その言葉に私は背筋が凍った。
「それだけは避けなければなりません! ワルアイユと言う〝地元〟を知らない小役人に任せるわけには参りません!」
「おっしゃる通りです。今までの前例から見ても中央から遠い地方領で政府直轄地になった地域で領民の生活が上向いたところというのは、私も聞いた事がありません」
サマイアス候が危惧するところは当然なのだ。私は言った。
「役人は地元の人間の声は聞きません。あくまでも上役や上司の命令しか聞かないからです。そんなことになれば地元の領民たちの生活が立ち行かなくなるのは当然のこと」
サマイアス候ははっきりと頷いた。
「だが中央政府の権力者たちにはそれが判らない」
「その通りです。政府直轄ではなく正規軍管理地となっても似たようなものです。軍人の全てがワイゼム大佐のような人格者とは限りません。ヘタをすれば役人以上に非人間的な思考回路の愚物者が領地支配の代官として赴任してくる恐れもある」
「それは今回のワルアイユ動乱ではっきりと分かっています。むしろ軍人のほうが危険だと言っていい」
そう言うことだ。今回のワルアイユ動乱でデルカッツに加担したような人間が居たのだから。
私は大きく息を吸いながら言った。
「どちらにしろ良い結果にはなりません。なればこそです。今回の祝勝会を何としても成功させてワルアイユ領の独立と自主性を守らなければなりません」
私の言葉に候は頷いてくれた。
「まさにその通りです。それを踏まえた上であなたにお願いしたい」
「何でしょうか?」
私の問いかけに候は真剣な表情で告げる。その面持ちに嫌な予感がした。
「アルセラ嬢に領主としてふさわしい立ち振舞と礼儀作法をご教授していただきたい」
「えっ?」
私はその言葉に思わず頭が真っ白になった。そして同時に自分が思わぬ見落としをしていたことに気付かされたのだ。
「そうか……、それがあったんだ」
私は自らの迂闊さを呪った。アルセラにはあまりにも重要な物が欠けていたのだ。右手で自分の頭を抱える。痛恨という言葉が止めどもなく湧いてくる。そして自分が見落としていたものを自ら口にした。
「あの子には〝女性侯族〟のお身内がいらっしゃいませんでしたね」
「そのとおりです」
そうだ。彼女には侯族として生きてきた母親も祖母も居ないのだ。
候の言葉のあとに私は言葉を続けた。
「領主として普段の業務についてならお父上の普段の仕事ぶりを見たり、側近である執事のオルデア氏の補佐を受ければなんとかなりますが、公の場での女性侯族としての立ち振舞となればそうは行きません。やはり同性の年上の侯族が普段から教えてやらねば早々簡単には身につかない。しかし彼女にはそれがない」
「はい」
サマイアス候ははっきり頷いた。
「ここ数日のアルセラ嬢の立ち振舞や礼儀作法を見ていて、最低限基本的な事は身についています。しかしこれが祝勝会当日となれば、日常生活の挨拶程度ではすまない。特に身のこなしや姿勢や目配りや歩き方など、言葉に出てくる部分より体で表す部分の方にアルセラ嬢には問題があるのです」
「誰も教える者が居なければ当然そうなるでしょう」
こればかりは礼儀作法の家庭教師をつけるか、母親や姉がつきっきりで時間をかけて指導するしか無い。
私は自らの経験を踏まえて答える。
「いわゆる〝高貴な振る舞いと所作〟と言うやつです。本来であれば二歳三歳の頃から付きっきりで教える物、そうやって幼年学校に入る前に基本的なことを身に着けます。ですがあの子にはそれがなかった」
「はい、亡きバルワラ候の細君が亡くなった以後は、夫人代理として同行することが多かったため、完全な無知ではないのですがこれが祝賀行事の主催としての振る舞いとなると全然足りない。だからこそです」
候は身を乗り出して私に懇願した。エルスト・ターナーとしてではなく、私の本来の正体のエライアに対して。
「モーデンハイム家本家当主の息女としてお暮らしになられ、中央軍大学を飛び級の主席で卒業なされたほどの貴女だ。今、アルセラ嬢に必要な物を伝授できるのは貴女に置いて他はない。無論、どれだけ無理難題をふっかけているかは承知しています。だがだからこそ! 貴女にお願いしたいのです」
拒否することはできなかった。拒否するという発想自体が湧いてこない。当然だ。いまのままのアルセラに祝勝会の主催をさせれば、立ち振舞や仕草や身のこなしと言った部分で恥をかくことになるだろう。嘲笑の声が上がりワルアイユの家の名に傷がつく。信頼は失われ、アルセラの素質に疑問を持つ声が出るのは間違いない。そうなればワルアイユの領主の座の継承は露と消えてしまう。
それを避けるには一つしかない。
「時間がありません。今すぐにアルセラに教育を施したいと思います」
「おぉでは!」
「そのお申し出、お引き受けさせていただきます。その代わり――」
私はサマイアス候の顔を真正面から見据えながら言った。
「手ぬるい真似はしません。これでも軍学校での〝シゴキ〟を乗り越えた身です。たとえアルセラが涙を流しても必要なことを叩き込みます」
それは覚悟。もはや退路のない状況だからこそ、成さねばならない。アルセラに嫌われてもやるべきことはやらねばならない。私は告げる。
「これが、私がこの地であの子にしてやれる最後のことになるでしょうから」
そして、サマイアス候は私の手を握りしめながらこう述べたのだった。
「ご決断、心から感謝いたします」
私は答えた。
「早速はじめましょう。明日、着用予定のドレス一式を用意した上で衆目の届かない場所――ワルアイユ家の本邸にて行います。ご準備をお願いいたします」
「承知しました。今すぐに」
そう答えて彼は立ち上がる。私も彼と同じくして行動を始める。
「では先回り、ワルアイユの本邸にてお待ちしています」
「それでは後ほど」
言葉をかわし合って私たちは別れた。応接室から出ると、愛用の戦杖とわずかばかりの手荷物を持って馬にまたがる。誰にも何も言わずに領主政務館から立ち去り、ワルアイユ家の本邸へと向かう。
道すがら、小川の岸辺に柳の低木が自生していた。手荷物の中からナイフを取り出すと、その柳の枝の一つを切り落として余分な小枝をとりはらう。
――ヒュンッ――
それを軽く振り回せば〝枝鞭〟としてはなかなかの仕上がりだった。
それと姿勢の指導用に樹の小枝を二・三本採取する。
「行こう、時間がない」
私は馬に乗るとワルアイユ本邸へと向かったのだった。
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