写真屋の娘さんの声がする。
「はい! 撮影はこれで終わり。明日現像して紙に焼いて写しますね! 出来上がったものはどこに届けたらいいですか?」
その問いかけにノリアさんがワルアイユの本邸の事を教えた。
「村はずれの方にこの土地の領主の館があります。そちらにお願いします」
「まいど! お届けいたしますね」
「またご縁があったらよろしくお願いします」
感じの良い人当たりの穏やかな写真家の親子だった。
撮影を終えて礼を述べて私たちはそこから動いた。みんなが宿舎へと、私たちは政務館へと、それぞれに向かう。
「それじゃみんな、お疲れ様」
「おう、隊長もアルセラもな」
皆と別れて政務館へとたどり着く。先ほど飲んだエール酒の酔いも手伝ってアルセラはほとんど眠りかけていた。
そんな彼女の様子にノリアさんも苦笑している。
「このご様子では本邸まで、もちそうにありませんわね」
「ええ、そうね」
「それでは、今日はこのままこちらにお泊まりしましょう」
「その方がいいと思うわ」
でもすぐ使える寝具とベッドは今のところ二つしか空いてないと言う。ならば答えはひとつだ。
「それじゃあ、アルセラと私が一緒に寝るわね」
「申し訳ありません」
「いいのよ気にしないで。さ、アルセラ」
「はい、おねえさま……」
すっかり眠りかけでこっくりこっくりと船を漕いでいる。アルセラを2階の寝室に連れて行き、ロングローブを脱がすとベッドに横たえる。私もシュミーズドレス姿になり、アルセラの隣に自分の身を横たえた。
半分寝ぼけ眼でアルセラは言う。
「おねえさまと一緒です」
「ええ、一緒よ」
「好きです。おねえさま」
「私もよ。それじゃあおやすみなさい」
「おやすみなさい――」
そう言葉を漏らすと彼女は速やかに寝息をたてて眠りについていた。そんな彼女の髪を愛おしく撫でながら私はそっと囁きかけた。
「おやすみアルセラ」
一緒の寝具の中で私たちは眠りに入る。
肌の温もりを感じながら私たちは就寝したのだった。
† † †
翌朝は思ったよりも早く目が覚めていた。
領主用の幅の広いベッドの上、ひとつの布団を二人で分け合いながら私たちは一晩過ごした。思えばアルセラと一緒に寝たのはこれで2度目。
建物の外から小鳥の鳴き声が聞こえる中で私は目を覚ます。私の真正面にはまだ眠り続けているアルセラの安らかな寝顔がある。
私は自分の右手でアルセラの髪を触れてからその頬をそっと撫でた。まだ子供と言っていい年頃の彼女の素肌は絹のように滑らかでみずみずしかった。
その頬を愛おしそうに撫でれば彼女の体温が私の指先を通じて伝わってきた。
ほんの数日前に出会ったばかりだというのに何年も前から知っていたような愛おしさがある。だがそれもあと2日しか無い。
残りの日をどう過ごすべきか私はまんじりともせず考えていた。
「さすがに丸一日領主の仕事を投げ出すわけにはいかないよね」
彼女には彼女自身の意思で背負った役目がある。それだけは曲げるわけにはいかない。
アルセラの顔をじっと見つめていたが、彼女の瞼がかすかに動いていた。どうやらそろそろ目が覚めるようだ。
「ん……」
口元がかすかに動いて吐息が漏れる。身をよじるように彼女の手足が動く。そして体を転がすと仰向けになる。
そんな彼女の寝相は見ているだけでも楽しい。
「んん――」
かすかに体に力を込めたかと思うと、
「ふぅー」
その体の力を一気に抜く。ちょうどその時アルセラのまぶたが開いた。
「うんー」
まだ視線は定まらない。少しずつ彼女の目が覚めていく。体が先に目覚め、そこから遅れて頭も目を覚ましてくる。
「お姉さま――」
朝に目を覚ましてすぐに出てきた言葉がそれだった。
「おはようございます」
「おはよう」
ベッドの布団の中にはまだふたりぶんのぬくもりが残っている。ワルアイユは気候が乾燥している分、朝は冷え込みが強い。どうしても寝具から出たくなくなってしまう。
ベッドの外を眺めれば壁際にかけられている針時計は朝の6時を指していた。
「まだちょっと早いわね」
朝は取り立てて急ぐ仕事もない。朝食はもう少し後だろうし、早めに起きてめかしこむこともない。
「じゃあ、このまま一緒」
アルセラの口調が思わず子供になっている。
「仕方ないわね」
そう微笑みかけながら左腕を差し出して腕枕をさせてあげる。
「いらっしゃい」
「うん」
アルセラは素の自分に戻って甘えたい時には口調が微妙に変わる。それだけ普段は体面を気にして自分を作っているということなのだ。
差し出された私の左腕に自らの頭を乗せてくる。私はその腕の中にアルセラの体の温もりを感じ取っていた。
「アルセラ、暖かいわね」
「おねえさまも暖かいです」
「そう」
アルセラの頭を右手でそっと撫でながら私は言った。
「もう少し眠りなさい」
「はい、おねえさま」
そう言葉を返しながらアルセラはすっかり私にその体を預けてくれていた。何も迷わずに素直にそのまま。
「あたたかいです――」
そうつぶやきながらアラセナは再び眠りに落ちていった。私の親友のマオはアルセラに言った『あと3日間たっぷり甘えな』と。
これはその表れだろう。心の底から私に甘えきっている。明後日には離れなければならないということを受け入れているから。
それはある意味悲しい覚悟だった。
「ごめんね」
眠りに落ちたアルセラに私はそう語りかけたのだった。
† † †
それから時計の長針が一周回って時刻は7時に達した。周りの空気も暖かさを増し寝具の外へと出るのも躊躇わなくなる。
私はアルセラにそっと声をかける。
「そろそろ起きようか?」
「はい、おねえさま」
駄々をこねることもなく実に素直に目を覚ましてくれた。
自らベッドから降りて軽く伸びをする。
私もそれで少し遅れてベッドから降りる。ちょうどその時、寝室のドアが開いた。
「おはようございます」
「おはよう。ノリア」
「おはようございます」
姿を現したのは侍女長のノリアさんだった。
その両手には私たちの着替えが用意されている。
「お着替えをお持ちしました」
「ありがとう」
アルセラが答える。私はそれに続けてこう述べた。
「私は自分で着替えられるから、アルセラのお着替えの方をお願いね」
「承知しました」
寝巻き代わりにしていたシュミーズドレスを脱いでいつもの傭兵装束を身につける。そして私はその間に今日何をするかを思いついていた。
アルセラの着替えを待って私は彼女にこう言った。
「アルセラ、祝勝会の後、領地の見回りってやったかしら?」
「いいえ? そこまでまだ手が回っていません」
「そう。だったら今日1日、私と歩き回ってみない?」
「え? 良いんですか?」
「もちろんそう遠くまでは行けないし夕暮れまでだけどね」
「はい、是非お願いします!」
そして、ノリアさんにも告げる。
「ノリアさん、ご準備お願いしてよろしいですか?」
「かしこまりました。私もお供します」
「お願いね。それと通信師の女の子でフェアウェルって子、いたでしょ? あの子も連れてきてほしいの」
「かしこまりましたすぐに段取りいたします」
そう答えるが早いかノリアさんは部屋から出て行く。そして準備を始めるだろう。
「アルセラ、私たちも準備しないと」
「はいです!」
普段着のアルセラと傭兵装束の私、二人連れだって寝室から出て行った。1日かけた領内視察の始まりだった。
それから私たち3人はフェアウェルを連れて本邸へと一旦戻った。そこで改めて執事のオルデアさんに領内視察の話をする。渋い顔されるかと思ったが、
「よろしいでしょう。以前に領内視察をした時は急な予定の変更で中止になりましたから」
かえって都合が良かったらしい。とはいえ若い女四人で歩き回るのはさすがに無理というもの。護衛をつけるべきという話に意外な二人が名乗りを上げてくれた。ドルスとダルムさんだ。
ドルスは意外と機転が利くし、ダルムさんはワルアイユ領内の事情に明るい。同行してもらうには申し分ない。
もちろん村長にも連絡を取って承諾を得る。通信師のフェアウェルもいるので何かあれば連絡は可能だ。
装備を整え、携帯食料と飲料水を用意し村の地図を広げておおよそのルートを決める。本邸から出立して村の農地の外周をぐるりと回るルートだ。夕方頃にはメルト村に戻ってこれるだろう。
私たち6人連れ立って領内視察に出る。
空は晴れており徒歩で歩き回るには最高の一日だった。
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