身支度を整えて朝食の場へと向かう。
そこにはすでに私の仲間たちが待っていた。
彼らを前にして自らがどう振る舞うべきか私にはもう分かっていた。
「おはようございます!」
迷わず気負わずてらわず、それでいて凛として胸を張る。姿勢を乱さぬまま歩いて行き私のために用意された席へと座る。
「おはようございます。お姉さま」
「おはようアルセラ」
私の隣にはアルセラ、彼女もまた誇らしげにそして力強く振舞っていた。
私の仲間たちからも朝の声が聞こえる。
パックさんが代表するかのように声をかけてくる。
「おはようございます」
「ええ、おはようございます」
ドルスが言う。
「なんだ少し遅かったじゃねえか」
「うん、ちょっとね」
「でも元気そうで何よりだ」
その言葉からは彼が私のことを案じていたのが分かる。
「ありがとう」
感謝の言葉を返せば彼はうなずいてくれた。
そして朝食を始める。
パン食を中心に温かいスープと消化に良い玉子料理、それらをいただきながら朝食は進む。同時に会話も弾む。その中で今日の予定が話題になった。
「それで隊長、今日はどうしますか?」
そう声をかけてきたのはゴアズさんだ。私は迷わず答えた。
「明日の帰還に向けて、準備を進めてください。挨拶すべき人がいれば可能な限り会ってお話をするように」
「了解です」
「わかりました」
様々な声が聞こえてくる。そして私は念のためにアルセラにも声をかけた。
「アルセラは今日はどうするの?」
「午前中は政務を処理しないといけません。午後からなら多少時間は取れるかと」
「そうわかったわ。何か考えとくわね」
「ありがとうございます」
彼女から感謝の言葉が返ってくる。そして私は言った。
「みな、悔いを残さないように」
「はい!」
力強い返事が多数返ってくる。そしてとうとう最後の日が始まったのだった。
私は今日の午前中は挨拶回りをすることにしていた。ただその出がけに私はノリアさんにあるお願いをしていた。
「野外でお食事ですか?」
「ええ、アルセラと二人きりで」
「それも夜ですよね?」
「ええ、夜に星を見ながらね」
その言葉のやりとり少し思案したかのようだったが私の真意を察してくれたのか首を縦に振ってくれた。
「かしこまりました。ご用意させていただきます」
「ごめんなさい無理を言って」
「いいえ、お気になさらないでください」
「ありがとう」
ワルアイユでの暮らしも彼女にはすっかり世話になってしまった。その有能さからついつい頼ってしまうのだ。でも彼女はそうされることを何よりも誇りに思っていた。
彼女は言う。
「これも侍女として大切な役目の一つですから」
彼女は自分と役職に生きがいをもって望む人だったのだ。
私は皆を伴い村へと向かった。
そして主だった人々に挨拶回りをする。
メルゼム村長さん。リゾノさん。通信師の少女たち。そして村の顔役の人たち。
そうした人々に声をかけていけば、私が明日の朝、出立をするということは村の人々に瞬く間に広まった。
こうなると挨拶回りというよりは村の人々との集まりという形になってしまう。大勢を相手に私は語らい合った。
こうして私は午前いっぱいを挨拶回りを費やした。無論、大変お世話になったワイゼム大佐にも声をかけた。
「大佐」
「おお、君か」
「明日のご帰還のご同行よろしくお願いいたします」
「うむ、よろしく頼むぞ」
「はい」
お昼は村の広場にて村のみんながもてなしてくれた。当然そこには私の仲間やアルセラの姿もあった。
それから午後、明日の出発のために体を休める。アルセラとも何気ない時間を過ごす。
そして――
「アルセラ」
「はい?」
私は彼女に言う。
「今日の夜、二人で出かけない?」
「え、いいですけど。どちらへ?」
私は彼女の肩にそっと手を触れながら言った。
「星を見に行きましょう」
「星を」
私の申し出に断る理由はなかった。
「もちろんです。ご一緒させていただきます」
「それじゃあ決まりね」
「はいです。お姉さま!」
「夕暮れ、日が沈む前にここを出発するわよ」
「わかりました!」
元気の良い返事が返ってくる。アルセラは本当に心の強い女の子だった。
そして夕暮れ。とうとうその時間がやって来たのだった。
† † †
私とアルセラ、それぞれの用事はほとんどなし終えた。私は明日の出発準備を終えて主だった人々と挨拶を終えていた。
アルセラは領主としての本来の役目をこなし終え、執事のオルデアさんに任せられるものは任せられる状態になっていた。
夜道を歩くためのオイルランプや防寒の毛布は、大きな肩掛けカバンに詰め込まれている。私とアルセラ、それぞれの普段着の上に厚手のロングのフード付き防寒マントを羽織る。
そして、アルセラの手には夕食の詰まったバスケット。夜外出のための準備は整っていた。
私たちは出発を控えて本邸の正面玄関に来ていた。
侍女長のノリアさんが言う
「必要なものは肩掛けとバスケットの中に一式入っておりますので」
「ありがとうございます」
「いいえ、それよりお嬢様をよろしくお願いいたします」
「もちろんよ」
私とアルセラが楽しんで準備をしているその傍らで、そわそわして不安げに眺めている人がいた。私の仲間のダルムさんだった。
不安でたまらないのかついてきたそうにしていたが、ドルスに窘められている。
「心配し過ぎだっつーの、爺さん!」
「わぁってるよ」
いささか心配の度合いが過ぎる気もするが私たちを思ってのことだから邪険にするのはかわいそうな気もする。
「大丈夫ですよ。私がいますから」
私はあえてダルムさんにそう言った。それを聞いてカークさんが笑いながら答える。
「これほどの説得力のある言葉はねえよな」
プロアが言う。
「当然だな。何しろ俺たちの隊長だからな」
こうまで言われてしまえばダルムさんも諦めて受け入れるしかなかった。
「わかったわかった」
そして小さくため息をつくと私たちにこう言った。
「ゆっくり楽しんでこい」
その言葉にアルセラはこう答えたのだ。
「はいもちろんです!」
そして私たちは皆に出発の挨拶を返した。
「では行って参ります」
夕暮れの日没、その赤く染まった夕日を眺めながら私たちは歩き出した。目指したのは小麦畑の真っ只中にある広い野原だ。昨日の領内視察でそういう場所があることを高台から見つけておいたのだ。
昨日は広大な小麦畑を大きく迂回するように歩いて行ったが、今日は小麦畑の中を横切るように農業用道路を歩いて行くことにした。
あたりには大きく実りをつけた小麦の香りがそこはかとなく漂っている。やわらかい風が通り過ぎるたびに麦の穂が揺れてさわさわと音を立てていた。
「お姉さま」
「なぁに? アルセラ?」
アルセラは自分から私に右手を差し出してきた。それが何を意味するかすぐにわかった。
「はい」
穏やかな声と答えながら左手を差し出す。アルセラが自分の右手で握りしめてくる。私たちは互いに手を握りながらまっすぐ伸びるその道を歩いて行く。
私たちは無言だった。
話せることはもうたくさん話した。他にはもう何もいらない。そう思えるくらいにあたりの空気は澄んでいる。
「秋風だというのに暖かいですね」
「そうね。お天気によっては冬の風が通り過ぎることもあるから、これくらいの暖かさだと歩きやすいわね」
私たちの雑談は続く。
「お姉さまって軍学校に通ってらっしゃいましたよね」
「ええそうよ」
「それじゃあ軍学校の時に軍事訓練とかもやったんですか?」
私は昔のことを思い出しながら語って聞かせることにした。
「もちろんやったわよ。それは徹底的に」
「へぇ」
「聞きたい?」
「はい!」
空の太陽がかなたの山並みに隠れつつある。足元が暗闇の中に沈んで見えにくくなっていく。そろそろオイルランプを付けた方がいいだろう。
「ちょっと待っててね」
そう言って一旦手を離すと私は肩掛けカバンの中から小型の夜道用のオイルランプを取り出した。手提げ式で手のひらに乗るサイズ。円筒形でぶら下げても地面に置いても使えるものだ。
中に火打石が仕込まれていて比較的簡単に点火できる。それを二つ、点火用レバーを操作してランプに火を灯す。ランプの側面から適度な明るさが周囲に溢れ出した。二つあるうちの一つをアルセラに渡して左手で持たせると私は右手で持った。そしてお互いに開いているもう片方の手を再び握り合う。
いつのまにか周囲は暗闇の中に落ちていた。ここから先はオイルランプだけが頼りだ。
私は小麦畑の中の一般道をまっすぐに歩きながら語り続けた。
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