私はドルスのところへと歩み寄り語り始めた。語り口は堅かったが、攻め立てはしなかった。
「ドルスさん、はっきりとお伝えする事があります」
ドルスが静かに顔を上げる。私はそれを見据えながら続ける。
「軍人も傭兵も、仲間と連帯し共に助け合いながら勝利することを目指します。だがそれと同時に、自分だけが最後まで生き残ることも目指さなければならない。それはひどく矛盾しています。でも戦場に立つのなら誰もがその矛盾を飲み込むしか無い」
言葉は場の皆にも、見守っているギャラリーにも聞こえていた。
「戦場と言う巨大な〝カルネアデスの舟板〟の上で生き残りをかけてもがくしか無い。それが軍人であり、傭兵という生き物なんです」
――カルネアデスの舟板――
難破した海の上に浮かぶ一枚の板切れ、そこには一人しかしがみつけない。一人が板にしがみつき生き残り、もうひとりは押しのけられて海の藻屑と死んでいく。ギリギリの状況下での命の選択を明示した寓意のことだ。
ギャラリーの方へも私は視線を向けた。皆、沈黙したままじっと聞き入ってくれていた。
「カルネアデスの舟板の上で、時には非情に相手を突き飛ばすこともある。あるいは、自ら船板を譲って沈んでいった戦友の姿に、決して消えない後悔と罪悪感を抱いて生き残ってしまうこともあるでしょう。でも――」
わたしは一呼吸区切る。ドルスさんを見下ろしながら私は叫んだ。
「そんなものはアタリマエのことです!」
私の声がどこまでも響いていく。否定の声は届いてこない。
「戦場に立つなら覚悟して当然の事! 誰にも降り掛かってくる当然の悲劇です! 戦場には感傷を持ち込む余裕は無いんです
!」
私が語った言葉に誰もが少なからず同意していた。無言はその証だ。そして私はドルスに核心を告げる。
「ドルスさん、私は私です。シフォニアと言う人ではない。あなたは私にシフォニアと言う人の影を重ねて勝手に苛立っているだけに過ぎない! お気持ちはわかります。ですが、はっきり言って迷惑です!」
〝迷惑〟――、その言葉が届いた時、ドルスさんの表情が変わった。地面に落ちていた牙剣を自ら拾うと立ち上がり、私に向けてこう告げたのだ。
「ルスト、お前の言うとおりだ。俺が間違っていた」
牙剣を腰の鞘に収めながら彼は詫びる。
「すまない」
そう言葉を残し、身を翻して歩き出す。おそらくは自分のねぐらへと帰っていくのだろう。
その背中をじっと見つめる私にカークさんはこう問いかけてくる。
「アイツを許してやってくれ」
否定する理由はなかった。
「もちろんです」
私はそう答え返した。
私の視界の中でドルスが頼りなさげによたよたと歩いている。いつしかそのシルエットは街の夜の闇の中へと消えていった。
そして、2年前の記憶が掘り起こされたことで辺りには沈んだ空気が広がりつつあった。誰もが沈黙し、表情を曇らせていた。このままでは良くない。雰囲気を変えなければ。
そこで私はギャラリーの片隅に佇んでいたホタルに呼びかけた。
「ホタル!」
「なんだい?」
場の空気に飲まれない旅芸人らしい陽気で力強い声がする。私はホタルにオーダーした。
「舞踊曲お願い! 派手目のやつで!」
「あいよ!」
威勢よく答えるとすでにその流れを読んでいたかのように6弦のリュートを奏でだす。
芸人衣装である前合わせの白磁の衣が演奏の動きで揺れている。そして、その指で奏でる調べが、軽快にルズミカルに憂鬱な気配を吹き飛ばしていく。
それはフェンデリオルに古から伝わる舞踊曲、死の影を追い払い、今を生き、未来を願う、生命の反映を願う曲、祭りでも定番の曲の一つだった。
曲に合わせて拍手が始まる。踊りだすものを待ち受けるように。それはリズムを刻む打楽器のように人々の心を奥底から呼び覚まそうとしていた。空気が熱気を帯び始める。2年前の死の記憶がどこかへと消え去ろうとしている。
ギャラリーが輪を作り、即席の舞台を作り出す。ならば先陣を切るべきは私だろう。
私は足もとのエスパドリーユを脱ぎ下ろすと素足のままで駆け出した。そして人々が見守る中で踊りのステップを踏み始めたのだ。
「ハイッ!」
両肩にかけていたロングショールを両手に絡めて、振り回しながら、くるくると舞うように円を描いて舞い踊る。
リアヤネさんが前掛けを外して場の中へと繰り出してくる。天使の小羽根亭のウェイトレスたちも躍り出る。
さらには見ているだけだったギャラリーの中からもさらなる踊り手が次々に現れる。
いつしか、興に乗ったダルムさんが唄を歌い始めた。それは私たちフェンデリオルの民族の唄。口伝の唄。
――人々は苦難を乗り越え、長い道を行く――
――失われた故国よ、今に見るがいい――
――我らは取り戻す、豊穣なる大地を――
――天と地の間、4つの精霊は我らを導くだろう――
皆が笑顔を取り戻していく。歌と踊りと喧騒の輪は夜を徹して続いた。
いつ死にゆくともわからぬ傭兵稼業、楽しめるときには心から盛り上がるのが流儀――
ここはブレンデッド、世に名だたる傭兵の街である。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!