大佐のつぶやきに周囲がざわめき始めた。
よく見れば馬の頭部に白い頭巾が掛けられている。フェンデリオル正規軍でしばしば使われる伝令馬の印だった。土煙を蹴立てて駆けつける伝令馬の姿に報せの重要度が現れているように見えた。
そして、馬上の兵卒は到着するのと同時に馬から降りて大声で叫んだ。
「伝令! ワイゼム大佐はおられますか?!」
鉄色のフラックコート。頭部には軍用制帽。右袖には伝令官を示す腕章がつけられている。
場の空気を騒然とさせる出来事に軍の責任者であるワイゼム大佐は憮然とした表情で窘めた。
「馬鹿者! 場をわきまえろ!」
伝令役は今から急いで降りるとその場で敬礼しつつワイゼム大佐に謝罪する。
「申し訳ございません! ですが軍幕僚本部からの緊急の直令伝聞です!」
「なに?! 幕僚本部からだと?」
「はっ!」
伝令役はワイゼム大佐の叱責に臆することもなく毅然とした答えた。そして帰ってきた答えにワイゼム大佐はもとよりその場に居合わせた皆が、ざわめきだしたのだ。
そんな場の空気の動きを察してか伝令役の若者はこう告げた。
「この場にお集まりの皆様方におかれましても重要な伝聞です」
ワイゼム大佐もそこまで言われてしまっては遮るわけにはいかない。アルセラと私に視線で同意を求めて、私たちが頷いたのを受けて伝令役に命じる。
「話せ」
「はっ! 読み上げます!」
そう答えて伝令役の若者は軍服の内ポケットから一通の伝令文を取り出すと両手で広げて読み上げ始めた。
「昨夜、7時過ぎ。中央政府賢人議会臨時本会議におかれて、本領ワルアイユ領の領主継承問題において、賢人議会は満場一致をもって、暫定領主アルセラ・ミラ・ワルアイユ候への地位継承を仮承認するものとする決定が下された。この仮決定は重篤な事態が発生しない限り覆らないものとする。これをワルアイユ領派遣部隊を通じてアルセラ・ミラ・ワルアイユ候へと即時通達するものなり!」
一気呵成に語られたその言葉はあまりにも唐突すぎてすぐには意図が伝わらなかった。しかし、時間が経つにつれて何が伝えられたかがさざ波のように広がっていく。
呆然としながらもアルセラはぽつりと呟いた。
「継承が、認められた?」
その言葉に伝令役は答える。
「領地継承にまつわる数々の尽力、ご苦労様であります!」
葬送の場と言う都合上、祝福の言葉は使えない。伝令役の彼の言い回しは彼なりに必死に考えた上での発言だった。
伝令文の文書が大佐へと渡され、大佐もそれをつぶさに見つめて確かめる。私も一緒に見させてもらったがそれはまさに正式な軍事伝文であり疑いようもなかった。
発信者の名前は、
「ソルシオン将軍閣下!」
大佐が驚きをもってその名を口にした。幕僚本部の将軍自らの直令伝文に間違いなかった。
ワイゼム大佐が言う。
「伝令役ご苦労であった。伝文、確かに受領した」
「はっ!」
そう答えると伝令役は取って返したように馬にまたがり戻って行く。後にはいまだなお呆然とした静寂に包まれている私たちがいるだけだった。
あまりに唐突な出来事に誰もが言葉を失っている中で、声を発したのは〝ぼやきのドルス〟ことルドルス3級だった。あえて場の空気を読まないマイペースぶりはここでもいかんなく発揮された。
「あー、つまりなんだ。こういうことか? このワルアイユでみんなで必死になってやってたことは、ほぼ全部賢人議会に筒抜けで『そこまで頑張るなら承認しよう』って決まったってことか」
頭をかきながらのいかにも気だるげな語りは周囲に思わず苦笑をもたらしてしまう。とはいえ少しは言葉を慎んでほしい。言葉には限度というものがある。私は彼の後ろに歩み寄ると後頭部を思いっきりひっぱたいた。
「馬鹿っ! 少しは空気を読みなさい!」
――パシッ!――
「あ痛っ!」
私とドルスのそんなやり取りに思わず笑い声が上がる。場の空気がほぐれたことで誰もが言葉を発しやすくなったのは確かだ。
とって返したように私はアルセラのもとへと駆け寄った。
「アルセラ! 分かる? 今何が伝えられたか!?」
「お姉さま? その、もしかして――」
アルセラはまだ夢の中にいるかのように半ば呆然としていた。そんな彼女の両肩を私の両腕でしっかりと掴むと彼女の目を真正面から見据えながらこう告げたのだ。
「そうよ! これからは正式にあなたがこのワルアイユの領主となるのよ! 誰にも邪魔されず、横取りもされず、胸を張ってこの土地で生きていっていいのよ!」
「じゃあ私たちは」
アルセラの顔に笑顔が浮かぶ。それと同時に彼女の両目から涙が溢れる。
「私たちは勝ったのよ!」
「よかった――」
アルセラがその両手で自らの顔を覆いながら喜びと歓喜の涙を流していた。そこからは彼女は言葉にならなかった。
領主地位継承の成功――
その事実は瞬く間にその場の周囲へと広まっていく。驚きの声とともに、歓喜の声が沸き起こる。
「やった、やったぞ」
「これでもう、ワルアイユは無事だ!」
ワルアイユの土地が守られたという事実を喜ぶ声があり、
「おめでとうございます!」
「おめでとう! ご領主様!」
アルセラに祝福の声を投げかける者、
歓喜と祝福が人々の口から次々に飛び交っていた。
そのアルセラの周囲にも次々に人々が集まってくる。
まずは執事のオルデアさん、
「ご領主様、まずは就任仮承認お慶び申し上げます!」
次に侍女長のノリアさん、
「アルセラ様、おめでとうございます!」
アルセラも二人に声を返す。
「オルデア、ノリア、本当に本当にありがとう!」
最も苦しい時をすぐそばで支えてくれた二人だった。
次に声をかけてきたのはサマイアス候とサティー夫人だ。
「おめでとう! アルセラ!」
「よく頑張ったわね」
「ありがとうございます! サマイアス候、サティー夫人」
そう言葉を交わした後に二人はアルセラを我が娘であるかのようにしっかりと抱きしめた。
それに続くようにロンブルアッシュ家、ワイアット家、モーハイズ家のご夫妻が祝福の声をかけに来る。
その次にメルゼム村長が言う。
「長く苦しい日々でしたが、ようやく報われました」
それはあまりに重い言葉だった。メルト村を率いる責任者として耐え続けた日々。それがようやくに報われる日が訪れたのだ。
「村長もご尽力本当にありがとうございました」
アルセラからかけられる感謝の声。村長にはそれは何よりもありがたかったに違いない。
ダルムさんが言う。
「よくやったな」
短い一言だったがそこにはバルワラの親友として助けに駆けつけようとして惜しくも果たせなかった無念を乗り越えた強い安堵が満ち溢れていた。
ダルムさんは地面へと片膝をつくと大地の下で眠りについた親友バルワラ候へと涙声で告げた。
「バルワラ、お前は常々言っていたな『俺に何かあったらアルセラとワルアイユを頼む』と」
そう言葉をもらしたところで一瞬声が詰まる。肩を震わせながら絞り出すようにこう告げた。
「〝約束〟果たしたぜ」
親友との約束、それほど重いものはない。数多くの後悔と無念は確かにあるだろう。バルワラ候の命を救えず、ワルアイユの困窮を見逃してしまったこと、もっと早く気づいて救いの手を差し伸べられればと砂を噛む思いをしているに違いない。
しかしだからこそだ、
「ダルムさん――」
私は彼に声をかけた。
「バルワラ候も安堵してらっしゃると思います」
うつむき意気消沈していたダルムさんだったがポツリと一言、こう答えてくれた。
「ありがとう、隊長」
そしてアルセラがダルムさんに歩み寄り寄り添うとこう告げる。
「ダルムのお爺さま、本当にありがとうございました。アルセラは領主としてこれからもこのワルアイユを守り続けます」
その言葉に寂しげな表情を浮かべながらもダルムさんはこう答えた。
「ああ、頼んだぜ」
戦いは終わった。
憂いは去った。
失ったものはあまりに大きく、残された爪痕は深かったが、未来への種はまかれた。今まさに本当に、このワルアイユの土地を襲った動乱は終わりを告げた。
「ねぇ見て! あれ!」
小さい女の子が声を上げる。
「虹!」
見れば西の彼方に見事なまでの七色の虹が大空にかかっていた。それを見てパックさんが言った。
「雷と虹は龍の化身、祝福された魂は虹となった龍に導かれて天へと昇る――フィッサールに古くから言い伝えられている言葉です」
そして、アルセラが震える声でこう告げた。
「さようなら、お父様」
大空を寂しげにアルセラが見上げていた。私は彼女の背中に歩み寄りその背中をそっと抱いたのだった。
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