ルストたちが、ラインラント砦での戦闘を終えて帰路につき、メルト村へと辿り着くまでの間、そのメルト村ではある出来事が進みつつあった。
それはルストと、ワルアイユ家のアルセラの身に関わる重要な出来事だった。
運命の歯車は今もなお回り続けていたのだ。
† † †
西方平原での戦闘が終わり、ルストたちがデルカッツ討伐のために旅立った後、ある人々がメルト村へと続々と移動しつつあった。
アルセラをはじめとするワルアイユ領の市民義勇兵たちや、フェンデリオルの正規軍の兵や士官たち、徴用された職業傭兵たちと言った人々だ。
戦闘を終えて一定の成果を得て、国境線防衛を果たしてメルト村へと帰参することになったのだ。
正規軍と職業傭兵から20人ほどの監視役の残留部隊を残し、途中一晩の野営を経て彼らはメルト村へとたどり着いた。そしてまず最初に行ったのが村の生活を元へと戻す復興準備だ。
戦闘行動の後片付け、
待避所へと隠れていた老人や子供たちの村への帰還、
捕らえた捕虜たちの待避所への収容、
そして捕虜監視の当番役の選定、
襲撃者によって荒らされた村の回復作業というものもある、
本来ならば収穫の時期だったはずの村の農地の収穫作業も急いで行わねばならない
十分な準備もなしに村から避難したことで住民たちの家の中がものすごいことになっていた所もある。廃棄物の運び出しもある。
戦闘での怪我人の収容や治療も必要だ。
それらの問題を短期間に洗い出し的確に指示を出していくのは、村長と、正規軍部隊を率いるメルゼム大佐と、職業傭兵の中から代表役として選び出された準一級職の傭兵だ。
その彼らを交えながら暫定領主であるアルセラが意見を拝聴し、最終的な判断を的確に下していく。
人員の割り振り、寝泊まりをする休憩場所の確保、食料の配分、備蓄食料の総量の確認、さらには軍の西方司令部や周辺地域との連絡の確保という問題もある。
わずか15歳のうら若い少女の双肩には重い役目がずっしりとのしかかっていた。それまでであればルストが傍らにいて助言や手助けをくれていたはずだが今彼女は居ない。
心が折れそうになるが、いない者をあてにしても何の意味もない。ここが正念場なのだとアルセラは自分自身に強く言い聞かせた。
「ルストお姉さまを安心してお迎えするためにも頑張らないと」
アルセラは気丈にも頑張り続けた。
周囲の人々から寄せられる要望や意見に対して、様々な人から助言を得て采配を振るう。朝早くから起きて夜がふけるまで動き続ける。
若い彼女に対して事情をよく知らない職業傭兵の一部や正規軍の兵卒などの中には、経験が浅く判断が回りきらないアルセラを軽んじて馬鹿にする者もいた。
だが必死に頑張り続けるアルセラのその小さな背中に大半の人々は励ましと声援を送り続けた。
そして、メルト村の人々は口々にこう述べた。
「亡くなられたバルワラ候に似てきた」と
それは悲しくもあり、何よりも嬉しい励ましの言葉だった。
1日動き回り力を出し切れば思わず立ちくらみしそうになる。そんな時彼女は思い出す。
「お父様……」
村を守るために日夜働き続けた亡き父の背中を。あの偉大な父の姿を。あの背中に負けないようにとアルセラは頑張り続けたのである。
† † †
そして、ルストたちから別れたあくる朝のことだった。
メルト村市街地の中央部、ワルアイユ家の政務館にアルセラは居た。
朝早く目を覚ましパンとチーズで簡単な食事を取り、今日の予定を確認しようと一階奥の政務室に入った時だった。
政務室の窓をノックする音がする。
「えっ?」
驚き思わず振り向けばそこに佇んでいたのは意外な人物の姿だった。
「プロアさん!」
窓の外で静かに微笑み手を振っていたのはルストの部隊の仲間の忍び笑いのプロアこと、ルプロア・バーカックだった。
「お待ちください」
喜び勇み、閉めていた窓を自らの手で開けると、外に居たプロアを招き入れる。
「おかえりなさいまし!」
アルセラはプロアの佇まいに何か喜ばしいものを感じていた。期待を持って彼からの返事を待てば、その予感は当たっていた。
「状況を知らせに来た。単刀直入に言おう」
「はい」
部屋の中へと入ってきてしっかりとした足取りで佇むとプロアは言う。
「ルストたちは勝利した。デルカッツたちの討伐に成功。アルガルドの勢力は完全に壊滅した」
「―――」
プロアの言葉はすんなりと頭には入ってこなかった。ルストならやってくれるという確信はあったはずだ。だがそれが実際にもたらされたとなると喜びよりも混乱の方が頭をかけ抜ける。
そして、少しずつなら確定した現実が理解できてくる。
「ほ、本当ですか?」
「ああ、嘘じゃねえ。こんな事で嘘ついても何の得にもならねえよ」
「そ、そうですよね。じゃあお父様の――」
心臓が大きく鼓動を打っている。手のひらが汗ばみ、首筋を冷や汗がつたう。急速に喉が渇き、大切なその先の言葉がどうしても出てこない。それでもようやくに声を絞り出した。
「お父様の仇は」
その問いにプロアは優しくにこりと微笑んだ。
「ああ、仇は討った。すべては終わった。もう不安を感じ思い煩うことは何もない」
そして数歩進み出てプロアはアルセラの肩をそっと叩いてやる。その後にプロアの口から優しい言葉がかけられた。
「よく頑張ったな、これからが大変だがしっかり前を見てやって行けよ」
「はい……」
それが限界だった。アルセラの目から大粒の涙が溢れ出る。それを手のひらで顔を覆って押し止めようとするが、感無量の喜びと共に溢れた涙は父親の死の記憶を呼び覚まし喜びと悲しみが入り交じりながら、アルセラの涙を流させ続けた。
「アルセラ――」
無理はないとプロアは思う。何しろまだ15歳になったばかりなのだ。心も体もこれから成長する。受け止めきれる現実には限りがある。
両手を広げてアルセラの両肩を包み込むように抱きしめてやる。
「今好きなだけ泣きな。ここなら誰もいないからよ」
言葉もなくプロアの胸の中でアルセラはこくりと頷いた。ほんの少しの間、プロアは彼女を優しく抱きしめ続けたのだった。
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