その時不意にアルセラの唇が動いた。
「私やっぱり、お姉様と別れたくない……」
それは本当の本当の最後の最後の本音。嘘偽りのないアルセラの本当の本心だった。
言葉ではどんなに強がっていても、彼女の心の中に私という存在は拭いきれないほどに大きくなってしまっていたのだ。
そしてここから先は誰にも話せない話。だからこそ私はアルセラをこの場所に連れてきたのだ。
私は言う。
「アルセラ、村の人たちがあなたをなぜ領主として認めてくれているか考えたことある?」
唐突な質問。その真意をアルセラはわかりかねているようだった。
「いいえ?」
考えたこともない――、そんな反応だった。
私は言う。
「メルト村で革マスクの襲撃者たちに襲われた時のこと覚えている?」
私が示した過去の記憶にかすかに身震いして彼女は答えた。
「はい覚えています。私が先祖伝来の形見の三重円環の銀螢を初めて使った時のことです」
「そうね、それであなたはそこで何をした?」
私は努めて優しい言葉で語りかけた。アルセラは意志を強く持って答えた。
「この精術武具で必死になって戦いました」
「そうよ、そしてあなたは敵を追い払い、お屋敷の使用人や同行していた村の若い女の子達をその手で守った」
「はい覚えています。とても怖かったけど。それよりも大切な人たちを失いたくない。その一心で一歩前に進み出ました」
私は抱き寄せていたアルセラの体を更に強く引き寄せ頬を寄せ合いながらこう教えた。
「だからよ」
そうだ、その一歩がアルセラを一介の女の子から、一人の領主へと成長させたのだ。
「危険を前にして、領民たちの危機を前にして、それでもなおあなたはみんなの背中に隠れて身を守ることができたでしょう。それをしても非難する人は誰もいなかったに違いない」
それはまたあり得る状況だ。
「でもそれではあなたを信用する人はいなくなる。何よりこの人に自分を委ねていられない。そう思われても仕方なかったかもしれない。でも、あなたはそうしなかった」
そして私は彼女を褒め称える。
「アルセラ、あの時のあなたの勇気ある一歩が、あなたをこのワルアイユの領主へと成長させたのよ。村の人たちはこう思ったに違いないわ『ああ、この人ならば信じてついていくことができる』と!」
私の言葉にアルセラはハッとした顔をしていた。自分が成し得たことにようやくにその価値に気づいたというような雰囲気だった。
「だからこそ、あなたは次の段階へと進まなければいけない」
私が出した意外な言葉にアルセラは驚き戸惑っている。
「次の段階?」
「ええそうよ。アルセラ、私はあなたに提案があるの」
「えっ? それってどういう?」
戸惑うアルセラに私は告げた。とてもとても重要なことを。
「これから、あなたが領主としてやって行くのであれば、人と人とのつながりはより重要なものになっていく。そのためにはこの西方辺境の小さな土地の中だけでは到底足りないわ」
それは一つの事実だった。今のアルセラにはさらなる学びの場が必要なのだ。
「アルセラ! 中央首都オルレアの上級学校を目指しなさい!」
「えっ?! 学校?」
「そうよ、この次の春に編入試験があるの。今からそれを目指すのはとても大変なことだけど、あなたなら絶対できるわ」
その学校進学の前提となる事実を私はアルセラに教えた。
「今後、私の実家であるモーデンハイムの前当主である私のおじいさま、ユーダイム・フォン・モーデンハイム候の意向により、このワルアイユの後ろ盾としてモーデンハイム家がつくでしょう。そうなればモーデンハイムから真っ当な代官が派遣されてくることになるわ」
「代官?」
代官とは、その土地の領主に成り代わり、領主運営の様々な役目を代行する立場にある役目の人たちのことだ。領主が遠方へと外出中で不在の時などに重要な役目を担う人たちの事だ。
本来であればバルワラ候にもそうした立場の人がいるべきだったのだが、アルガルドの妨害でそうならなかったのはお察しの事実だ。
「ええ、あなたが学校で学んでる間は、その代官とオルデアさんたちが話し合いながらこの領地を守ってくれるはずよ」
「お姉さま……」
アルセラの表情が驚きから決意へと変わりつつあった。
「そしてあなたは学問を通じて多くの人と出会う。人と人とのつながりの記憶はこれから先のあなたの人生をより豊かなものにするわ。進学のための必要な勉強については、サマイアス候を通じて家庭教師のケリーメさんにすでにお願いしているの。あとはあなたのやる気次第よ」
そしてもう一つ、私は打ち明けなければならなかった。
「私は今回、事態を解決する切り札として、前線指揮権の委任状の発行を、実家のおじい様を通じて無理にお願いしたの。その際に実家であるモーデンハイムの名前を使わせてもらった。本来であれば私は失踪中の身。到底許されることではないわ」
当然だ。候族の常識から言えば到底許されるものではない。だが私はそれをやってしまったのだ。
「当然その行為の代償を払わねばならない。最低でも一度実家に出頭して親族会議で釈明をしなければならない。もしかするとそのまま実家で暮らすことを余儀なくされるでしょうね」
「お姉さま……」
意外すぎる事実にアルセラは思わず絶句していた。
だがそれはもうひとつの可能性を意味していた。
「でも、あなたがもしその時に中央首都の学校に進むことができれば、あなたと私はもう再開することができるの」
「お姉さまともう一度会える?」
「ええ、そうよ。だからこそよ。まずは進学を目指しなさい。あなたが私にもう1度会いたいと思うのならば」
それは一つの賭けだった。アルセラが私の申し出を聞き入れて高い目標に果敢に挑む決意をしてくれればよし。目標を目指して懸命に頑張るに違いないからだ。
長めの思案をした後にアルセラは答えを出した。
「やります。お姉さま、私、中央首都の学校を目指します! 自分がこのワルアイユの領地を治めるのに相応しい人物となるためにも」
そこには不安に沈む少女はいない。未来を信じ、困難に果敢に立ち向かう勇気ある少女が私をじっと見つめていたのだ。
「けっこうよ。それでこそ私の信じたアルセラだわ」
「はい!」
そして精一杯の力でアルセラを抱きしめてあげる。これまでの、そしてこれからの困難に立ち向かうその勇気を讃えるかのように。
その時だった。私は思わず叫び声をあげた。
「見て! アルセラ!」
その声と共に私は夜空を指差した。
「流星雨よ!」
「綺麗!」
それは流れ星などと言う言葉では生やさしい代物だった。一つ、また一つと、瞬く間に夜空を埋め尽くすほどの流星群が天上の夜空に溢れかえったのだ。まるでアルセラの決意を祝福するかのように――
私たちは突然始まったこの出来事にあっけにとられながらもその美しさに見惚れていた。
私は思わず呟いた。
「精霊の思し召しだわ」
「はい!」
私たちは、秋の夜空の下で肩を寄せ合いながらこの精霊の祝福の出来事をいつまでも眺めていた。私たちが帰路につき、ワルアイユ家の邸宅へと帰り着いたのは夜の10時を回った頃だった。
流星雨の光景の興奮も冷めやらぬままに私とアルセラはそれぞれの就寝部屋へと向かい着替えてベッドに入る。さあ寝よう。明日はいよいよ旅立ちの日なのだから。
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