私は一計を案じて皆と話し合うことにした。そのためにサーシィさんに問いかけた。
「サーシィさん」
「はい」
「他の査察部隊の人たちは?」
「はい。使用人のミーティングホールでお休みになられてらっしゃいます」
それを聞いて私は彼らの元へと向かう。先日の夕食時のように彼らはここに集まっていた。
「みんな!」
「隊長?」
「よかった全員揃っていたわね」
見慣れた顔が七人揃っている。私は間を置かずに告げる。
「ワイゼム大佐から帰投日が今日から数えて四日目の朝になると伝令がありました」
私がそう声を発すればカークさんが言う。
「ほう? いよいよか」
ゴアズさんも言った。
「主だった任務はこなしましたからね」
ドルスも言う。
「さっさと帰って来いってわけだ」
パックさんが言った。
「やむを得ないでしょう」
否定や驚きの声は上がらない。その流れを見越して私は告げた。
「つきましては私たちも大佐たちと一緒にこのワルアイユから旅立とうと思います」
その言葉に対しても否定する者はいなかった。
ダルムさんがしみじみと言う。
「そうかぁ、とうとういよいよか」
プロアが言う。
「くるべき時が来ただけさ」
そして、バロンさんが言う。
「そうですね」
皆が一様に頷いていた。私たちもいつかはここから立ち去らねばならないのだから。
「それでは通達いたします」
真剣な表情で彼らを見渡す。
「今日含めて残り三日間を完全休息の自由行動とします。その間に出発の準備をしてください」
ダルムさんが言う。
「出発は?」
「4日目の朝に」
「分かった」
皆がはっきりと私の指示に同意するように首を縦に振ってくれた。
「皆それぞれ悔いのないように」
私はそう言い含めたがそれをやんわりとたしなめる人がいた。プロアだ。私のことを気遣うかのように言う。
「ルスト、それはお前のことなんじゃないのか?」
彼はその時、私を〝隊長〟と呼ばなかった。敢えて呼び捨てで問いかけてきたのだ。その言葉に自分自身の胸がかすかに痛みを感じる。それは明らかにアルセラのことを指摘していた。
「うん、分かってる」
私は自らの中に湧いた思いをしっかりと捕まえるように自分自身に無言で言い聞かせる。少しばかりの沈黙の時をおいて私はみんなへと宣言した。
「それでは全員、帰投準備を始めてください」
「おう」
「了解した」
「了解です」
「それじゃ――」
各々に言い残して彼らは立ち上がると歩き出した。それぞれがそれぞれにこれまでの日々でワルアイユの人々と築いてきた絆がある。その絆に別れを告げに行くのだ。
主だった人々が姿を消す中で最後に残ったのはプロアだった。
「大丈夫か?」
いつになく優しい言葉がけ。私は笑顔を作りながらこう答えた。
「大丈夫よ。いつかは来るものだもの」
だが彼は私が胸の中に秘していた物を言い当てた。
「アルセラに言いづらかったら俺が言ってやっても良いんだぜ?」
彼らしい気づきと気遣いだった。だが私はやんわりと否定する。
「いいえ、大丈夫よ。これを伝えるのは私自身の仕事だから」
「そうか」
彼はそれ以上何も問わずに姿を消したのだった。一人その場に残された中で私は自らに言い聞かせていた。
「私が自分自身の口から伝えなければいけないことだから」
それだけは自分自身で責任を持ってやらなければならないのだから。私はアルセラの姿を探して歩き出した。
† † †
別れ、それはいつか必ず訪れるもの。
人は誰かと出会い絆を培い、そして実りを得て、いつか必ず別れる。それは決して避け得ぬものだ。それは理屈では分かっていた。でも――
「ふぅ」
私は自分の気持ちを落ち着けるためにゆっくりと深呼吸する。こんなにも緊張したのは久しぶりだった。
「よし」
覚悟を決めてドアノブを握る。そして静かにひねりながらアルセラが居るはずの書斎の中へと入って行った。
「失礼」
一言、断りの言葉を入れる。書斎の中でアルセラは書類を手にサインをしているところだった。
羽ペンを動かす手が止まり彼女の顔が私の方を向く。
「ルストお姉さま?」
「ごめんね仕事の邪魔をして」
「いいえ、大丈夫です。形式的な書類にサインするだけですから」
アルセラは落ち着いた口調で答えてくれた。部屋の中へと入りながら私は更に尋ねた。
「先ほどの農業協会ね?」
「はい。仮承認とはいえ領主が変わるのであれば、変更手続きを始めても良いのではないかということで」
「そうなの。さすがに情報が早いわね」
「ええ、なんでも父の死を聞きつけてその段階ですでに書類の準備はしていたそうなんです。ワルアイユの農業行政に空白が生まれないようにとのご配慮だそうです」
「ありがたいわね」
「おっしゃる通りです」
そんな会話を交わし合いながら私たちは歩み寄る。そして書斎の片隅の応接ソファーへと向かい合わせで腰を下ろした。
アルセラは落ち着き払っているようだったが表情がどこか緊張していた。私が何のためにやってきたのか察しているかのようだった。
ソファーに腰を下ろして一呼吸おいて私は口を開いた。
「実はね、先ほどワイゼム大佐がお見えになられたの」
「何の御用で?」
「西方司令部から帰投命令が届いたそうなの」
「帰投命令――」
その言葉にアルセラの表情がはっきりと緊張した。だが、言い淀むわけにはいかなかった。
「出発日は今日から四日目の朝になるわ。前日に代替え要員が補充されてその人達と入れ替わりになるそうよ」
「そうですか」
そう答える言葉には力はない。とてつもなく言いづらかったが言わないわけにはいかない。私は心を鬼にして言葉を続けた。
「それでね――」
だがその時、アルセラの方から言葉が出た。
「お姉さまたちも一緒に行かれるのですね?」
アルセラは分かっていた。私たちもいずれはこの土地から去らねばならないということを。
「お姉さまたちのご事情は十分わかっています」
声がかすかに震えている。でも気丈にもアルセラは言葉を続けた。
「そもそもがお姉さま方は存在しない虚偽の任務で騙されて連れてこられた方たちです。今こうしてこの土地にいることも本来であれば道義的責任を問われても致し方ないことです」
アルセラは優秀だった。さすがはバルワラ候の娘だった。
「そのお姉さま方を支援してくださっていた、ワイゼム大佐をはじめとする憲兵部隊の皆様方がご帰投なさるのであれば、それと一緒にお戻りなられるのが筋というものでしょう」
そして、アルセラは深いため息をつくとこう言ったのだ。
「致し方のないことです」
でもその言葉に力はない。そして私はついに言ってしまった。
「ごめんね」
それは言うべきでなかったのかもしれない。でも、言わずにはいられなかったのだ。
「そんな、謝らないでください。だってそれは――」
それが限界だった。アルセラの両目から涙が溢れてくる。父親を失くしたあの朝、私と会ってから必死になって困難を乗り越え続けてきた。彼女にとってはまさに私がいたからこの日までやってこれたのだ。
両手で自らの顔を覆うと、嗚咽を始めてしまう。私はソファーから立ち上がるとアルセラの隣へと位置を変えた。私が座るのと同時にアルセラは私の膝の上へと自らは体を投げ出してくる。
「わぁぁぁぁ……」
来るべくして来てしまった別れという現実にアルセラの幼い心は耐え切れなかった。
私は取り返しのつかない過ちを犯していたことに気づいた。
「本当にごめんね」
いつかここから立ち去るのであれば、アルセラとここまで深く絆を結ぶべきではなかったのだ。どんなに彼女が気丈で優秀だったとしても、まだ15になったばかりの子供なのだから。
アルセラの鳴き声はいつまでも止まなかった。私はただ彼女の肩を抱くとその背中をそっと優しく撫でることしかできなかったのだ。
それからどれぐらいの時をこうしていただろうか。時計の針を確かめる余裕のないくらい私はアルセラを見守り続けていた。
そんな時だ部屋の入り口のドアがノックされる。
「どうぞ」
私がそう答えればドアを開けて入ってきたのは執事のオルデアさんだった。
「失礼いたします」
そう告げながら入ってきた彼だったが、私とアルセラの状況に何が起きたかを即座に察してくれた。
ほんのわずかな沈黙の後に彼は言った。
「ご帰還についてお話になられたのですね?」
「ええ」
私がそう答えればオルデアさんは沈黙したままだった。どう答えていいかわからないのだろう。思案に思案を重ねて彼はようやくに言葉を紡いだ。
「今日一日のご政務は私の方で取り仕切らさせていただきます」
彼は私を責めることなくこう告げた。
「お嬢様をよろしくお願いいたします」
彼にもわかっていたのだ。私との別れがアルセラにとってどれだけ辛いことになるのかということを。
「承知いたしました」
私はそう答えるのが精一杯だった。
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