ワイゼム大佐が去った後に入れ替わるように現れたのはアルセラだった。
アルセラも新たなドレスを身につけていた。ウエストをコルセットで締め上げたロマンチックスタイルのスカートドレス。袖は膨らんだジゴ袖で襟はハイネックで首の中程でフリルがあしらわれている。色は淡く清楚で柔らかい印象を与える〝淡藤色〟淡く儚く薄ピンク色の光沢のある生地がアルセラに年相応の可愛らしさと領主としての高貴さを感じさせてくれる。
昨日の夜会服での鮮やかなレモン色とはまた違った印象を見るものに与えてくれるだろう。
ドレスの選択はアルセラ自身とノリアさんのセンスによるものだろうけれどなかなかに良い選択だと思う。
アルセラに続いて、侍女の一人が銀色のお盆の上にティーセットを持ってきた。焼き菓子の盛られた器もある。アルセラの気遣いだろう。
私とアルセラ、ソファーセットに隣り合わせに座ると、その前にティーセットと歌詞の入った器を置いてくれる。侍女がうやうやしく頭を下げながら退室するのを待って私たちは会話を始めた。
私はアルセラに尋ねた。
「アルセラ、昨夜は何をしていたの?」
昨日の夜、彼女は誰にも何も言わずに本邸へと出かけて行った。非難するのではなくその身を案ずるような口調を意識して私は問いかけた。
対してアルセラは落ち着いた雰囲気のまま答えてくれた。
「昨夜のことですか? ちょっと待っていてください」
そう述べて立ち上がると応接室からドア1枚を隔ててつながっている領主執務室へと向かう。何かを探そうとかして再び戻ってきた彼女の手には、便箋のような紙束が携えられていた。
「実はこれを調べていたんです」
アルセラが渡してくる紙束を受け取りそれに目を通す。するとそこに記されていたのは、
「温泉保養治療施設?」
「はい。父が生前、密かに調べ上げていた物です」
――西方辺境地域の医療状況の改革と、常設型医療施設としての温泉療養サナトリウムの設立の可能性について――
書類の表紙にはそうタイトルが記されてあった。
その中身に目を通しながら私は述べる。
「すごい、ものすごい慧眼だわ。確かにこの辺は温泉が多いけど。それを活用して転地療養の常設施設とするプランね?」
「はい。こうすることで医師の常駐を促すとともに、地元住民の医師不足を解消し、またこの地方に常駐するお医者様の生活の安定を計ることができると思うのです」
それは極めて卓越した着眼点だった。
「辺境地域というのは医師の常駐は望めません。なぜだと思いますか?」
彼女の問いかけに答えはすぐに出てきた。
「安定した報酬が望めないから生活が安定しない、というところかしら?」
「その通りです」
それは今も昔も変わらない問題だった。
「人間の数のわりに医師の数が少ないため一人ひとりの医師の負担は大きく、それでいて生活も裕福でない労働者階級が多いため診療報酬もそう高くは望めません。それ故にどうしても高い報酬を望める都市部へと医師は集中する傾向にあります」
それは悲しい現実だ。医師だって人間である以上暮らしていかねばならない。そうでなければより安定して報酬を得るしかない。
「それに医療というのは何かと経費のかかるものです。薬・設備・道具、それらを維持するだけでも一苦労。主要な都市部から離れていて必要資材を入手するのに費用と時間がかかるとなれば容易に病院を開業することもかないません」
「そうね。その通りだわ」
それは今も昔も変わらない解決し難い問題だった。
だがアルセラは言う。
「その問題の解決の答えを生前のお父様は既に見つけていたんです」
私はその言葉を聞きながら、アクセラが見せてくれたその資料を手にとってじっくりと読んだ。
「これがその答えというわけね」
「はい」
実に見事な計画書だった。この地域の山岳地帯に自噴する温泉を利用し、温泉療養のためのサナトリウム施設を作る。転地療養のための施設はどこでも需要は高い。利用者が途絶えるということはまずないだろう。
そうやって施設と医師生活の安定化を図り、その療養施設の付属部署として地元住民さんのための医療施設を併設する。それがこの計画書の主旨であり目的だった。
否定する要素はどこにもない。私は大きく頷いた。
「素晴らしいわ、実現するために乗り越える問題はいくつかあるけど決して不可能ではないし、ワルアイユだけでなく周辺地域にもたくさんの恩恵が生まれることになるわ。ぜひ実行に移すべきよ」
私がそう励ますように答えれば、アルセラは納得したかのようだった。
「父もそう望んでいると思います」
その返事は強い意志を表していた。もはやそこには家族を失った悲劇に沈み込むような弱い少女はいなかったのだ。
「私はこの計画を、今回の懇親会の談話の席で発表しようと思います」
それは彼女の強い意志。新領主として自らの意思で初めて示す〝明確な指針〟だった。
「頑張って」
「はい」
穏やかな返事の中にも力強い意志が感じられた。ここから先はアルセラが自分自身の意思で進めるべきことだ。
私は来訪者、そして傍観者、ワルアイユをめぐる戦いに身を投じることはできても、この領地の行く末を差配することは一切できない。
それができるのは――
「アルセラ」
「はい」
「これから先、この土地をこの領地の人々を導いていくのはあなたの仕事だからね」
「はい! お姉さま!」
そして私は自らの左手をアルセラの小さなミートの上に乗せる。お互いの手の温もりを感じ合いながら同じ箱をそっと告げた。
「頑張ってね」
「はい」
そう答える彼女の横側には満面の笑みが浮かんでいる。それが頼もしくもあり、そして寂しくもあったのだった。
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