それから私はいつもの傭兵装束に着替えた。とはいえ館の中で水仕事をするのだから全部を着る必要はない。ボタンシャツとスカートジャケットだけを着ると、その上から借りた前掛けを身につける。
時刻は夕方の4時近く。夕食の準備を始めるにはちょうど良い時間だった。
とはいえ。
料理をすると言っても仰々しく何かを作るわけじゃない。お昼の残り物に手を加えたのと、余った食材で一品二品、増やすだけだ。
コース料理の余り物に手を加えて温め直したり、肉の余りものや、とれたばかりの青物野菜を、切れ目を入れた丸パンに挟んだ物を作ったり、マオの手ほどきを受けながらフィッサールの包料理を作ったりした。
小麦で作った皮に、細かく刻んだ肉や野菜を香辛料やニンニクで味付けした物を入れて丁寧に包み込む。そうしたものを何十個とたくさん作りそれを油をひいた鉄板の上で焼く。
私は以前、マオに作ってもらったことがあるので知っていたがワルアイユの人たちには初めて見る料理だった。
試しにと最初に焼きあがったものをノリアさんが試食すれば程よく焼き上がった皮包みの中には味付けの香辛料の香りと肉汁とが広がって絶妙な旨味だった。
まかない料理が一通り出来上がると、邸内のみんなに声をかけて夕食となる。
その際のアルセラのことについて私は執事のオルデアさんにこう告げた。
「よろしかったらアルセラも一緒にお招きしてください」
「よろしいのですか?」
さすがに領主と言う立場になったアルセラをこの場に招くことに戸惑いを覚えているようだったが、私はこう諭した。
「アルセラはここ数日、自分の立場や身分を強く意識して振る舞ってきました。でもそれが彼女なりに無理を重ねたものであるのはお分かりだと思います」
私のその指摘にオルデアさんははっとした表情をせる。
「今宵くらい、誰の目も気にせずに気兼ねのない団欒の時をご用意してあげても良いと思います」
「かしこまりました。今、〝お嬢様〟をこちらにお招きいたします」
私が意図していることをオルデアさんは理解してくれたようだ。
作り終えた料理を何枚かの大皿に盛り、使用人ミーティングルームの長テーブルに用意する。それともう一つミーティングルームの片隅に炭で火を起こす簡易コンロが据えられて、ノリアさんがあらためて作ってくれたチーズ鍋が美味しそうな湯気を立ち上らせていた。
ちょうど料理の支度が出来上がった頃に、あちこちの後片付け作業を終えた男性使用人たちや査察部隊の仲間たちがやってくる。その中には村人の治療や、軍事捕虜の健康具合を見聞していたパックさんの姿もあった。
パックさんは部屋に入るなり、料理の一つに気づいていた。
「おや? これは『包』ですね」
「やっぱりあんたはすぐにわかったみたいね」
マオが満足に応える。
「懐かしい匂いです」
パックさんも故郷の料理は嬉しいものらしい。思わず顔が笑顔にほころんでいた。
そして一番最後に現れたのが、堅苦しいドレスを脱いで、ゆったりとしたシュミーズドレスにロングショールを羽織って現れたアルセラだった。
アルセラは前掛け姿の私に驚きつつも、皆に対して挨拶と感謝の心を述べた。
「皆様お疲れ様です。今日はご協力ありがとうございました」
そんな彼女に近寄ると私は彼女の手を引いた。
「堅苦しい挨拶はいいから、さ、こっちにいらっしゃい」
「はい!」
そこでようやくに笑顔に顔をほころばせてアルセラは私と共に歩き出す。そしてテーブルを囲んでみんなの輪の中に一緒に入っていく。
私とアルセラ、隣り合って長椅子に腰掛けるとノリアさんがチーズ鍋をよそったお椀をアルセラへと差し出してきた。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
それは姉か母親のように優しい語りかけだった。何があっても一番近い場所でアルセラを見守り続けたのは、紛れもなくノリアさんなのだ。
「ありがとう」
そう答えてにこりと微笑む。そこには若き女当主ではなく、大人になりかけのうら若い少女が居た。全ての仮面を下ろして素直にアルセラはようやくに安堵していたのだ。
私もみんなへと告げる。
「さ! 食べましょう!」
それが合図となった。
緊張と不安に満ちた二日間は無事に終わった。結果がどうなるかわからない。だがこのひとときだけは皆と安らぎを感じていたい。そう願わずにはいられなかったのだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!