その日はとても静かな日だった。
風も穏やかで、雨も降っていない。まさに旅日和――
長距離を歩いて乗り越えるにはちょうど良い日だ。
私は全てを覚悟して身支度を整えて、傭兵装束姿に着替えて出発の準備をする。
標準的な衣装の他には、愛用の戦杖や、腰に巻いたベルトポーチ。携帯糧食や細々とした私物を入れた背嚢などがある。
それらを一通り身につけて準備は終わる。
後は、出発するだけだ。
就寝部屋から出て邸宅内を歩き回り主だった使用人の方たちに最後の挨拶をする。
するとまだメルト村に残留していたサマイアス候夫妻が最後の別れに出向いてくれていた。
「サマイアス候! サティー夫人!」
驚きをもって迎えると二人は私にこう告げた。
「最後の挨拶に伺いした、この度は本当にありがとう」
「これからはみんなでアルセラ候をお助けして行くわ」
「後顧の愁いはせずとも済むように尽力しようと思う」
その言葉に私は感謝を述べる。
「ありがとうございます。そして、アルセラの事、アルセラの教育の事、くれぐれもお願い致します」
「うむ、任せてくれたまえ」
「はい」
その後に邸宅から外へ出る。するとそこにはすでに支度を終えた査察部隊の仲間たちが揃っていたのだ。
プロアの元気のいい声が聞こえる。
「隊長!」
私をたしなめるようにダルムさんの声がする。
「時間だぜ」
次に述べたのはドルス。
「正規軍の連中との合流場所はこの先だ」
村の入り口となる街道筋にて、ワイゼム大佐率いる正規軍の人たちと合流することになっていた。そしてそこが、メルト村の人々が私たちを見送る〝別れの場〟であった。
すると不意にカークさんが言う。
「アルセラご領主は?」
「彼女は村長さんたちとともに正規軍の人々を壮行しています。もう終わってると思うので合流場所にて待っているはずです」
「そうか」
館の入り口にてワルアイユの使用人の人たちが出揃っていた。その彼らを代表するかのように進み出てきてくれたのはやっぱり侍女長のノリアさんだった。
「ルスト隊長。本当にありがとうございました」
彼女の言葉に使用人の人たちが一斉に頭を下げて礼をしてくれる。
「この御恩、生涯忘れません。これからもお元気で」
「皆さんもね」
「はい」
そして査察部隊の仲間たちに横一列に並ぶように促すと私は告げた。
「それではこれにて出立させていただきます。大変お世話になりました」
そして敬礼にて謝意を表した。
「失礼いたします」
そう言葉を残してワルアイユの本邸を後にした。
定められた道を行きこういう場所へと向かう。するとそこには既に人だかりが出来ていて遠くからもよく目だった。
数十人規模の正規軍部隊と、見送りに駆けつけてくれたメルト村の人々だ。
そこには見慣れた顔が全て揃っていた。
女性たちのまとめ役であるリゾノさん
その弟のラジア君、
通信師の少女たちとそのリーダー格のフェアウェル、
村の青年団の人々、
襲撃者によって村が騒然としていた時に我を忘れて抗議の声を上げていた若者たち、
パックさんによって治療を受けた人達の顔も見える、
村長のメルゼムさん、
執事のオルデアさん、
そして、そして――
「アルセラ」
領主となったアルセラが私を待っていた。
「ルスト隊長、お待ちしておりました」
「待たせてしまって悪いわね」
「いえ、お気になさらないでください」
アルセラは一歩進み出る。
「それより、これまで大変お世話になりました。このワルアイユの里が救われたのは間違いなくルスト隊長とその仲間の皆様のおかげです。皆様との出会いがあり、ご尽力をいただき、皆で団結して立ち上がることができたから今日の平和があるのだと思います」
アルセラは背筋を伸ばし凛とした姿勢で乱れることなくしっかりと立っていた。そして私が教えた礼儀作法の通りに乱れなく会釈をする。
「本当にありがとうございました」
それは一人の少女としてではなく、1人前の領主として見事な挨拶の口上だった。
傍らのメルゼム村長も言う。
「本当にありがとうございました。帰りの道中、くれぐれも気をつけて」
するとその時、リゾノさんの弟のラジア君が進み出てくる。彼は言った。
「バロンさん!」
彼の声は私の仲間のバロンに向けられていた。バロンも進み出てラジアに駆け寄る。
「ラジア」
「俺、俺は――」
二人は弓を通じて師弟関係とも言えるような絆を築き上げていた。その師であるバロンさんに対して、別れの言葉を送ろうとしているのだが感極まって言葉にならないのだ。
「無理するな。それより」
「はい」
「正規軍士官学校の試験、怠りなく努力しろよ」
「はいっ!」
そして、バロンさんはラジア君に歩み寄りその肩をしっかりと抱いてやった。その腕の中でラジア君は泣いていた。
「泣くな! この村一の弓取りを目指すのであれば」
「はいっ」
バロンさんに諭されてラジア君は自らの両目を拭った。情けない姿を見せないために。
ラジア君は亡きお父様の後を継ぐべく、弓の技術を身につけるために正規軍の士官学校を目指すのだろう。おそらくはバロンさんがそのための支援を約束しているはずだ。二人の関係はこれからも続くだろう。
ワイゼム大佐が私の所に歩み寄ってくる。
「ルスト隊長」
「はい」
「そろそろ出発致します」
「了解いたしました」
私と大佐のやり取りを耳にして査察部隊の仲間たちも隊列を組み始めた。さぁ、いよいよだ。
ワイゼム大佐が宣言した。
「全軍傾注!」
力のある声が辺りに轟く。
「隊列出発準備! ワルアイユ領の方たちへ向けて敬礼!」
その言葉と共に正規軍全員が一斉に敬礼をした。
私たちもそれに倣い敬礼を返す。
そして大佐が告げた。
「それではこれにて失礼いたします!」
それに応えるのは領主のアルセラだった。
「これまでのご厚情、誠にありがとうございました! お帰りの道中くれぐれも気をつけて!」
体の底からの力にあふれた見送りの声。そんな時私の背中を叩いて声をかけてくる人がいる。
仲間のプロアだった。
「何か言ってやれ」
彼に背中を押されて私はワルアイユの人々に最後の言葉を告げた。
「さよならは言わないわ。いつかまた会いましょう!」
そうだ、これが今生の別れではないのだから。生きていればいつか会うこともあるだろう。それまで息災で元気でいてほしい。
隊列の先頭に位置するエルセイ少佐が号令をかける。
「出発!」
その声を合図に隊列が動き始めた。私たちはその最後尾だった。
村の人々からも別れを惜しむ声が届く。
その声を背にして私達は歩いて行く。
敢えて振り向くまいと思っていたが、一度だけ後ろを振り向いた。
そこで、アルセラと目があった。
それまで気高く気丈に振る舞っていたアルセラ。
ついにと言うかとうとう泣き崩れてしまった。
「やっぱり無理だったか」
そう言うのはダルムさん。
「仕方ないさ。まだ15だぜ?」
そう答えるのはドルス。
「アルセラ……」
その姿にたくさんの想いが溢れてくる。私も思わず泣きそうになる。だがその時だ、
「あっ?」
泣き崩れたアルセラに駆け寄ったのは、アルセラの親友となった通信師の少女たち。アルセラの肩を抱くようにして懸命に支えていた。
「フェアウェル、ありがとう」
これでも大丈夫だ。何も心配はない。
立ち上がったアルセラが手を振っている。私も手を振り返した。
それでもなお隊列は進む。後ろ髪を引かれながらも私は歩き出した。私自身が向かうべき場所へと。
私も意を決して歩き出す。時折振り返るが、メルト村は次第に小さくなっていく。いつしか私の視界からアルセラたちは消えていった。
「さよならアルセラ、さようならワルアイユ!」
こうして私達は帰りの旅へとついたのだった。
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