――領主地位継承仮承認の報せ――
それは瞬く間にメルト村全体へと広がった。おそらくは今日中には周辺地域にも伝わっているだろう。
村は歓喜の渦に包まれた。
村の至る所で村人たちが喜びあい、抱き合い、あるいはお互いの肩をたたき合いながらこの日が来たことを心から喜んでいた。
「これで何の憂いもない!」
「安心して暮らせるんだ」
「ご領主様、バンザイ!」
「アルセラ候、ご承認おめでとうございます!」
人々は口々に喜びと賞賛の言葉を口にしていた。
「鳴らせ! 祝砲を鳴らせ!」
村の祭りの時などに使われている祝砲を鳴らすための小型の空砲が打ち上げられた。その音は村のどこからでも聞こえていた。
墓所からの帰路の途中の私達にも届いていた。
「盛り上がってるなあ」
そう感慨深げにつぶやいたのはダルムさん。
「祝砲を鳴らしたのは村の若い連中だろう」
村長のメルゼムさんが苦々しげに言う。
「まったく、空砲とはいえそう勝手に打ち上げていいもんじゃないんだぞ」
だがドルスが言った。
「仕方ねえさ。嬉しいあまり弾けることは誰だってある怪我人とかが出なきゃ別に構わないんじゃないのか?」
軽い口調でそう言われれば村長もそれ以上怒るわけにもいかない。なにわともあれ仮承認の知らせが届いたのは事実なのだから。
私たちはワルアイユの本邸前と戻ってきた。そして、執事のオルデアさんが姿勢正しく毅然としてみんなへと告げる。
「皆々様方に申し上げます。当ワルアイユ領前領主バルワラ・ミラ・ワルアイユの葬儀はこれにて終了となります。皆様のご参列、心から感謝申し上げます」
そしてその傍らで新しい領主に名実ともに認められたアルセラが言った。
「亡き父も草葉の陰で喜んでいるものと思われます」
そしてアルセラは深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました」
その言葉に皆が一礼して葬儀の全ては終わった。
それぞれがそれぞれに簡単な別れの挨拶をしてその場から去っていった。
村の人たちはそれぞれの自宅へ、残留していた職業傭兵の人たちや正規軍の兵卒の人たちはは宿舎として借りている集会場へ、来賓の候族や名士の方たちは宿泊させていただいているお宅へ、それぞれに戻って行く。
唯一、近隣領地候族のモーハイズ家の方たちは、簡単な挨拶だけを残して静かに去っていった。
そんなモーハイズ家の人たちの去り際を見てアルセラがこう漏らした。
「何をそんなに焦ってらっしゃるのかしら」
「えっ?」
私が疑問の声を投げればアルセラは思案げに言う。
「何か気がかりでも抱えてらっしゃるような、そんな雰囲気でした。簡単に口にできないご事情でもあるのかしら?」
「そうね、でもそうだったとしてもあちらが明かしてくるまではそっとしておいた方がいいと思うわ」
「はい」
そんなやり取りを交わした私たちだったが、後々にモーハイズ家は驚くような結末を迎えることとなった。だがそんなことはこの時の私たちには知る由もなかった。
人々が去った後の本邸前の街道沿い、そこに残っていたのはワルアイユ家の人々と、私たち査察部隊の面々、そしてセルネルズ家の方たちだった。
セルネルズ家のサマイアス候が言う。
「これにて葬儀は終わりとなるが、私たちは今しばらくワルアイユにとどまろうと思う。私たちにできることがあれば遠慮なく申し付けてくれ」
その言葉は改めて領主としての責任を負うこととなったアルセラには心の底からありがたい一言だった。
「いつもながら本当にありがとうございます。サマイアスのおじ様」
そしてサマイアス候の奥方であるサティー夫人も言う。
「これからまだまだ、遅れて事情を聞きつけて行ってくる訪問者もあるでしょう。あなた一人ではこなしきれないでしょうから私も可能な限りお手伝いさせていただきますわ」
サティー夫人もワルアイユには深い思い入れがあった。ましてやアルセラは自らの息女と大差のない年齢なのだから。
「ありがとうございます。サティーのおば様」
アルセラがそう答えると二人とも満足げにうなずきながら馬車へと向かう。
「それではまた後ほど――」
そう言葉を残して彼らも去っていく。
そして、アルセラが落ち着いた声で私たちに告げた。
「それでは皆さま、一旦、本邸に戻りましょう」
私がそれに笑顔で答えた。
「ええ、そうね。それじゃみんな!」
私の言葉に仲間たちが答えた。
「おう」
「では行きましょうか」
「少し、一休みしようぜ」
「ああ」
それはようやくに訪れた休息の一時だったのだ。
† † †
ワルアイユ家の本邸へと戻り身支度を変える。
私たちは特別着替えることはなかったが、アルセラは喪服を脱いで、領主としての仕事をする時に着ると決めたキュロットスカート姿へと着替えていた。
膝下丈のキュロットスカートに腰の丈のクロップドトップス、その上にフィシューと呼ばれる大柄なサイズの三角形のストールを重ね、ハーフブーツを履く。
「やはりその格好になるのね」
私がそう問えば、アルセラはにこやかに微笑みながら答えた。
「はい。動きやすいですし、落ち着くので」
私と出会い領主として責任を背負うと覚悟を決めたあの日に、外へと出るために着た服装がこれだった。
ワルアイユ本邸の応接室にてくつろごうとしていたアルセラだったが、領主として身を立てたその日からのんびりとする時間は許されなくなる。
それを示すかのように応接室の扉がノックされる。
「はい」
アルセラが答えれば声がして扉が開く。
「失礼いたします」
入ってきたのは侍女の一人だ。ノリアさんたちとともに以前からワルアイユに使えていた人だった。彼女は告げる。
「ご領主様にお客様でらっしゃいます」
「どなた?」
「はい、フェンデリオル南西部地区の農業協会の方でらっしゃいます。ご領主就任のご挨拶と申されております」
「そう――」
そう答えつつアルセラはため息を漏らす。私は彼女を慰めた。
「仕方ないわね。応接は領主の重要な仕事の一つだから」
「はい。わかっております。それに農業協会となれば無碍にはできません」
「それじゃ私は席を外してるわ」
「申し訳ありません、お姉さま」
「じゃあまた後でね」
そう答えて立ち上がりそこから去る。私の視界の片隅でアルセラが指示を出している。
「執事長のオルデアを呼んで頂戴。彼と一緒に応接するわ。それとお客様が入室なされたあとの頃合いを見てお茶を出して」
「かしこまりました」
侍女がそう答えるのと同時に応接室の扉が開く。
「ご領主様」
執事のオルデアさんだった。
「ご来客とお聞きしました」
「丁度いいところに来たわ。あなたも同席して頂戴」
「かしこまりました。お客様をご案内してまいります」
「よろしくね」
彼らのそんなやり取りを耳にしながら私はその応接室をあとにしたのだった。
† † †
一旦寝室に戻ろうと廊下を歩いていた時だった。
私の背後からパタパタと足音を鳴らしながら駆け寄る人がいる。
「あ、いました」
その声に思わず立ち止まり背後を振り返る。
「はい?」
そしてそこに佇んでいたのはサーシィさんだった。
「サーシィさん?」
「申し訳ありません、お止めして」
「いいえ、お気になさらないで。それより何か?」
私が取りたければ彼女は答える。
「はい。ワイゼム大佐様がお会いになりたいといらしておいでです」
「大佐が? 今どちらに?」
「玄関エントランスホールです」
「わかったわ今から行くわ」
「ありがとうございます」
そんなふうに言葉を交わしながら私は彼女と一緒に玄関へと向かった。そしてそこには軍人の制服姿で佇んでいる大佐がいた。
「大佐!」
大佐とはここ数日間の出来事の中ですっかり親しくなっていた。軍人として立場をわきまえたしっかりした人柄ながら、ある意味老獪とも言えるとらえどころのない親しみやすい人だった。
「ルスト君、すまんねお呼び立てして」
「こちらこそ申し訳ありません。立ち話もなんですのでゲストルームででも」
「いやそれには及ばんよ」
私が別室での応接を申し出るが大佐はそれをやんわりと否定した。
「ここでかまわん。手短に話そう」
大佐は自らの口で用件を伝えに来たようだ。静かにその場に佇むと私は大佐の言葉にじっと聞き入る。
「我々、西方司令部所属の憲兵部隊の帰投日時が決定した」
「帰投日時が?」
私がそう尋ね返せば大佐ははっきりと頷いた。このワルアイユから出立する日が決まったのだ。
「今日から三日後に代替えの補充要員が西方司令部から派遣されてくる。我々は全ての現任務を補充要員部隊へと引き継いで、その翌日にここから出立することになる」
そうだ、いよいよこの日が来たのだ。
「では4日後の朝に」
私がそう問い返せば大佐ははっきりと頷いた。
「この事は他の方には?」
「とりあえず、メルゼム村長にはお伝えした」
「かしこまりました。ではアルセラには私からお伝えしておきます」
「頼むぞ」
「はい」
そう言葉をやり取りし終えると、大佐は軽く敬礼をして身を翻してその場から去っていった。
――いつ帰るか?――
それは私たち自身にも重要な問題だった。いつかはここから立ち去らねばならないのだから。
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