、新たに会話を切り出したのはプロアさんだった。
「そういえば、中央首都のユーダイムの爺さんが言ってたんだが――」
「ユーダイムのお祖父様が?」
「ああ」
一体何の話だろう? 私は疑問を抱きつつも言葉の続きを待った。
「実はユーダイムの爺さんも、自分の息子であるデライガ候の挙動についてはかねてから疑わしいと睨んでいたんだ」
「お祖父様が?」
「ああ、出所不明な資金を所持していたり、怪しい人間関係が見え隠れしていたり、正規軍内部でもモーデンハイムと直接に繋がりのありえない部署との繋がりがあったり、見たこともない銘入りの精術武具があったりと色々とな。そのための極秘調査も長い時間をかけて慎重に行っていたそうだ。そして今回のワルアイユ動乱をきっかけとして確実な証拠を抑えたらしい」
「ほう?」
プロアさんの言葉に、ダルムさんが感心するように声を漏らした。
「皮肉だな。てめえの娘の英雄的行動で足元をすくわれるんだからよ」
「全くその通りだ。それでユーダイムの爺さんがこうも言っていた。今、モーデンハイム家の親族会議で、現当主であるデライガを失脚させ廃嫡させるために親族会議での議決を得るように行動しているそうだ」
プロアさんの言葉に私は言う。
「そうですか。お祖父様も決意なされたのですね」
「そうだ。そしてそのために必要な多数派工作を行っているのが、ミライル・フォン・モーデンハイム。つまり――、ルスト、お前のお袋さんだ」
「えっ?」
この2年間の間、一度も口にすることがなかった人物の名前を耳にして私はあっけにとられていた。
「お母様が……」
「そうだ。すべてはルスト、お前が安心して故郷に帰れるようにするためだ」
プロアさんのその言葉に、私の目元は思わず潤んでいた。優しく物静かで、それでいて、心の芯は強く気高さと誇りを失わなかった母、その面影が脳裏をよぎった時、私の目には思わず涙が滲んでいた。
母は、夫である父をたてる手前、どんな理不尽を受けても逆らうようなことはしなかった。その母が何を思って動いたのか? そう考えると悲壮なまでの決意が伝わってくるのだ。
娘を助ける。ただその想いのためだけに。
すべては私のためだ――
母のことを思うと泣くまいと思っていても目元からは涙が溢れてくる。それをとっさに袖口で押さえるようにして必死に堪えた。
「――ご、ごめん」
思わず取り繕う言葉が漏れるが、そんな私をそっと撫でてくれたのは、仲間内でも一番年長だったダルムさんだった。
「いいってことよ。2年ぶりに思い出したんだろ? 我慢するのは無理ってもんだ」
その言葉を聞かされて私はこの一時だけ甘えることにした。泣き声を押し殺しながらダルムさんの胸にすがりつく。そして私が落ち着きを取り戻すまでの少しの間、皆は無言のまま見守ってくれた。
東の地平線の彼方に朝日が登ろうとしている時であった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!