祝勝会の会場の中でその男は静かに佇んでいた。
濡れたような黒髪の東方の異民族の正装の男。ルストの部隊の一員であるランパックだ。
袖口が広がった長袖の前あわせの衣である〝漢服〟と言う民族衣装だ。その漢服の両袖を向かい合わせに合わせながら静かにその場に佇んでいた。
フェンデリオルでも中央首都のある東部地域ならいざ知らず、この西方地域ではさすがに東方の異国の人間はそう多くはない。どうしてもパックの姿は目立ってしまう。それゆえに身を潜めて場を警戒するということは初めから諦めていた。
その代わりに丹念に視線を配って、細々とした騒動を片付けていたのだ。
ヒールの高い靴に足をくじいてしまった若い女性を助けたり、親と離れて迷子になってしまった候族の子息をなだめて親元に引き合わせたり、急な胸の差し込みで気分が悪くなったご老人を介抱したり、いかにも彼らしいふるまいを続けていた。
そんな時だ、会場の片隅がにわかに騒がしくなっていた。
「何事でしょう?」
そう呟けばパックに興味を持ってしきりに話しかけていた女性たちが説明してくれた。
「女の方が男性に絡まれてらっしゃるようです」
「酔客かしら?」
「嫌ですわ、このようなめでたい席で」
このような祝宴の席では酒が振る舞われるのは当たり前と言っていい。しかし世の中には酒に飲まれてしまうような愚か者もまた当然のように存在していた。
見れば周囲の者たちは巻き込まれるのを警戒して誰も助けようとしない。
パックは周囲の女性達に一言告げた。
「失礼」
その言葉に女性たちもパックがその騒動を納めに行くのだとすぐに察した。
音もなく静かに騒動の場へと歩み寄っていけば、そこでは料理の配膳の作業をしていた正装ドレス姿の村の女性が、酔っ払った中年男性に絡まれていた。
服装からして候族ではないものの、それなりの家格のある名士らしい。自分の地位をたてに女性に酌をするように要求していたのだった。
「なぜだ? わしの相手もできんのか?」
「おやめください。そのような役目の者ではありません!」
「何を言う、わしを誰だと思っておる」
男は酒の勢いも入っていて欲求に自制が全く効かなくなっていた。典型的な酒に呑まれる種類のたちの悪い男だった。
「わしと一緒に来い。ほれ」
男は女性の右腕を掴んで無理やり連れて行こうとしている。ヘタをすれば怪我をさせかねない。一刻の猶予もならなかった。
「やむを得まい」
パックは静かにそう呟くと。足音を潜ませたまま速やかに歩み寄り酔っ払った男の左斜め前から近寄った。
男がパックの気配に気づいて言いがかりをつけようとしたその時だった。
――ドンッ――
かすかに鈍く響く音。その音と同時に男は前のめりに倒れる。パックはそれをすかさず受け止める。酔っぱらって絡んでいた男は気絶していた。
パックは女性に問いかけた。
「お怪我はありませんか?」
「は、はい」
「一度下がって休んでおいた方が良いでしょう」
「ありがとうございます!」
「礼は良い。さ、お行きなさい」
そのやり取りの後に静かな微笑みとともにパックは言う。
「この男は私が無難な場所へと連れて行きます」
そう淡々と告げるとパックは酔っぱらっていた男を肩に担いでその場から去って行った。その手際、まさにあっという間。いったい何が起きたのか周囲が理解するまでしばらく時間がかかった。
それよりも若い女性達の目にはパックのその鮮やかな振る舞いは目に焼き付くほどの印象を残していた。
女性たちは半ば呆然としながらも、パックに賞賛の視線を送っていたのだった。
その時、周りの誰もが気づかなかったが、パックが男に仕掛けたのは左の手の掌底による体当てだった。一般に鳩尾と呼ばれる腹部の辺りを勢いよく突いて瞬間的に意識を失い昏倒させられたのだ。
酔っぱらいは警備をしていた正規軍兵に引き渡され救護所で目を覚ますことになる。罪には問われなかったが軍人たちによりきついお灸が据えられたのは言うまでもない。
ちなみに祝勝会に居合わせた女性たちの間では、パックの存在は噂となり盛り上がった。そして、パックの素性を尋ねる女性が殺到したそうである。
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