高台から降りる下り道を過ぎて村が視界に入ってくる。広大な耕作地帯の片隅に設けられた農村――それがメルト村だった。
元は城塞都市だったのだろうが、手入れの行き届かない都市外壁は至る所で崩れ落ちている。それを横目に私達は村の中へと入っていく。
私とパックさん、ダルムさんとドルスさんとに別れて行動しようとした時だった。村の目抜き通りで人だかりがあった。何やら激しくざわめいている。
昨日のことを考慮して、私とパックさんが歩み寄った。パックさんが村人に声をかける。
「何があったのですか?」
「あぁ、昨日の先生――」
先日、薬を売った人々の顔が垣間見える。その彼らの表情は一様に暗く焦りと怯えを浮かべていた。彼らの中の一人が重い口を開いた。
「ご領主様がお亡くなりになられた」
領主――、私たちの調査対象としようとしているバルワラ候の事だ。
突然の出来事に驚きつつもどこか心の中にこうなるという予感のようなものがあったのは否定できない。
今もなお沈痛な面持ちの村人たちが口々に不安を言葉にしていた。
「これからどうなるんだ――」
「お嬢様がおられるが、まだ次期当主をこなすのは――」
「くそっ、アルガルドの連中が何をしてくるか――」
不幸は畳み掛けると言うが、これはそんな生易しいものではない。見えざる悪意を感じずにはいられない。パックさんの手前、弟子の立場を装うつもりだったがもはやその段階ではない。
私の心の中でなにかが音を立てて切り替わる。
「ありがとうございます!」
先陣を切って感謝を口にすると一気に走り出す。残りの3人も速やかに後を追ってきた。
「バルワラ候の邸宅は?」
ダルムさんが言う。
「こっちだ」
一路、ワルアイユ領主の邸宅へ向かった。
† † †
メルト村の市街地を通り抜け東へと向かう。そして、村周辺の耕作農地の東南の外れの方に、その建物はあった。
飾り気のない赤黒いレンガ造りの2階屋の建物。敷地を囲う塀はなくヒイラギの生け垣が設けられているだけだった。
辺境の地方領主とは言え、その簡素極まる邸宅の装いに私は一瞬驚きを隠せなかった。
――この質素な邸宅が領主宅?――
質実剛健と言えば聞こえはいいが、その実、見栄を張れるような余裕すら無いのだろう。
屋根も飾り気のない三角屋根でバルコニーも見張り台となるタレットも無い。
とにかく余計な構造物がなにもないのだ。
質素であること――
このワルアイユ領の歴代の領主たちが、そのことにいかに価値をおいているかが見ているだけでも伝わってくる。
「ここですか?」
私はあえてダルムさんに問うた。
「あぁ、そうは見えないってみんな言うがな」
思った通りの言葉が帰ってくる。逆に言えば、地方領でも領主の邸宅というのはそれなりに威厳を示すべく飾り立てるのが世間的セオリーだ。そう、ワルアイユの領主というのはそう言う虚飾を望まないのだ。
一気に駆け抜けてきた私たちは邸宅を前にして歩みを緩めると、ダルムさんを先頭にして邸宅の敷地へと入り込んだ。
邸宅の敷地内には申し訳程度の庭しか無い。
娯楽目的の庭園を設けるより前に、耕作地として開放してしまうのだろう。
あとは正面玄関の前に馬車を止めるための広い石畳があるのみだ。その石畳を駆けながら私たちは邸宅の扉に向かうが、近隣の領民たちが十数人ほど集まってきている。
「失礼、道を開けてください」
私が声を発すれば、人垣は左右に割れる。そして館の扉を私たちに示すのだ。
ダルムさんが先導してその扉を開ける。
扉を開けたすぐにエントランスホールが広がるが人影はない。その代わり騒然とさせるような物音が聞こえてくる。邸宅内の混乱が伝わってくるかのようだ。
ダルムさんが叫ぶ。
「俺だ、ギダルム・ジーバスだ――誰か居るか?!」
邸宅内にダルムさんの声が響く。するとすぐに2階へとつながる階段から一人の人物が姿を表す。
「これはギダルム様」
「どうした? 何があった?」
ダルムさんが問いかける先には一人の実年世代の男性が立っていた。襟元に白いスカーフを巻きダブルボタンの燕尾服。その装いから執事クラスの人物だとすぐに分かる。その人物が説明を始める。
「旦那様が急逝なされました」
「バルワラが? 昨日、あんなに威勢があったんだぞ?」
「それは承知しています。ですが朝方にはすでに事切れておりまして――」
「そうか、それで死因は?」
ダルムさんが問いただすが、執事であろう彼は虚しく顔を左右に振るだけだ。私は数歩進み出てダルムさんに問いかける。
「この方は?」
ダルムさんが言う。
「オルデア・マーガソン、バルワラの執事だ」
私へと説明をすると今度は執事のオルデアさんに説明を始めた。
「彼女はエルスト・ターナー、俺が今、所属している部隊の隊長だ」
「おおそれは――」
恐縮するオルデアさんに私は名乗った。
「エルスト・ターナー2級傭兵です。同行しているものは私の部隊の部隊員――大変な事態だとは存じていますが、私たちになにかご協力できる事があろうかと思います。ご領主が急逝された現場を見聞させてはいただけませんか?」
全くの通りすがりの傭兵風情に邸宅内を探られるのは不都合のほうが多いはずだ。だが、オルデアさんは亡き領主の親友たるダルムさんが居ることで覚悟を決めたのだろう。私達に対してすぐに顔を縦に振った。
「承知いたしました。お助け願えるのであれば何なりとお申し付けください。まずはこちらへ――」
そう答えつつ、オルデアさんは私たちを招いていく。その後を追うように、エントランスホールの左右に設けられた階段を登っていく。そして、上がってすぐに左右に真っすぐ伸びる通路を左手に折れて歩き出す。その先に領主の寝室があるようだ。
「どうぞ、こちらがご領主、バルワラ様の寝所となられます」
通路の突き当りに両開きの重い扉が据えられている。飾り気のない質素な木製扉だとは言え、その風格がこの館の歴史の古さを物語っている。おそらくはこのワルアイユ領の代々の領主はここで毎夜のように眠りを迎えていたのだ。
オルデアさんが扉を開く。私たちはダルムさんを先頭にしてその中へと入っていった。
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