「本当にすまなかった。学校側の管理責任だ」
マオ達Aクラスの生徒はトネーからの謝罪を受けていた。問題を起こした講師は処分され、二度と学校に来ることはないという。
「そんなことよりやることがあるんじゃないんですか?」
メルがトネーを睨みつける。
「マオのことですよ。学校では変な噂が広まっています。そのせいでマオがどんな気持ちなのかわからないんですか?」
実技訓練で講師の腕を切った生徒がいる。その名前は悪魔とされるマオである。その噂は瞬く間に学校中に知れ渡っていた。
「おい。あれ隣のクラスのマオって奴だろ」
「あんまり近づくなよ。腕切られるぞ」
廊下で誰かとすれ違う度に心ない言葉がマオを襲っていた。実際には講師の行き過ぎた指導に問題があったが、それが広まることはなかった。噂とはそんなものだ。実際の事実はねじ曲がり都合の良いことだけが広まる。
「真珠さん。僕にはその理由がわかるよ」
マーカが立ち上がる。
「学校側にだって知られたくないこともあるということさ。その噂を取り消せば学校側の失態が全ての生徒に知れ渡ることになる。僕は大国の貴族だが、僕以上の生徒だって多少いるだろう。王族となればそれなりの金額で契約をしてるはずだよ。命を優先的に守るためにね。そんな生徒が学校の失態を知ればどうなる?」
「学校をやめるかも知れない?」
「正解だよ。学校側だって営利目的なのさ。個人の不満と大衆の金銭。比べるまでもないということさ。流石アビス持ちを雇っている集団さ。とてもわかりやすい考え方だね。そこのアビス持ちが消えれば真珠さんがこっち側に来てくれるだろうから、噂は消えなくてもいいかな」
「そういうことなんですか?」
後半の言葉を無視してメルはトネーに近づいていく。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「それが理由なら我慢ならねえな」
それに呼応するようにアーバも立ち上がってトネーに近づいていく。
「落ち着いて二人とも。僕は気にしてないから」
「嘘つかないで」
マオの言葉をメルは否定する。今までに見た事がないほどメルは怒っていた。
「どうして嘘つくの。嫌なら嫌って言ってもいいんだよ。自分を犠牲にしなくていいんだよ」
「本当だよ。実際に腕を切ったのは事実だし。僕が気にしてないのに二人が怒っても意味ないよ」
少し強い口調でマオは返答する。メルはとても不満そうな表情を見せたが、無言で席に戻った。それを見てアーバは呆れた様子で席に戻った。
「本当にすまない。俺にはこの状況を解決できるだけの力がない」
トネーは言い訳をせず、深々と頭を下げた。
その日の帰り際。マオはマーカとすれ違った時に耳打ちされる。
「本当に情けないな。人間未満な上に度胸もなし。時間で解決すると思っているならそうはいかないよ。僕は他のクラスの人とも仲良くなったからね。これから君は悪魔として生活を送ることになるんだ」
帰り道。三人の間に会話はなく、重い空気が周囲を包んでいた。誰も口を開くことがないままその日は解散となった。部屋に入ると、アーバが先に口を開いた。
「しょうがねえことだ。お互いがお互いを思うあまり意見が衝突する。だが、一番いけねえのはこのままの関係で終わることだ。明日には仲直りしてくれよ。空気が重くてかなわなえ」
「確かにね」
ベットで今日のことを振り返る。
本当に気にしてないわけじゃない。少しは気にしている。でも、腕を切ったのは事実。それ以上に、二人が何かに巻き込まれるのは嫌だった。それが情けないことになるのか? 考えれば考えるほどわからなくなる。
マオはいつの間にか眠りについていた。
マオは思い知ることになる。噂というものがどれだけ残酷か。人という生物がどれだけ醜いものなのか。
翌日。マオはメルに謝罪をした。
「昨日はごめん。メルは俺のことを思って言ってくれたのに」
「いいよ。私も言い過ぎた。ごめんね」
「よし。仲直りだな。この三人はこうでなくっちゃ」
三人はいつもの様に会話を弾ませながら教室に向かうのだった。
マオはあの一件から剣術が異常なほど上達していた。その上達具合はアーバと同じでマシュウからお墨付きをもらえるほどだ。今までとは違いアーバと肩を並べることができている。劣等感のこともあり、その事実がマオはたまらなく嬉しかった。
数日がたったが、二人が睨みを聞かせているようで小言を言われることは少なくなった。だが、マオは少し違和感を感じていた。持っているカバンに小さな傷がついていたのだ。自分でも傷があったか覚えていないぐらい小さなものだ。
「どうした?」
「なんでもないよ。カバン落として少し傷がついたみたい」
「そうか」
アーバが不審に思って質問をするがマオは何も話さない。
まだ確定したわけじゃないし、そんなことないよな。
マオは自分に言い聞かせ一日を終える。
その翌日。自分の考えが的中していたことを思い知ることになる。昨日はなかった傷が新しく増えていたのだ。誰からされているかも分からない。マオは徹底的に犯人探しを始めるのだった。
日が経つごとに嫌がらせはさらに過激になっていった。物がなくなっていたり、暴言が書かれた紙が入っていたり、靴が濡らされていることもあった。マオは理解した。犯人は一人だけではない。もっとたくさんだ。クラスメイトでは絶対に無理な状況でも嫌がらせが行われている。
メルとアーバは嫌がらせには気づいていない。マオはそのことにホッとしていた。気にしていないと言ったのに。自分がやめてくれと言ったのに。助けを求めるのはみっともなくて仕方ない。それに、二人は絶対にこの行為を許さない。そのせいで何が起こるかも分からない。マオはそのことが堪らなく嫌なのだ。そのためなら、嫌がらせなんて苦でもなかった。
一週間が経った。嫌がらせは更に酷くなり、二人に隠すには難しいぐらいになってきていた。
「今日は特別授業だ。一学年全員で話を聞くことになる。入学式が行われた建物に移動してくれ」
マオ達は入学式と同じ席に座る。中心には見たことのある人物が立っていた。
「おはよう君たち。一ヶ月ぶりくらいかな? 今日は古い友人に話をして欲しいと言われてきたんだ」
立っていたのはクローだった。再び貰える激励の言葉に皆んなワクワクしている。
「この学年には卑怯者がいるらしいね」
生徒達はザワザワと騒ぎ始める。
「静かに。僕は少し怒っている」
少し強めの口調に全員が口を閉じる。いや、閉じさせられた。
「思い当たらない人はそのままでいいんだ。でも、この話は全員に聞いて欲しい。この学年には顔も見えない。名前もわからない。仲間はたくさん。そんな状況でないと他人を攻撃できない弱者がいる。行動の重みも理解せず、便乗して他人を攻撃する弱者がいる」
「自分が強い立場であれば攻撃する。弱い立場であれば攻撃しない。そんな人間はやがて強い立場でしか挑戦しなくなる。可能性の低いものからは逃げ、努力を怠る人間になる」
「そうしたまま長い年月が経つと、自分の中に二人目が生まれる。そうなれば終わりだ。嫌なことは全てもう一人が受け取り、それを自分が他人に発散する。何も学ばない。何も成長しない。それを生きているとは言わない。死んだも同然だ」
「この話にドキッとしている人がいるんじゃないか? それは自分がそうなると認めたくないからだ。少しは希望がある。その身体に少しでも誇りがあるのなら。意志が残っているのなら。命が宿っているなら。正々堂々戦いなさい」
全員がクローの威圧に戦慄する。
「この話を聞いて何も思わない人間は傭兵など諦めろ。意志のない。努力ができない。そんな奴はすぐに死ぬ。命の無駄遣いだ」
「さあ、僕の話はここまで。何も分からない人には無駄の時間になってしまったかな」
重かった空気が一気に軽くなる。
「あと一つだけ」
マオはクローと目が会う。
「友は宝だ。自分が気にしている以上に友は自分のことを気にかけてくれている。そのことを忘れないように」
マオにニッコリと笑いかけ、クローは部屋から退出していく。少しの間、その空間は異様な空気に包まれていた。
その日の帰り道。マオはメルに感謝の言葉を伝える。
「今日はありがとう。気づいてたんだね」
「なんのこと?」
メルの返答は想定済みだ。
「なら独り言を聞いて欲しい。僕が思っている以上に僕は思われていて、本当に嬉しかった。傷つけないようにした僕の行動が、傷つけたかも知れないと思って後悔してる。だから、ごめん」
「ん?」
メルは何のことか分からないようで首を傾げている。長年連れ添ったマオには分かる。今にもにやけそうな表情だ。隠せているつもりなのだろう。だが、指摘はしない。そんなことはどうでもいいのだ。気持ちを伝えられればそれだけでいい。
「ありがとう」
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