前合わせの寝間着姿のユーダイムだったが、そこには寝ぼけた様子は微塵も感じられなかった。
――常在戦場――
そう言わんばかりの壮健さをその全身からにじませていた。このままでは切り捨てられかねない。
「勘弁してください。あんたに斬られちゃかなわない」
思わず弁明するプロアだったが、その声にユーダイムは気づくものがあった。
「まさか――その声、もしやバーゼラル家の?」
バーゼラル家――その言葉が出ただけでも幸運だった。
「覚えておいででしたか」
「忘れるものかね!――待ちたまえ明かりをつけよう」
そう告げながら枕の下に隠しておいた鞘を取り出し牙剣を収める。そして、敵意のないことを示すためにベッドの上にそれを放置するとベッドサイドに据えられていたオイル式の燭台を操作する。黄燐マッチを擦って点火すると室内はにわかに明るくなった。
ベッドサイドの衣装掛けに掛けてあったガウンをとって着込むと、光が得られた室内でユーダイムは改めて来訪者の名を呼んだ。
「デルプロア君か!?」
「お久しぶりです。ユーダイム候」
「うむ。久しぶりだな。4年前のバーゼラル家の悲劇で君たちがオルレアから離れて以来だな」
そう語り合う二人の表情には過去から来る懐かしさがにじみ出ていた。だがそれと同時に驚きと戸惑いがユーダイムの側にあったのも事実だ。
ユーダイムはプロアに歩み寄ると問いかける。
「こんな夜明けに何事かね? いや――それよりこの4年何をしていたのかね?」
当然の問いかけだった。だが、それより優先する事がある。
「ユーダイム候、それについてはいずれお話させていただきます。ですがそれより重要なことが――」
「なに?」
ユーダイムは老いてなお聡明だった。プロアがなにか急を知らせに来た事を即座に察した。
それを察した上で、プロアは真剣な表情で告げた。
「ご令孫であるエライア嬢からあなたへと書状と〝ある物〟を預かってまいりました」
「なに? エライアだと?」
はるか2年前に別離して以来、聞くこともなかった名を耳にしてユーダイムの表情には不安が浮かぶ。
プロアは懐からルストから受け取ったあの書状とそれに付随した布包を取り出して言う。
「火急の用件です。今、西方の国境地帯が緊急事態にあります。そしてそこで非公式ながら陣頭指揮を執っているのがあなたの孫娘であるエライア様です」
「なんだと? エライアが? 何故その様なところに?!」
ユーダイムは驚きを一切隠さなかった。プロアから書状を受け取ると、手に取り眺め始める。そして、みる間に表情が真剣になっていく。
「エライアが職業傭兵を?」
「はい」
「そして任務で西方国境地帯へ赴いたのか」
「はい、実在しない偽の任務に巻き込まれて」
「なんと――」
絶句しつつユーダイムは書状を受け取り、部屋の中に据えられていた背もたれと肘掛けのついた椅子へと腰を下ろした。そしてオイル燭台の明かりを頼りに書状を読み進めた。書状とともに渡された布包を開けば、そこにはあのキドニーダガーと、エライア――すなわちルストが身につけていた陶器製ペンダントのかけらがそえられている。
陶器ペンダントの存在はエライアが実際に関わっている事の証拠だった。疑う余地は一切ない。
書状に目を通せば、エライアが今置かれている状況がつぶさに伝わってくる。無論、ワルアイユ領で行われている悪逆の数々も――
ユーダイムが思わず問う。
「真かこれは?」
「真実です。隣接する領地を強制併合するために謀略を仕掛けている者がいます」
いつものゆるい感じは今のプロアからは伝わってこない。ただひたすらに真剣に冷静に事実を口にしている。
「現在、ワルアイユ領は長年に渡り、隣接するアルガルド領により妨害を受け続けており、人々は疲弊しております。そこに領主の殺害が加わり領地運営はほぼ不可能な状態に。そこに付け込んでアルガルドと彼らに加担する謀略者は、ワルアイユの領地運営を別な人物に一時的に預託する『統治信託委任』を強引に取り付ける可能性があると推察しています。エライア様はこの事を一番危惧しておられました」
それはルプロア・バーカックとしての振る舞いではなかった。
かつての上級侯族の一員であるデルプロア・ガルム・バーゼラルとしての振る舞いであった。そしてそれこそがユーダイムが識るプロアの本来の姿だったのである。
そんなプロアの姿をユーダイムが真剣に見つめている。プロアは更に言葉を続けた。
「そして更に重要なのが、隣接領地であるアルガルドが更に暴力的に関与している可能性です」
ユーダイムを見つめるプロアの表情も険しくなる。そうせざるを得ない事実を告げるためだ。
「ワルアイユ領の領主であるバルワラ・ミラ・ワルアイユ候は理不尽にも暗殺されました。さらにはエライア様ご自身も襲われました。その経緯はその書面に」
なおも書面とプロアの顔を交互に眺めるユーダイムが言う。
「通常の職業傭兵や正規軍人ではない、別な戦闘技能者の関与か――その証拠がこの〝キドニー・ダガー〟と言うわけか。さらには敵国トルネデアスの〝戦象〟徴用の動き。確かに大規模な軍事行動が継続しているとの話は聞いておらん。この時期には不自然だ」
ユーダイムは深刻な表情のまま思案を始めていた。そして、一つの答えを導き出した。
「間違いなく隣国のトルネデアスが関与しているな。さらにはアルガルドが侯族に関する規範法典で禁じられている〝私兵保有〟をして暗躍させている可能性もある。エライアはこの書面で〝アルガルドの領地侵犯〟〝トルネデアスの国境線侵害〟〝ミスリル地下鉱脈の強奪〟さらにはさらなる第3者の介入の可能性を示唆している。そして――」
ユーダイムの手にはあの異変の証拠であるキドニーダガーが握られていた。
「――ワルアイユ領の市民がさらなる生命の危険にさらされる可能性がある」
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