人々は語らいあう。苦しかった日を笑い飛ばしながら。
人々は語らい合う。爪痕を残してしまった不幸をお互いに思いやりながら。
人々は語らい合う。何気ない日々の仕事をお互いにうちあけながら。
人々は語らい合う。酒を煽りその勢いも手伝って冗談を飛ばしながら。
私たちもテーブルを囲みながら実に気楽な会話を楽しんでいた。
「いやぁ、やっと気が抜けるようになったなあ」
「そうですね、なんだかんだと言って緊張しっぱなしでしたから」
「仕方ないさ。しかし、それだけやりがいのある仕事だった」
「まさに戦いがいのある大仕事です」
飛び交うそれらの言葉にアルセラは言う。
「本当にお疲れ様です」
プロアが言う。
「ああ、アルセラもな」
プロアはあえて領主様と呼ばなかった。いっときのこの時間がアルセラにとっても飾らない大切な時間だということをわかっていたのだ。
そんな時、酒の勢いもあって気持ちが緩んでいたのだろうダルムさんが思わずこういった。
「アルセラ」
「はい」
「綺麗になったなあ」
その一言にはとてつもなく重い思いが込められている。古くからの知人として、亡きバルワラ候の親友としてこれまでの日々がその一言に込められているのだ。
人は強くない。強くあろうと自分自身に言い聞かせながら生きているのだ。それは彼も同じだった。
「バルワラに見せてやりたかったぜ」
それが彼が最後に残した未練だった。
ドルスが労わるように、そしてたしなめるように優しく声をかける。
「飲み過ぎだぜ爺さん」
「わりい」
そう答えながら苦笑する。そんなやり取りにアルセラはこう答えた。
「おじさま、大丈夫です」
その言葉にダルムさんが顔を上げる。
「アルセラ」
「私、今ならわかるような気がします。お父様はどこにも行っていません。今もこの村を、この村の人々を見守ってくれています」
そして、天を仰いでこう言った。
「そうですよねお父様」
その言葉と同時に一迅の風が吹いた。まるでアルセラの言葉に答えるかのように。
アルセラの頭を撫でるかのようにその風は優しくつむじ風となってアルセラの頭上を通り過ぎていく。
戦いは終わった。
困難も乗り越えた。
そしてまた明日から、新しい日々が始まるのだ。
宴はなおも続いたのだった。
† † †
食事を食べ終えて酒や飲み物をかわしながら会話が弾む。とはいえお風呂上がりなので湯冷めは避けたかった。
頃合いを見て私は言う。
「そろそろ私たちはお開きにしましょうか」
プロアが言う。
「ああ、その方がいいだろう」
私たちの言葉に周りのみんなも同意してくれている。食器を片付けながら立ち上がると周囲の人々へと一言挨拶してその場から離れていく。
私は、私自身とアルセラとノリアさんだけで離れようと思ったのだがなぜか査察部隊の仲間たちもついてきた。
私は思わず言った。
「みんなはまだ飲んでいてもよかったのに」
ドルスが笑いながら言う。
「そういうわけにはいかんさ」
ゴアズさんも言う。
「完全に任務が終了したならともかく。そういうわけではありませんから」
それもその通りだ。名目上はあくまでも任務中の一時休息なのだから。
カークさんが言う。
「だが、疲れは十分癒せた」
その言葉にアルセラが安堵した顔を浮かべた。
「そうですか? それなら良かったです」
このまま行けば私たちは政務館へ、みんなは宿舎代わりに使っているワルアイユ家の別館へと向かうことになる。
メルト村の目抜き通りを歩いていたその時だった。
「あら? あれ何かしら?」
ノリアさんが疑問の声を上げた。それにつられて視線を向ければそこには意外なものが店を広げていた。
私は思わず言った。
「写真屋?」
プロアも言う。
「珍しいな、流しの写真屋なんて」
アルセラが聞いてくる。
「そうなんですか?」
プロアは丁寧に答えた。
「ああ、写真はまだまだ高級品だし、そうそう簡単には取り扱えないから普通はこんなふうに流れてくるのはないはずなんだが」
私は足早に歩き出しながら言う。
「行ってみましょう」
「はい!」
好奇心を刺激されたのかアルセラも喜んでついてくる。仲間たちは少し苦笑気味ながらも私たちについてきてくれていた。
足早に近づいてくる私たちに気づいたのか、写真の機材を広げていた写真屋の二人が声をかけてくる。
少し年配の頭の禿げた中年男性が椅子に座ったまま言う。
「いらっしゃい」
彼の弟子なのかそれとも娘なのか、金髪の短い髪の若い女性がこちらに尋ねてきた。
「お客さんかい? 写真を撮っていくかい?」
明るく元気そうな声が聞こえる。二人ともボタンシャツにベスト、ズボンにベレー帽という出で立ちだった。
私は聞いた。
「撮れるんですか?」
「もちろんだよ。そのために店開いてんだからさ」
少しばかり知識があったのかプロアが質問する。
「もしかして銀板写真か?」
銀板写真――、銀メッキの銅板とヨウ化銀とで感光板を作って撮影するものだ。比較的古くから使われている技術だったがこれには欠点もあった。
「銀板写真は水銀蒸気を使うから密閉された部屋の中でないと現像できないって聞いたんだけどな」
その言葉に年配の男性の方が笑いながら答えてくれた。
「銀板じゃあねえんですよ。うちらが使ってるのはガラス板を使った湿板写真です」
「湿板写真」
「へい、長いこと銀板でやってたんですが、最近出たばかりの新しい技術を勉強する機会がありましてね、どこでも安全に現像ができるんで、これならあちこち歩いて商売することもできるだろうと思いましてね」
そう言いながら彼は立ち上がる。
「それで自分の娘にも技術を教えて、二人の機材抱えてあちこち歩いてるわけです」
アルセラが尋ねた。
「それでこの村に?」
「へい。祝勝会が開かれるってんで記念写真を撮るにはちょうどいいと思いましてね。急いでやって来たんですが」
ドルスが苦笑しながら言う。
「その様子じゃ遅刻したみたいだな」
「へへ、お恥ずかしい。道に迷っちまいましてね」
だがその時連れの娘が言った。
「でも親父、用意した感光板はほとんどハケたんだからいいじゃん」
「そりゃそうだが」
私は思わず尋ねた。
「それじゃあもう終わりですか?」
娘さんが答えてくれる。
「ううん。〝板〟があと2枚残ってるんだ。せっかくだからまだ店開いてたんだけどね」
写真屋の親父さんが気前よく行ってくれる。
「どうです? 1枚分の料金で2枚撮って差し上げましょう」
「いいのかい? 親父?」
「なに、かまわんさ。どうせ残したって明日になったらガラス板に塗った薬品が駄目になっちまう。今夜のうちに終わらせちまおう」
「そうだな」
そうまで言われて断る理由はない。私は彼らにお願いした。
「それじゃあお願いするわ」
「まいど! それじゃどなたをお撮りしましょうか?」
記念写真を撮る、そう考えた時彼女しかいなかった。
「私と、この子で」
私はアルセラの手を引きながら彼らにお願いした。私の傍には驚いた顔のアルセラ。でも周りの人たちは納得している。
「わかりました。それじゃあこっちにいらしてください」
写真屋の親父さんが手招きする方には、赤い大きな布を広げて足場と背景にしていた。そこに立って撮影するのだろう。
「アルセラ様、ルスト様」
ノリアさんが私たちに声をかけてくる。シュミーズドレスの上に羽織ったロングローブを脱ぐように促している。
言われるがままにローブを脱いでシュミーズドレス姿になると私とアルセラとで撮影場所に並んで立った。
背の低いアルセラが前になり、私がその少し斜め後ろで見守るように立つ。私の右手でアルセラの右肩を後ろから抱き寄せる。アルセラの体の温もりが伝わってくる。
「いいですね。その格好で撮りましょう」
親父さんが私たちの案内をしている間に、娘さんが写真の準備をしていた。四角い木箱のようなレンズ付の写真機。写真家の後ろ側には大きな黒い布がかけられていてその中に潜って撮影をするらしい。
「親父、こっちも準備いいよ」
「おう! それじゃお客さんちょいとばかりそのまま動かないでくださいよ」
写真の準備をする娘さんの左手には棒の上に金属の皿が付けられたようなものが握られている。そしてその皿の上には白銀色の粉が盛られている。
その粉の正体を知っていたのは意外にもドルスだった。
「お、マグネシウムだな」
カークさんが問う。
「なんだそりゃ?」
「薬品だよ。点火するとものすごく光るんだよ」
「ほう」
娘さんが私たちに注意して来た。
「ものすごく光りますから目をつぶらないようにしてくださいね。撮影する時に目を閉じちまうと閉じたままに写真になっちまいますからね」
その時、親父さんがアルセラに入った。
「妹さんもそんなに固くならなくていいですよ。ほらゆっくり深呼吸して! そうそう! はい笑って!」
写真屋の親父さんには私とアルセラは姉妹に見えていたのだろう。
「お姉さん、妹さんが驚いて体動かさないようにしっかりつかまえてあげてくださいよ」
「ええ、分かったわ」
「はい! それじゃあいいですか? 撮りますよ」
撮影をするのは娘さんの役目だった。彼女の声がする。
「3! 2! 1! はい!」
――シュボッ!――
火薬が燃えるような音がしてまばゆい光がほとばしる。そしてそれと同時に写真機の中の仕組みが動いて私とアルセラの一瞬を記録してくれた。
「はい! いいですよ!」
「お疲れ様でーす」
緊張したわりには撮影は一瞬だった。さらに親父さんが言う。
「残り1枚はどうします?」
そう問われればこう答えるしかない。
「仲間たちみんなで」
アルセラもお願いする。
「はい! ぜひ!」
断る理由はなかった。皆が笑みを浮かべながら撮影場所に集まってくる。
アルセラを中心として私とノリアさんが前に並び、男性たち7人が後ろに並ぶ。撮影の準備も終わりまたあの掛け声が聞こえてきた。
「はい! それじゃあいいですか? 撮りますよ」
マグネシウムの光がほとばしり写真機が私たちの一瞬を切り取って記録にとどめてくれる。
時は流れる。いつかこのワルアイユでの出来事も、記憶の彼方へと流れ去るだろう。でも、写し取られた一瞬は消えることはない。
宴の最後にとても良いものに出会った気がするのだ。
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