――夢は続いていた――
でもその時、エルセイ少尉の優しい言葉が聞こえてきた。
「だが、お前は今ここに居る。新たな自由と可能性を掴み取るために決意して。そうだろう?」
それはいたわりと励ましの言葉だ。だが優しい言葉は時にはナイフのように胸をえぐる。私は悲痛な叫びをあげた。
「当然じゃないですか! 私は、卵を生み続けるニワトリじゃない! 心を持った人間なんです!」
到底納得できる現実ではない。受け入れられる運命ではない。罪人だってもっとまともな扱いを受けるだろう。
「上流階級の令嬢なら、婚姻相手が自由にならないことくらい百も処置です! 一族の繁栄のために身をやつすことも避けられません。でもほんの少しでも、人として扱ってほしい! ましてや暴君の監視の下で、監禁されるような結婚生活なんか望む人なんかいません!」
悲痛な叫びが私の胸を突いて出る。涙がとめどなく溢れている。そして、私の心の底からの願いが声になっていた。
「私は私自身であると認められたい! 自分自身の意志を持つことを許された一人の人間として、自分の生きる場所を自らの手でつかみ取りたいんです!」
それは魂の叫びだった。絶望しないために、希望を持って生きるために、命の底からの渇望だった。否、そう望まなければ、私は心の平穏を保てなかったのだ。
誰もその言葉を否定しなかった。エルセイ先輩が強い励ましの言葉をかけてくれた。
「軍を離れ、侯族社会を離れ、本名と素性を隠しながら生きるのは並大抵の事ではないぞ?」
「はい」
「それこそ泥水をすするような餓狼のような生き方を強いられるかもしれない。仕事の清濁など言ってられない。どれだけその身を汚すかもしれない。それでも、それでも本当に良いのだな?」
それはエールだった。私の覚悟を認め、その思いの深さを問う言葉だった。厳しさの中に深い思いやりが込められていた。
少尉の言葉は私を落ち着かせてくれた。ゆっくりと息を吸うと覚悟の程を語った。
「承知の上です。今までの15年間の人生の中で学んだことすべてを武器にして、自分が自分らしく生きる事のできる場所をつかみ取ろうと思います」
それは覚悟、私の覚悟の全てだ。
「そう、たとえ何年かかろうとも。どんな道を歩こうとも」
その覚悟を否定する人は誰もいなかったのだ。
私たちのそのやり取りを離れた位置から見ていた人がいた。
「お前たち、急げ。そろそろ他の者たちが来る」
「大隊長?」
「リザラム大隊長!」
私はその人の名前を知っていた。
「リザラム大佐?」
「久しぶりだな。君が学生をしていた頃に夜の街で何度か会っているな」
リザラム大佐は私の側に歩み寄ると私の肩をそっと叩いた。
「達者でな。人の道を外すようなことだけはくれぐれも慎むようにな」
その優しい言葉には私の背中を押してくれるような温かさがあった。そして、大佐は皆に告げた。
「我々は今夜、誰にも会っていない。ここには何も通らなかった。いいな?」
エルセイ先輩をはじめとする隊員たちは無言のまま敬礼で答えていた。
すると馬車の窓が開いてそこからお爺様が見下ろしながら語りかけてきた。
「職務中、横車を押すようですまない。リザラム候」
「お気になさらず。それよりも、ご令孫の旅のご無事をお祈り申し上げます」
〝ご令孫〟とは高貴なる人の孫を指し示して言うための尊敬語だ。リザラム大佐の落ち着いた大人の声が響いた。
「お急ぎください。騎馬による定期巡回も動いています」
さらにエルセイ先輩も言う。
「このまま中央街路を北進するのではなく東の二番環道を迂回したほうが良いでしょう。あちらは商業地域へと向かう夜間の荷馬車が通りますので紛れるには好都合かと存じます」
「重ね重ね、ご厚情痛み入ります」
私のお礼の言葉にリザラム大佐は言った。
「礼はいい。お急ぎなさい」
その声に促されるように私は馬車に戻り窓を開けた。
エルセイ先輩は私に窓越しに告げた。
「いいか? 車から降りたら一刻も早く市街地から外へと出ることだけを考えろ。人目につかない郊外へと逃れることを目指すんだ。そして北部都市へと向かえ」
「北ですね?」
「そうだ。商業都市として大きく発展しているし、外国人の流入も多い。これからお前にはその身柄を抑えようと追っ手がかけられるだろう。身を隠して生きなければならなくなるが、大きい都市ならお前が生きる場所も見つけられるはずだ」
「ありがとうございます」
そして別れの時を前にしてエルセイ先輩は強く告げる。私の心に残る強い言葉を。
「いいか? 俺達は同士だ。どんなに離れていても信じ合う仲間だ」
その言葉に他の隊員さんたちも頷いていた。長い時を同じ学び舎の下で切磋琢磨しあったのは嘘ではないのだから。
「気をつけてな」
「縁があったらまた会おう」
「ともに轡を並べた戦友として!」
――パシッ――
馭者が馬にムチを振るい馬車を走らせる。動き出した馬車の窓から外の光景を垣間見ていた。
そこには、リザラム大佐とエルセイ先輩たちが並んでが軍隊式の敬礼で私を見送ってくれている。万感の思いを込めて。
「ありがとう、みんな」
だが、その感謝の言葉は届くことはない。
再び走り出した馬車の中、お爺様が語りかけてくる。
「良い戦友を持ったな」
「はい、とても、とても素敵な戦友たちです」
軍学校でともに学んだ学友、幾度も指導鞭撻を受けた先輩。懐かしい思い出が脳裏をよぎっていた。
それは郷愁よりも勇気となり私を奮い立たせた。そして、不安な気持ちが少しだけやわらいでくれた。
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