レミチカの信頼おける従者であるノツカサは言う。
「お嬢様、ここから先は私の推測となることをお許しください」
「構わないわ続けて」
「はい」
自分の主人の許しを得てノツカサは話し始めた。
「エライア様はご承知の通り、ご実家での暮らしを断念されて出奔なされたのはご存知の通りです。おそらくはその後、軍学校で学ばれた経験を活かして職業傭兵の道を選んだのでしょう。
私が聞き及んだ話によりますと、職業傭兵の中にはお尋ね者や元裏社会の住人など素性を明かせない者が多数紛れていると言います。エライア様が身を隠しつつ、己の才覚を活かして収入を得るには最適だったと思われます」
「そうね。納得のいく話だわ」
「ですが、そうであるとするなら、なぜ彼女は、エライア様は、世間全体に対していやでも目立ってしまう〝指揮官役〟などという大役を自ら果たしてしまわれたのでしょう?」
「あっ……」
ノツカサの説明を聞いてレミチカは、エライアがとった行動の大きな矛盾に気づいた。
「ここまで目立ってしまわれれば、私たちが気づいたように、彼女を追い詰め苦しめてきたモーデンハイム家の現当主もエライア様の存在に気づき身柄を抑えようとするはずです。それはなぜでしょうか?」
ノツカサは力を込めて問いかける。
だがレミチカはすでに、その答えに気付いていた。
「そんなの決まっているじゃない」
レミチカは立ち上がって言う。
「あの子は我が身可愛さに目の前の理不尽を見過ごすような子じゃ無いわ!」
そして、かつて肩を並べて語らい合い、競い合い、お互いを称えあった懐かしい日々を思い出しながら告げた。
「あの子はワルアイユの辺境領の市民たちを見過ごせなかったのよ! あの――」
レミチカは思わずノートの紙を握りしめながら告げる。
「あのアルガルド家のクズたちに苦しめられているワルアイユの人々を前にして敢然と立ち上がったのよ! それしかありえないわ!」
「私もそうだと思います。お嬢様」
そしてその事実は図らずも、自分たちミルゼルドの人間たちが見過ごしてきた事実が、大切な親友を危険な目に追いやってしまったと言う事でもある。
「なんてこと……」
家族を捨て、故郷を捨て、友と別れ、逃げるように旅立たねばならなかった親友、その親友がやっとの思いで見つけた安住の地を自分たちの優柔不断が奪い去ってしまったという事実、それに気付いた時にレミチカの目には涙が溢れていた。
「ごめんなさい、エライア……」
いや詫びるだけではだめだ。これで終わるわけにはいかない。
溢れた涙を両手で必死に拭い去ると机の片隅に置かれていたハンカチーフで拭き取る。そして毅然として顔を上げるとノツカサに告げる。
「支度をしなさい。外出します。訪問着の用意を」
自分の主人の毅然とした姿にノツカサも落ち着いた表情で告げる。
「お嬢様がそうおっしゃると思いまして既にご用意してございます」
「よくってよ。案内なさい」
「はい、お嬢様」
ノツカサは求められるままにレミチカを別室へと案内する。そこでは3人ほどの侍女が待機していて外出用の衣装へと着替える手筈を整えていた。
用意していたのはエンパイアドレスだが、生地は柔らかなモスリンではなく、やや厚みのあるシルク地。
それにスペンサージャケットと革製のブーツを合わせる。帽子は前へとひさしの出たボンネットスタイルのもの。
手早く着替え終えると、従者であるノツカサもメイド服の上にハーフコートを着て待機していた。
レミチカは問う。
「馬車は?」
「すでに準備整いましてございます」
「よくってよ。参りましょう」
そう告げて従者であるノツカサを連れて歩き出せば侍女たちが頭を下げて見送っていた。
そして邸宅の外へと向かおうとすると、館の大廊下の途上である人物に出会った。
「お父様?」
長身の実年世代の人物。ミルゼルド家の当主にしてレミチカの父、フォルデル・ワン・ミルゼルドその人だった。
フォルデルが言う。
「レミチカ、どこへ行くのだ?」
問いかけてくるその声は娘の身を案じるかのようだった。レミチカは父に言う。
「友人のところです。クライスクルト家のコトリエの所へ参ります。その後に大学の師であるハリアー教授のところに参ろうかと」
レミチカの父は娘の意図を既に理解していた。
「今回のワルアイユ領問題について話をしてくるつもりだな?」
「はい」
レミチカは悪びれもせず毅然として答える。
「消息がわからなかった親友の動向が掴めましたので」
そして用件は済んだとばかりに歩き出そうとする。その最中に父は言った。
「待ちなさい。まだ話は終わっていない」
立ち止まり振り向くとレミチカは父に視線を向けた。
「今回の西方辺境のワルアイユ領の問題には、我がミルゼルド家の親族の傍流であるアルガルド家が絡んでいる」
「それは承知しております」
「ならばこそだ。世間では憶測で、我々ミルゼルドがアルガルドの後ろ盾であり黒幕だとする根も葉もない風聞が流布されているのは知っているか?」
「なんですって?」
さすがにそれはレミチカでも聞き流せなかった。
「そんな! 濡れ衣です!」
「無論だ。わしとしても承服しかねるものだ。しかしだ、世間の人間の口に戸板は建てられん。だがこの問題を放置しておけば我々自身の今後においても多大な不利益が降りかかってくるであろう。アルガルドの連中により実害を被った者たちから報復を受ける可能性もある。そこでだ」
レミチカの父フォルデルは背後で控えていた一人の執事に声をかけた。
「2名ほど呼べ」
「かしこまりました」
レミチカに向かい直しながら告げる。
「当面の間、護衛をつける。不便に感じるであろうが人々の誤解が解けるまでの間は堪えてくれ」
「承知いたしました。お父様」
そして表情を緩めると当主ではなく、父親としての顔を覗かせて言った。
「アルガルドのような連中を今まで放置していたのは父たるわしの失態だ。苦労をかけてすまないレミチカ」
そして傍らの従者であるノツカサにも言う。
「お前も仕事をする上で何かと不利益を被ることがあるであろう」
誰が父の心配をよそに娘とその従者はうろたえるような素振りは微塵もなかった。
「お父様、案ずるには及びません」
「旦那様、これくらいの事は苦労のうちには入りません」
「ロロもこう申しておりますので」
そしてレミチカは胸を張って言った。
「遥か西方辺境に私の親友が戦場に赴いていることが分かりましたので見過ごすことができません。これから彼女に降りかかるであろう不利益を回避するためにも私なりに動こうと思います」
その言葉の中にエライアの名前を明確にはしなかったが、レミチカの親友と言えば数えるほどしか思いつかない。父フォルデルには娘の動機が痛いほどによく分かった。
「そうか、お前がそう思うのならば私は止めまい。ただ無理だけはするな」
「はい。お父様」
そしてフォルデルは言う。
「あまり夜遅くならないようにな」
「承知しました」
「わしはこれからモーデンハイム家に行く。前当主であったユーダイム候からの火急の用件で話し合いがしたいと申し伝えがあったのだ」
「ユーダイムのお爺様から?」
「うむ、おおかた今回の一件に関わる話だろう」
「私もそう思います。お父様もくれぐれもお気を付けください」
「うむ」
そして会話を終えてレミチカは言った。
「それでは失礼いたします」
その言葉を残して歩き出す。その先に期待していた四人乗りの馬車にはすでに護衛役の二人が待機していた。
然る後に馬車に乗り込み走り出す。
その姿を父フォルデルはじっと見守っていたのだった。
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