■中翼正面、部隊長ギダルム・ジーバス――
通信師の少女が部隊長ギダルムに告げる。
「ルスト指揮官より打伝! 全速後退!」
ダルムに付いている通信師の少女は16歳ほどで比較的体のガッチリした子だった。レザーヘルムと防刃外套マントを羽織り、最前線での激しい動きに積極的に付いてきている。意外だったのは白兵戦闘の心得があったようで、木製ではあるもの戦杖を巧みに使って時折迫ってくる敵の攻撃を巧みにかわしていた。
その彼女がダルムの背後にしっかりとついて声を送ってくる。
「中翼を左右に分かれる形で離れるとともに、全速で後退するとのこと」
「全速後退だと?」
「はい!」
ほんの僅か思案したダルムだったが、すぐに判断を下す。
「了解と伝えろ!」
「了解、打伝します!」
そして、中翼部隊に指示をくだす。ルストの裏の意図をくんで考えた特殊な指示を――
「聞け! 全速後退! 最寄りの右左翼前衛の後方へと回り込め! 一旦さがるぞ!」
それは敵であるトルネデアスに聞かれることを前提とした指示だった。そして、その指示が裏の意図をはらんでいることは自軍の者であれば即座にわかるはずだった。
「全速後退! 引けぇ!!」
「引くぞぉ!」
職業傭兵が、正規軍人兵が、声を掛け合いながら速やかに引いていく。そして、ルストが意図したように、中翼部隊は左右に割れながら下がっていったのだ。
ダルムは周囲の動きを視認しながら自らも下がり始める。手にしていた戦鎚を奮い、追いすがってくるトルネデアス兵をいなしながら下がる。直ぐ側の通信師の少女にも大声で告げる。
「下がるぞ! ここに居ては危険だ!」
「はい!」
気を見てその少女も一気に走り出した。その周囲には若い傭兵が数人寄り添い、守りを固めていた。それを見てダルムは言う。
「よし、あっちは大丈夫だな」
そう漏らしながら自軍中翼のもう一人の発令役であるエルセイ・クワル少佐の姿を探す。すると彼も中翼右側の傭兵や正規兵に対して指示を下しているところだった。
不意にエルセイ少佐と視線が合うがダルムは頷いてみせる。すると少佐も頷き返してくる。彼もルスト指揮官からの意図を理解したのだろう。彼の号令と同時に中翼部隊の右側の者たちが一斉に下がり始めているのがわかる。そして、中翼部隊の者たちは、まるで賢者の呼び声により海が断ち割れたかのように、徐々に徐々に左右へと別れていく。
だが、ダルムは見つけた。
自らの視線の先に予想だにしないものを。
「ルスト!」
彼の視線の先には敵に対して自らを隠すことなく左右へ問われる自軍の動きのどちらにも隠れずに陣形中央で堂々と待ち構えている戦象とその背に乗っているルストたちの姿だった。
思わず驚きの声が漏れるが、今この場で急いてどうなるものではない。
不安を押し殺しながら、彼もまた後方へと下っていく。突撃してきたトルネデアス兵をさらなる深みへと引き込むために。
今はただ、指揮官であるルストの意図が目論見通りに成功することを祈るのみだった。
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