アルセラとともに村の政務館へと戻ってきた後の事だった。
侍女長のノリアさんの手を借りてドレスを脱いで室内着のシュミーズドレスへと着替える。その上に防寒用のガウンを羽織って自室にて一息つく。
「お茶をいただけるかしら?」
「かしこまりました」
侍女の人にお茶を求めてひと心地ついたときだ。建物の外で馬車が走り出す音が聞こえた。
「えっ?」
音のする方へと部屋を出て階段の踊り場の外窓へと視線を向けるが、走り去っていったのはワルアイユの三重円環の紋章の記されたクラレンス馬車だった。それに乗っている人となれば一人しか考えられない。
「アルセラ?」
驚いて階下へと降りていけば、侍女の人が二人ほど見送ったあとだった。私は彼女たちに訊ねた。
「今のは?」
「今しがた、ご領主様がワルアイユ家の本邸へと向かわれました」
「えっ? なんで?」
なぜこんな夜更けに? そう訝る私に彼女たちは教えてくれた。
「明日の近隣領地のご領主の侯族の方々とのご歓談のために下調べをなさるためです」
「前領主様のこれまでのご実績を何も把握しないままに明日の話し合いに望まれたくないと申されまして」
「そのためにわざわざ?」
「はい」
確かに明日の懇親会のためにはこれまでの領地運営事業についての実績情報は把握しておいたほうがいいだろう。だけれど――
「何もこんな夜更けに」
「それは私達も申したのですが――」
「どうしてもとおっしゃいまして執事様を伴って向かわれてしまったのです」
「そうだったの」
わたしの足は思わず政務館の外へと向いていた。無理に無理を重ねているような気がして私はならなかった。
「アルセラ――」
だがこれだけはアルセラが自ら決めたことなのだ。私にはどうにもできなかった。
振り子時計の時刻はよる9時を過ぎていたのだった。
† † †
皆が就寝の準備を進める中、アルセラは一路、ワルアイユ家の本邸へと向かっていた。
夜会用のドレスから普段着のキャロットスカート姿へと着替えると防寒用に分厚いケープ型マントを羽織っての外出だった。
月明かりの下を馬車の両側面につけたオイルランプの明かりだけを頼りに夜道をひた走る。勝手知った道とは言えど、夜の馬車行は危険を伴う。
それでもなんとかワルアイユ家本邸へとたどり着くと、執事のオルデアに扉を開けさせた。そして、向かったのはかつてアルセラの父が政務に勤しんでいた書斎だった。
「ご領主様、一体何をお探しになるというのですか?」
「父の遺産です」
「遺産? でありますか?」
遺産と言われてもオルデアには検討もつかない。だがアルセラは言った。
「えぇ。それもお金や財産ではない、西方辺境にとって万年の宝となるものです」
廊下の灯りを灯しながら書斎へと向かう。アルセラが家宝の三重円環の銀蛍を探しだしたあの部屋だった。
書斎の扉の鍵を開け、中に入るなり明かりを灯す。そして、書斎の中の戸棚や書棚や机の引き出しなどを端から順に調べ始めた。
「村の政務館の政務室は時間を見て調べましたが、目新しいものは見つかりませんでした。でも、たしかにあるはずなんです」
「それは?」
「お父様が生前口にしてらっしゃったのは、辺境地域の医療の改革についてです。それに関する資料を残しているはずなのです」
「医療の改革!」
それは驚きだった。だが、そう語るアルセラには確信があったのだ。
「父上は間違いなくおっしゃってました」
「かしこまりました、私もお探しいたします」
二人はそんな言葉をかわしながら探しものを始めたのだった。
それから針時計の短針が一周し、振り子時計の時報を告げる鐘が10回ほど鳴ったあとだった。
アルセラが求めるものは容易には見つからなかった。
机の引き出し、書棚、あらゆる場所とそこにしまわれた書類の数々を探ったが、どうしても見つからない。流石に溜まりに溜まった疲労が表に出始めていた。
「やっぱり、私の思い過ごしなのかしら?」
心が挫けそうになり弱音を吐いた――その時だった。
「アルセラ様! これを御覧ください!」
執事オルデアの叫び声が上がる。その声と同時に彼が持ってきたのは分厚く大きい辞書のような本だった。それをアルセラに渡しながら彼は言った。
「もしやと思い、本棚を探ったところ、書物の何冊かが偽装の小型の鍵付き箱になっておりました」
「鍵は?」
「旦那様の生前から、諸々の鍵の在り処はお聞かせいただいております。今お持ちいたしますので少々お待ちを」
オルデアがそう告げて机の引き出しの最下段、その奥にある隠し引き出しを探り当てる。そこから小型のシリンダー錠の鍵を取り出すとアルセラの下へと戻ってくる。そして、アルセラが机の上に置いた本型の偽装金庫の鍵穴に鍵を差し込む。
――カチッ――
それはとても小気味良い音をたてて鍵は開いた。
その本型の偽装金庫を開ける。表紙がそのまま開閉式の蓋になっているのだ。その中から現れたのは書類の束だった。
「あった!」
「おお! これが!」
感嘆の声とともにアルセラは中に秘匿されていた書類を取り出した。そしてそこにはこう記されていた。
――西方辺境地域の医療状況の改革と、常設型医療施設としての温泉療養サナトリウムの設立の可能性について――
それがアルセラの父であるバルワラが、生前に自領とその周辺地域の未来のためにと残した〝遺産〟だったのだ。
書類は計画概要と、温泉療養サナトリウムの設立の可能性と、必要な物資や解決の必要な問題点を洗い出したものだった。それを開いて一つ一つ確かめていく。
「間違いないわ。これよ。お父様が誰にも明かさずに計画を練っていたのは」
「たしかに、医療の問題はワルアイユだけでなく他領においても長年に渡る懸案事項、これが実現すれば領民たちの生活状況も大きく様変わりするでしょう」
「生活状況が向上することで、産業の誘致も進むでしょうし、あらたな人的交流も進むわ」
「これを明日の懇親会にてお話されるおつもりだったのですか?」
オルデアの問いにアルセラは頷いた。
「ええ、そのとおりよ。でも、具体的な提案にするにはこの書類を精読しないといけない。聞きかじりの話ではなく実効性の伴った提案にしなければ」
「アルセラ様、私もお手伝いいたします。領主提案として議題に出せる部分と、秘匿情報とする部分を精査いたしましょう」
「ありがとう、手分けして進めましょう」
「心得ました」
そう言葉を交わしながら、アルセラはかつて父が使っていた机の席へと腰を下ろした。そしてオイルランプの灯りを頼りに書類を読み進める。そのシルエットはまさに亡き父の政務のときの姿そのままだった。
アルセラが明日の準備を終えたのは、柱時計が夜11時半を過ぎたときである。
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